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(5)




■/□/■/□/■/□


 これほどまでに、あからさまな殺気ははじめてだ。

 俺は彼女を庇うように移動する。とにかく、どこか身を隠す場所が必要だ。

 けれど、庭園には俺たちと敵とをはさむ障害物となるべきものがまったくといっていいほどない。つまり、俺たちの姿は敵に丸見えで、いつでも襲いかかられてしまうということ。

 白い息が、口からすぅっと天へ伸びた。


「どうしたの……?」

 やや声をひそめ、エナーシャが尋ねてくる。俺は目だけで「静かに」と言い聞かせ、辺りをうかがう。

 ああ、なんということだろう。俺たちが今いるのは、開けた空間だ。周りは葉を失った木々や、植木で覆われているけれど、姿を隠してくれるものはちょうどなにもなく、小広場のようなスペースへ出てしまった。どうやら誘導されてしまったようだ。

 目を走らせれば、気配がする。あちらこちらから、肌を痛いほど突き刺す殺気。

 たぶん、狙いは俺だ。エナーシャは? 彼女は狙われていないのだろうか? ならば、さっさと離れてしまったほうがいいのだろう。

 抵抗なしに死んでやる気はさらさらない。ないけれど、たぶん、俺は生きて再び立ち上がることは無理だろうな、と直感した。

 エナーシャのふんわりゆるく巻かれた髪に指を通す。

「エナーシャ……どうか、俺を忘れないで。それから……」

 ――シーラハンドを、よろしく頼むよ。

 ささやき、彼女の背を押して、俺は走り出す。見事に殺気は俺を追ってきた。

 ああ、油断した。まさか、この場所まで突き止められているなんて。第一王子の兄上が死に、次に狙われるのは第二王子であるというのに。最初から、罠だったのか。

 にやにやと笑う大臣の顔が頭をよぎる。

 ……最初から? だれを殺すために?

 そう。はじめ、今日エナーシャに会いに行く役割は、俺じゃなかった。では、はじめからシーラハンドを殺すつもりだったというのだろうか。

 そこでハッとする。たぶん、もし、この殺気の黒幕が大臣なら、そいつは第一王子殺害の共犯者として俺を脅し、第二王子という役にあてがって操り、権力を自分のものにするつもりではなかったのか?

 シーラハンドを、亡き者にしたあとで。

 つまり、だ。シーラハンドは気づいていたのだろう――自分の命が狙われているということに。だから最近、様子がおかしかったのだろう。

「それでいい」

 つぶやく。そう、それでいいのだ。

 おまえは影として俺を使えばいい。俺はそれを、裏切りとも思わないのだから。

 この命、おまえのために使うのならば、惜しくはない。


「――ッ!」

 キラリと光るものが、目の端にとらえられた。身をふせたおかげで、間一髪当たることはなかったが、肩をなにか鋭いものがかすめていった。

 しかし休む間もなく、次々とその刃は俺めがけて襲いかかってくる。なんとかかわしつつ、鞘から剣を抜いて、弓矢やらナイフを弾きかえした。

「何者だ!」

 立ち上がり、叫ぶ。刺客だろうから、名乗る者はいない。

 けれどもし、相手がシーラハンドを殺そうとしているならば、俺はあいつになりきってやる。

「僕が第二王子と知っての狼藉か!」

 銀色の諸刃の剣。ぐっと力を込めて握る。

 白い息が口からこぼれ、冷たい外界とは対照的に、身体の内側は熱くなってゆく。耳はじんじんとして、かすかな震えが走った。

 一瞬の静けさ……そして、次の瞬間。

 四方から、一斉に矢が放たれた。さすがに、すべてをよけるのは無理だと瞬時に判断し、せめて見える分はたたき落としてやろうと剣を振るった。

 太股と右の背中に、ひどい衝撃が走り、思わず前のめりになる。ふらつく足をなんとか踏ん張らせ、地に膝をつくことだけはしなかった。

 俺は、シーラハンド。敵に背を向けることはしない。地に伏せる姿など、見せてやらない。

 剣を握る腕に、さらに力を込める。

「……俺は」

 ぽた、ぽた、と赤い血が傷口をつたい、白い大地に落ちていく。背の傷をぐっと抑え、目をつぶる。

 俺は。

 ハッとしたときには、遅かった。ずきりと痛んだ太股のせいで、動きが鈍った。

 ああ、もう、避けられそうにない。


 ――シーラハンド。ありがとう。

 おまえの弟で、俺は、幸せだったんだ。









■/□/■/□/■/□


 痛みは、いまだ、ある。

 けれどそれは、背中と太股。新たな痛みはふってこない。それに、殺気が驚くほどあっという間に消えうせていた。

 なぜ?

 目をあける――そこに、そいつがいた。

 黒髪を振り、やはり銀色に輝く諸刃の剣を持ち、降ってきたすべての矢を切り落として、そいつは俺の前に立っていた。

「シ……シーラ、ハンド……」

 声がうまく出ない。どうして、なぜ、そんな疑問が頭を埋め尽くす。

 どうしてここにいるのだ、俺の片割れ。

「おまえ……どうして?」

「ばかやろう」

 チラと振りむいたそいつは、口の端に挑戦的な笑みをこさえていた。葡萄色の瞳が、きらりと光る。

「おまえと、僕は、ふたりで第二王子なんだ。そうだろう?」

 ニッと笑うそいつは、実にそいつらしくない。いや、昔のそいつみたいだ……目頭が熱くなる。

 シーラハンドはそのまま、目を細めて言った。

「……エナーシャのこと、悪かったな……」

「いや……」

 そんなこと、どうでもいい。どうでもいいんだ。

 ただ、おまえがここに来てくれたことが、こんなにもうれしい。俺を必要としてくれたことが、こんなにも。

 やっぱり俺、おまえの弟で、よかった。

「シダ」

 振り向き、シーラハンドはにっこりと笑う。いつもよりも、随分穏やかで、すっきりした表情だ。

「これからの国のことを、エナーシャのことを、頼む」

「なにを言って……?!」

 俺は、首を傾げる。そして、つぅっとシーラハンドの口の端から流れ出た、赤い赤いそれを見て、一気に震えあがった。

 なぜ、血?

「おまえは、賢い。剣術は、僕よりも他の弟王子よりもやや劣るかもしれないけれど、でも」

 ぐっと腕を握られる。見開いた俺の目には、今もなお穏やかに笑うシーラハンドが映っている。

「でも、おまえは心根のやさしい奴だから」

 そう言ったシーラハンド。俺は怖かった。怖い。怖いのに、目は無意識に彼の胸へと移る。

 ちょうど心臓のところだろう。矢が、深く、刺さっていた。

 ぞくりと、震えが再度走った。

 ばかやろう。やさしいのは、どっちだ。

 こんなの、嫌だ。嫌だ。

「嫌だ……死ぬな……助けてやる、から」

 お願いだ、シーラハンド。


 矢は深く刺さり、そこからドクドクと血が流れ出ている。ゴフ、という咳とともに、シーラハンドは吐血し、倒れた。

 その身体を支え、膝をつき、泣く。

 そいつの呼吸が徐々にか細くなるのが、怖かった。

 すべて攻撃を避けたと思っていた。けれど、ひとつだけ、シーラハンドはその身に受けていたんだ。

 ――俺をかばって。


「おまえがいなくちゃ、第二王子は存在できないんだ!」

 赤く血塗られた手を握りしめ、必死でそいつをこの世に繋ぎとめようと叫ぶ。

 そいつは「泣くな」と微笑すら浮かべて、俺の頬に手をおいた。

 目はうっすらとしかひらかれていない。吐く息はどこまでも白く天に昇っていく。

「シダ」

 そうつぶやいて、シーラハンドは、息をひきとった。










■/□/■/□/■/□


「シダ……さま……?」

 ふいに、声がした。顔をあげれば、水色の瞳がこちらをのぞく。

「どうしたの……シ、シーラハンド王子!」

 片割れのそばで呆然としていた俺のもとに、彼女は駆けてきた。蒼白な顔だ。

 それはそうだろう。倒れている男の傍らには、そいつの血でまみれた俺が絶望に打ちひしがれていたのだから。

 水色の瞳が、歪む――瞬間、ぼうっとしていた頭は一気に覚醒した。

「エナーシャ!」

 驚愕に見開かれる、彼女の水色。手を伸ばし、身を起こす。

 ああ、護ろう。おまえの大事なものを、護ろう。

 彼女に向けられた殺気を、俺は受ける。



 たしかに俺たちは似ていたのだ。けれど同時に違ってもいたのだ。

 薔薇とアネモネのように。その花言葉のように――俺はおまえの、『愛情』の『期待』に、応えられただろうか?



「シーラハンド」


 目をつぶる。最期のささやきは、聴こえただろうか。


 衝撃が心臓を貫く。視界がかすんで、よく見えない。

 白い、地面。そこに広がる、赤を見た。









 * * * 



 ああ、どうやら俺の予想ははずれたようだ。

 最初から、俺たち“さんにん”を殺すはずだったんだろう?


 こんな最期か。でも、よかったのかもしれない。

 エナーシャと出逢えた。

 シーラハンドと過ごせた。

 悪くない、人生だった。




 双子で、よかった。ずっと一緒に過ごしてきた。

 これまでも。そして、これからも。










これにて第三楽章は終わりです。

次で最後になります。


最後までお付き合いくだされば幸いです。

よろしくお願いします。

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