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■/□/■/□/■/□


「母さま、どうしてシダは“影”なの?」

 幼いころ、母親とともに豪華な料理を頬張りながら、その質問をした。

 同じ兄弟でありながら、どうしてそいつだけは同じものを食べさせられないのかが、疑問だった。同じ顔、同じ衣服に身を包みながらも、そいつは同じ料理を食べることも、同じ風呂場を使うことも許されてはいなかった。もちろん、母親と親しげに口をきくことさえも。そして僕には、なぜか赤い腕輪が与えられていた。

 そのとき、母は曖昧にほほえむだけだったが、ある夜、ベッドに身を横たえる僕の頭をやさしくなでながら教えてくれた。

「いい? シーラハンド、あなたは王子なの。シダのことを知っているのは、わたくしとあなたと、一部の家臣だけよ。もちろん、お父さまだって知らないの」

「どうして?」

「お父さまはね、とてもお忙しい方なのよ。だから、待っているだけではだめなの。強くたくましく、秀麗で……だれもを惹きつける子になりなさい」

 頭を撫でつづける手は相変わらずやさしかった。だが、その声はどこか低く、響く。

「王子というものは、命を狙われるかもしれないのよ。わかる? でも、あなたは母さまの宝物だから、絶対に失いたくはないの」

 わかるよ、と笑いながら、僕はうとうとする目をこする。睡魔には勝てない。意識の端で、ふいに腕にはめられている赤い腕輪を確かめるように撫でられた気がしたけれど、見ると、母はなおもやさしく頭をなでつづけている。気のせいだろうか?

「だから、あの子、シダには影になってもらうの……もし、“シーラハンド”が命を狙われることがあったら、その時には――」

 それから後の言葉は聞こえなかった。瞼が重く、落ちてきて、すぐに夢のなかへと誘われる。

 だけどその時僕は、母親の言葉に頭のなかできちんと答えていた。

(わかったよ、母さま……僕が死んだら、次はシダが王子になれるんだね……?)





■/□/■/□/■/□


「シーラハンド!」

 母の声が、たった一度、怒りに歪んだときがある。

 いつも穏やかでやさしい母親のことが、記憶のなかで一度だけ、激しく怒りに震えていたのを覚えている。



 それはいくつの時だったろう。まだ幼かったころだ。

 母親は病弱だった。僕らを産んでから、よりいっそう病弱になった。もってあと数年と言われた。

 そのころの母は、いつも青白い肌をしていた。医者がいつも部屋を出入りしており、僕を離すまいとそばに置いていた母は仕方なく離れざる負えないほどまでに衰弱していた。

 それを幸いと、僕はあらゆることをやってみた。危ないからと止められていた剣術も、城のなかの冒険も、いろいろと。やることは山ほどあった。

「危ないですよ」

「シダ!」

 ある日、ひとりで城の庭園を散歩していたときだった。声が頭上からかかり、ハッと顔をあげたときにはすでに、そいつは僕の目の前にいた。

 漆黒の髪、葡萄色の瞳、高い鼻、涼やかなまなざし――まったく同じ顔のパーツなのに、やはり自分とこいつは別物なんだと思える。

「なにが危ないんだ。庭だぞ? 武器庫じゃないし」

「おひとりでいるのが、危ないんですよ、王子」

 僕のほうが兄なのに、どこかこいつは大人な気配がする。幼心ながらにそう感じ取り、頬を膨らませてフンと唸る。

「おまえがいるから、平気だろ」

 そう言って歩き出す……だが、そっと振り返ったそいつの顔を見て、ぎょっとした。

「おまえ、なに泣きそうな顔をしているんだよ」

「べ、別に泣きそうになんか……たしかに、王子には俺がいますからね。たとえ死んだって、問題にはならないでしょう」

「そうだ」

 ニッと笑ってやる。それなのに、やっぱりそいつは浮かない顔をしていた。

 それが不服で、僕はそいつの腕をとり、唐突に駆け出す。こいつを笑わせてやりたいと、幾度思ったことか。

 母に気づかれずに、僕らはともにいた。本当は会うことも話すことも禁じられていたが、そんなことに構う主義ではない。『王子』そっくりに振る舞えるようにと、そいつはずっと隠れて僕の姿を見ているのに、僕だけが見れないのは納得がいかなかった。なにより、同年代に友と呼べる存在のなかった僕にとって、そいつは刺激的な存在だった。

 母が近くにいないと、シダはよく姿を見せるようになった。彼は身軽で、まるで魔法のように気配を消すことも、剣や弓を扱うこともできた。僕は彼から、さまざまなことを習っていった。

「シダ、花を見よう!」

 そうすれば笑うかもしれない……そう思い、バラ園へと駆け込む。シダは相変わらず沈んだ顔で従っていた。

「危ないですから、どうか、衛兵を……」

「だから、おまえがいるから!」

 あんまりうっとうしいので、僕はいらいらして怒鳴りつけた。足をとめ、じっとにらむ。

「おまえがいるから、たとえ僕が死んだって平気だろう? “シーラハンド”は殺されやしない」

 きっぱりと言ってやる。なにを彼が心配しているのか、まったくわからなかった。

 シダは僕の言葉を聞くと、一瞬唖然とした。

「は?」

「僕が殺されたら、次はおまえが王子になればいい! だから安心だろ?」

 にっこりと笑うと、今度はあわてだし、シダは手をばたばたと振る。

「ちがう! 命を狙われたら、俺がシーラハンドになって死ぬんだ!」

「なにを馬鹿な。母さまに怒られるぞ」

 母さま……ぽつりと、そう言葉を落とすシダに構わず、僕は彼の手を再びとり、歩き出した。はやく花を見せたくて、たまらなかった。

 庭には、様々な種類の花が咲き乱れている。その季節によって色を変え、目を楽しませてくれる庭園が、僕は好きだった。薔薇、百合、アイリス……うつくしい彩りに目を奪われる。

 ――と、そのとき。

「あっ」

 思わず、といった調子でシダが声をあげた。びっくりして振り返ると、彼はなにかの花の前で足をとめていた。

「どうした?」

「……アネモネ……」

 ふいっとそちらを見ると、花弁を広げた、赤や桃、青、白の花が咲いている。花びらは顔をのぞかせるように、こちらを向いていて、うつくしかった。一瞬薔薇に見えたそれは、ちがう花のようだ。

「アネモネ? この花の名か?」

 オウム返しに尋ね、僕はそっとその花弁に触れた。花はゆらゆらと揺れ、風に身を任せるようにそよぐ。

 シダはしばしじっと黙りこんでいたが、やがてゆっくりとこちらに顔を向けて、言った。

「王子は……この花の花言葉を知ってる?」

 知らない、の意味を込め、首を横に数回振る。知っているのは薔薇の花言葉――色によってちがうけれど、『愛情』や『情熱』など――くらいだ。

「『期待』、『はかない夢』、『薄れゆく希望』、『嫉妬の為の無実の犠牲』……さまざまにあるんだ。この花は春先に咲いて、『風』を意味したりもするんだって」

「へえ、すごい! どうやって知ったんだ?」

 率直な感想を述べ、物知りなそいつに感激したまなざしを向ける。けれどシダは、僕の言葉にびくっと身をすくめ、怯えた眼をした。

 それがなぜなのかわからず、きょとんとして見つめていると、シダはしどろもどろになりながら口を切った。

「す、すみません……あの、か、勝手に……王子の書斎で……図鑑を見てしまって……」

 今にも泣き出しそうに、がくがくと震えている。どうしてそこまで怯える必要があるのかまったくわからず、僕は逆にいらいらして言った。

「別にいいよ! 僕はそこまで読書が好きではないし。どうしてシダはいつも、そうやってびくびくするんだよ」

 今度はシダがきょとんとする番だったようだ。目をぱちぱちさせて、口をぽかんとあけて僕をまじまじと見る。

 本当におかしい奴だ。僕たちは遠慮することなんかないのに。

「僕たちは兄弟だろ。おまえは僕の弟だ」

「でも……俺はあなたの影です。あなたは王子で――」

「どうでもいいよ、そんなの」

 シダが笑えばそれでいい。本を読むのが好きなら、好きなだけ読めばいい。

 僕と同じ顔。だけど、やっぱりちがう。

 影? そんなの知らない。

 僕とシダは双子の兄弟。だから仲良くするのは、別に不思議なことじゃないんだ。

「ね? シダ、僕たち――」

「シーラハンド!」

 そのとき、けたたましい声がなった。

 ハッとして声のするほうを見ると、母上がすごい形相でこちらに向かってやってきた。

「おまえ――おまえ、よくも――!」

 母は怒りに顔を歪ませながら、チラと目を走らせる。僕の腕に赤い腕輪があるのを確認すると、ガタガタと尋常じゃないくらい震えるシダに詰め寄り、思いっきりその頬をはたいた。バシン、と大きな音をたてて、シダの身体はとぶ。

「シダ!」

 あまりの出来事に、足はすくんだ。

 どうして? どうしてシダが怒られるの?

「二度と許しません……おまえは影。それがわからぬなら、死んでしまいなさい」

「は、母上! 僕がシダを……」

 どうして? シダは僕の弟なのに。母さまはどうして……?

 母はそっと眉をあげ、しゃがみ込んで僕と視線を合わせた。

「いい? この人間はおまえの影。心を決して許してはいけないよ?」

「でも、母さま! シダは僕の弟で……」

「いいえ、シーラハンド。母の子はおまえひとりです。双子など、気味が悪い……お父さまだってきっとそうおっしゃいます。いいですか? 双子は呪われてしまうのですよ?」

 そんな……!

 手を引いて、母は歩き出す。僕は半ば引きずられるようにして、倒れているシダから離れていく。

 いつもやさしい母のすさまじい変貌。まるでちがう人間のよう。

 深く心を抉られたように、痛い。

「シダ……」

 うつ伏せのため、そいつの表情は見えなかった。ただ、見えたシダの拳は、肌が白くなるほど強く握られていて、悲しかった。


 運命を悟った……そんな気分を、幼心なりに理解したときであった。









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