試験とは「学問」ではなく、出題者との「試合」
職業柄僕は1級管工事施工管理技士と1級土木施工管理技士という資格を取得している。どちらも四十代前半に取得した。
かつて施工管理技士系の資格は中卒・高卒・大卒で受験できる条件が明確に違った。僕は高卒なので2級施工管理技士の試験を受けるためには4年6か月の実務経験が必要だった。2級に合格をした後、1級を受けるためには更に4年6か月の実務経験を要した。
令和6年から制度が変わり、2級の第一次検定(学科)は受検年度末で17歳以上であれば受検可能、1級の第一次検定(学科)は受検年度末で19歳以上であれば受検可能になった。要するに、2級の学科だけなら高校生が在学中にチャレンジすることもできるわけだ。このエッセイで何度も述べているが、建設業界は深刻な担い手不足。国が資格試験の入り口をぐっと広げたのだ。
僕の受験勉強の方法は至極単純で、一冊の過去10年問題集を購入して、それをひたすら反復するというものだ。うちのボスはあらゆる国家資格は十数万の講習を受けて合格をしてきた人なので、わが社は国家資格を取るための講習費用については合格をした者に限り会社が全額負担するという制度がある。というわけで周囲には講習や通信講座を受ける者が多い。そう考えると、問題集の代金さえも会社に請求していない僕は、実にコスパ良き存在といえる。
高卒につき受験のスタートラインに立つには少々時間がかかったが、受験資格を得てしまえば、そこはとてもフェアな世界。受験会場へ行くと、経営者風の人や、僕よりもうんと若い人や、賢そうな人や、見るからに会社に命令されてしぶしぶ受験をしに来ている人など、年齢・性別・地位を問わず、さまざまな人たちが同じ試験問題にチャレンジする。実に平等だ。
建設系の国家資格に限らず、高校大学の入学試験とかもそうだけど、この国の受験問題は、貧富や地位や経験を問わず平等に出題し、平等に評価をしてくれる。本当に素晴らしい。実際、僕は2級土木施工管理技士の試験の時は、いつも偉そうに僕を小馬鹿にする上司と一緒に受験をした。その結果、上司は落ちて、僕は合格をした。平等な試験制度においては、このように痛快な出来事が起こる。
あくまで主観だが、僕は、試験勉強とは「学問」ではないと思っている。試験勉強とは出題者との「試合」だ。愚直な反復作業で訓練をしながら、過去の出題傾向を読み取り、ひっかけ問題の癖を見抜き、事前に入念な作戦を練った上で本番に挑む。僕は、国家試験をそう掴むことで、ほぼ一発合格している。1級土木施工管理技士の実地試験で一度落ちちゃったけどね。
本当の学問は、試験に合格し、技士になってから始まるのだ。技士になると、否が応でも「学び問う」日々に突入をする。ほんと、嫌気がさすほど学び問う毎日でごぜえやす。いやはや何とも。




