(2)
一応大丈夫だと思いますが・・・
表現はオブラートに包んだつもりです。
よろしくお願いします。
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今日は彼がやってきた。
「お久しぶりね」
きゅっと唇を引き結び、なるべく柔らかな笑みを浮かべる。
今日は風が強い日で、彼は庭ではなく、屋敷にある彼の部屋にいた。空にも厚い灰色の雲が立ち込めており、遠く彼方では雷鳴がかすかに轟き、暗嘆な気配を運んでいるみたい。
彼はやや眉間に皺を寄せて、怪訝そうに口をひらいた。
「久しぶりって、ついこの間も来たじゃないか」
「え? ああ、そうね。ごめんなさい。あなた以外、この屋敷にはあまり人が来ないものだから……」
あわてて顔をふせる。なんだか彼は不機嫌だ。声にトゲがあるもの。いやなことでもあったのかしら。
彼ははっと短く息を吐くと、そのままぼんやりと窓から外をながめた。わたしもつられてそれを追う。
ゴオッと唸る風は窓ガラスを揺らし、急き立てるように音をたてている。
「……君はいいの」
出し抜けに彼は言った。葡萄色の瞳は外へ向けたまま、どこか冷たい調子で。
「なあに?」
「だから……君はいいのかって。そういう人とか、他にいないの?」
うまく言葉が出てこないのか、それとも単に億劫なのか、彼はどうも歯切れが悪い。それでも辛抱強く、「どういうこと?」と尋ねると、彼はちょっとこちらに目を向けてから、口ごもる調子で言った。
「だから……結婚してもいいの? 他に……愛していた人はいないの」
ちょっと驚く。けれど同時に傷ついた。
わたしは一旦唇を噛み締めてから、なんとか平常心を取り戻して応える。
「あなたは、どうなの」
そう、あなたは? 他に妃にしたい人がいるの?
彼はやや苛々した調子になる。眉根を寄せ、目を合わせた。
「僕はいないよ。君は?」
「わ、わたしもいないわ」
ああ、そうか。彼は質問を返されるのがいやな人だった。
そうよ。わたしは傷つくべきじゃなかった。
彼は彼じゃない。彼が彼であって彼でないように。
「わたしは、あなたの許嫁と言われて育ってきたわ。ずっと、あなたの妃にとしか、考えていないわ」
本当のことよ。たとえわたしがあなたではない人間を好いたとしたら、それは裏切り? ちがうわ。あなただってそうでしょ。むしろ、あなたが仕向けたことよ。
彼はその葡萄色の瞳を歪め、漆黒の髪をかきあげた。
次に彼の口から出た言葉は、予想もしていない、ことだった――。
「兄上が死んだよ」
風が細く長くうそぶいた。ガタガタと窓を揺らす。
「殺されたんだ――」
いつしかポツポツと降りはじめた雨。窓ガラスに激しく当たっては跳ねていく。
雷鳴が響いた。地を、震わせるような。
葡萄色の瞳に射すくめられ、身体がこわばる。わたしは知らぬうちに指先が震え、目は見開かれていた。
第一王子の暗殺――驚愕の事実に、言葉もない。だってそれはいろいろな意味を指しているから。
王国では派閥はなかったはず。たくさんの王子がいるにも関わらず、継承権で争い事を聞いたためしはない。そんな王子の暗殺――それはなんのために?
可能性はふたつ。内部か、外部か。内部の犯行ならば、第二王子である彼側の人間の仕業。外部の犯行ならば、次に命を狙われるのは――彼。
ああ、そんな。そんなことってないわ。
どちらにしろ、次に王位継承権を得たのは、他のだれでもない、彼なんですもの……。
クスッ、という声が聞こえた。ハッとして我にかえると、彼がこちらをじっと見すえていた。
「僕は兄上を退いてまで王になりたいと思ったことはない……暗殺はあきらかに外部の犯行だ」
きっぱりと言い切り、彼はいつしか笑みを浮かべる。やや自嘲的な笑みを。
「次に刺客に狙われるのは、僕だろう」
ぱっと見開いた目に、揺るぎない彼の眼をとらえる。決して奥を見せない、神秘的とも呼べる眼――……。
次の瞬間、わたしは彼の腕のなかにいた。
「シーラハンドさま……?」
「僕は王になる」
ぎゅっと抱きすくめられた腕に力が込められ、わたしはそれ以上ものも言えなかった。ただ、この抱きの理由に戸惑う。
彼はそっと笑う。
「君は王妃……君と僕の子が、次の王だ――それでいいの?」
ぞく、と背筋に寒気が走る。見透かされているような錯覚を覚える。
けれど。
「いいわ」
その葡萄色の瞳を見つめて、ささやいた。半ば自分にいい聞かせるようにして。
――彼の、思いの外やさしい、口づけを受けながら……。
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朝日がまぶしい。白い布地のシーツが乱れているなか、淡い光の線に照らされる。
隣では静かな寝息をたてている彼。その闇色の髪に指を滑らせれば、柔く弾き返される。
わたしは眠る彼を起こさぬよう気をつけながら、そっと手で顔を覆ってため息をこぼした。
――悲しみなんて、感じる資格などないのに。
たぶん、彼は察していたのだ。けれどきっと、気づいてはいないだろう……わたしが彼に彼を重ねているということには。
虚しさだけが残る。いつも。
「……エナーシャ……?」
ふいに呼ぶ声。あわてて顔をあげると、目を覚ました彼がこちらに目を向けていた。
どうしてだろう? なぜ、この人はこんな表情をするの? 昨夜は半ば無理矢理だったくせに。
「……もう、後戻りはできないよ」
しかし、そう言った声音は冷たかった。
わたしはぐっと力を込め、窓から入ってくる光に目をとめて口をひらく。
「あなたの妃になるわ。……そういう覚悟は、ずっとしてきた」
大丈夫。後悔なんてしない。わたしは、しないわ。
いつだって、彼のそばにいたいから。