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(3)




■/□/■/□/■/□


 嘘つき。

 そう、彼は嘘をつく。



 秋が終わり、冬がやってきた。「すぐに迎えにくるよ」と言った彼だったけれど、一向にそんな気配はない。たぶん、多忙なのだと察しはつく……急遽王位を継ぐことになったのだ。それなりにごたごたもあるだろう。

 妃に迎えられるのは、ずっと先――。


「姫さま」

 呼ばれて振り返ると、そこには庭師がいた。いつもきれいな庭園に保っている、初老の男の人。

「しばらくは庭にも顔を出せんでしょう。冬がきますし……雪が降ったら、見納めにしてください」

「雪が降ったら?」

 はい、と庭師は頷き、つづける。

「雪化粧がうつくしいのです。まるで白い花を咲かせたようで……是非、ご覧になってください。どうか、吹雪く前に」

 ふんわり積もる、汚れなき白……そう思うと、なぜか胸は切ない。

 そんな思いを振り切り、わたしは笑って庭師に頷いた。

「ええ、わかったわ。初雪が降ったら、さっそく見にいくわ」




 それから三日後、風はいっそう冷たくなった。そらは高く、彩りをつける花もないので、寒々とした庭が広がる。

 ……雪は、まだかしら。はやく、降って……。

 そうしたら……花が咲いたら、彼が来てくれる。そんな気がするの。

 だから、白い花よ、どうか、咲いて。


「エナーシャさま、どうかなさいましたか」

 うろうろと廊下を歩くわたしを発見し、侍女が話しかけてきた。

「お身体に障ります。風邪でもひかれたら、大変ですよ。お部屋にお戻りください」

「でも――」

 雪が、見たいのよ。もう、いや。

 はやく来て。もうずっと会ってない。

 わたしの愛しい――。

「あっ」

 次の瞬間、わたしは制止する侍女の声も聞かずに走り出していた。

 見上げた空から、ふわふわと白い塊が落ちてくる。吐いた息と同じくらいの白が、一面ひらひらと落ちてくる。

 きれい。雪だ。

 待ちどうしかった初雪に、胸は躍る。はやく白でいっぱいにならないかしら……?


「風邪をひくといけないよ、エナーシャ」

 ハッと振り返る。今まさに馬車から降りてきた、彼。

 馬車が走ってくる音すら聞こえなかった。それくらい、雪に見とれていたのだと思い、なんだか恥ずかしくなる。

「久しぶりだね。君をないがしろにして、悪かったよ……身体があかなくて」

「いいえ。お忙しいだろうと思っていたわ」

 顔が引きつる。変な熱を帯て。

 ああ、彼だ、と思って。






■/□/■/□/■/□


「すっかり寒くなったね。不便はないかい」

「ええ。みんなよくしてくれるわ」


 部屋に入り、ふたりであたたかい紅茶をすすりながら他愛ない会話をする。けれど、わたしの身体はいまだこわばったまま。

 彼は寒さで赤くなった鼻の頭をすこしかいてから、やがてゆっくりとした調子で口をひらいた。

「戴冠式が春に行われることになったよ……そしたら、僕らの結婚式もする」


 ああ、やっぱり。わたしたちが結婚するの。


「そう、よかったわ……あなたは、平気なの? 刺客など、仕向けられていない?」

「今のところは平気だよ」

 彼はにこりともせずにそう言った。

「しばらくはこちらにいる」

「本当? お城のほうが安全ではないの」

「公では、僕は風邪で寝込んでいることになっているからね。平気だよ」

 そう、彼はあちらに――。

 ハッとする。ちらと見た彼の眼が、あまりにも鋭くて気後れしてしまった。

 どうしたの――そう尋ねる前に、わたしの身体は彼の腕のなかにあった。

「シ、シーラハンドさま――ッ」

 呼ぶ声は、彼の口のなかに消えていく。ただふたりの吐息だけが混ざりあう。

「や……やめっ……」

 いきなりのことで頭がついていかない。身体は拒絶にわななく。

 それでも彼は、抑えつけるようにわたしの唇をむさぼる。

 頭は次第に鈍く、働らかなくなる。胸をしめる苦しさに支配されてゆく。


 ――いやだ。わたしは……わたしが待っていたのは――。


「――はあっ。お、おやめくださ……」

「しっ」

 拒否するわたしをいさめ、彼は再びその唇を押し付けてきた。強く、強く。


 はじめて彼と会ったとき、わたしは見たの――黒い翼を。



「……なぜ、泣く」

 そっと目をあける。いつの間にか頬には、涙が伝っていた。

 目の前には、ひどく苦しみに顔を歪める、彼。

 泣くつもりなんて、なかった。なかったのに。

「エナーシャ、君は僕の妃だ」

 彼は言うなり、わたしをそばのベッドに連れていき、押し倒す。ギシ、とベッドが重みで鳴く。

「まだ、わからない?」


 ――ちがうわ。ちがうのよ、シーラハンド王子。

 わたしはただ……。


「あっ」

 噛みつかれるように落とされた首すじへのキス。

 ただ、痛みだけが走る――いいえ。

 痛みと悲しみが、駆け抜けていった……。






■/□/■/□/■/□


 翌朝、しばらくは屋敷へとどまると言ったくせに、彼は急用ができたといって城へ帰っていった。わたしとは目も合わせずに。

 あのきれいな葡萄色の瞳が、濁ってしまったような気がして……胸は潰れそうなくらい、息苦しかった。



 しばらく彼は来ないだろう――そう思っていた矢先、彼は現れた。城へ帰ってから、三日目のことだった。

 本当に急用だったのだろうか? ちがうわ。わたしには、わかる。

 だって彼は嘘つき。

 侍女たちもみんな、「姫さまのために急いでやってきてくださるなんて」だとか「次期国王でお忙しいのに」だとか言うけれど。そんなんじゃないわ。

 彼はやっぱり来なかった。だって彼が来たもの。


「やぁ、エナーシャ。先日は急に帰って、悪かったね」

 にっこりと笑って、彼は言う。漆黒の髪を揺らし、葡萄色の瞳を細めて。

「それにしても、冬到来だ」

 窓から冬化粧をながめ、彼は笑う。ゆっくりと、花咲くように。

 そっと目を落とせば、彼の手には黒みがかった本が握られていた。ぞっとさせる、あの――。

「わたし、結婚するの」

 ふたりきりの部屋。わたしは彼に詰め寄る。

 彼はちょっと眉を寄せたけれど、すぐに柔く笑った。

「ああ、そうだよ。僕らの結婚式は春に行われる。国中の人々に見てもらうんだ」

 虚しさしか、残らないのよ。

 わたしが、彼と結婚するなら、あなたは――。


 ――はじめて彼に会ったとき、わたしには見えた――白い翼が。



「キスをして」

 その葡萄色の瞳を見つめて、そっと……わたしは、そっとつぶやいた。







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