31・元婚約者の味方じゃない。に。
踵を返して急ぐ。……はずだったのに。
「だから、待てってば。協力してくれてもいいだろう。幼馴染なんだから冷たいな」
前に回られて道を塞がれる。……最悪である。確かに幼馴染だし手の掛かる弟のように思ってもいて幼い頃は度々手助けをしていた。だが、お前は何歳だ? と尋ねたくなるくらい幼稚で自己中な発言である。キアラが受け入れる必要などどこにもない。
「二人で説得することこそ夫婦になっていくものでしょう。二人で力を合わせて障害を乗り越えられなくてどうするの。いつまで私を頼る気? 子どもじゃないのよ。あなた結婚して夫として妻を支えやがては父として子を守る存在になるのにそんな時まで私を頼るつもりなの? 妻や子どもにそんな頼りない姿を見せるわけ?」
「い、いや、そういうわけじゃ……。今は俺の味方をしてくれてもいいだろうって話だよ! どうせ、俺と婚約破棄して恋人も婚約者も居ない寂しい独り身だろ! どうせ暇なんだろうから手伝ってくれてもいいじゃないか」
どうせ、暇だとか
どうせ、寂しい独り身だとか
あまりの言い草にキアラはブツッとどこかで何かがキレた音がしたな、と思いつつ激昂仕掛けて、ここが王城だということを思い出す。
既に冷静さを失いかけていたが、今はまだ挽回できる、と判断し、落ち着け落ち着けと内心で呟いてから背筋を伸ばしてマルトルを見据える。
「私に婚約者や恋人が居ないこととあなたに協力することは全く別です。勝手に暇扱いしているけれど暇でもないの。それに私は、今、仕事中。これ以上あなたに構っている時間は無いのよ」
そう、キアラは休憩時間中では無い。
「暇だろうに無理しちゃって。強がらなくていいから。それに仕事中とか言ってるけど侍女ってなんか暇そうじゃん。キアラ程度じゃ大した仕事も任されてないだろうし、そんなキリキリするなよ。おっかない顔してるぜ」
キアラはマルトルに対する幼馴染の情も消え失せていたが、怒りすらもうマルトルに抱かない。こんな男に何かしらの感情を持つ事すら無意味に思えて一切無視しよう、とマルトルの脇を通ろうとした。
「無視するなよっ」
パシッ
キアラのその態度が気に入らなかったのか、そんな音がキアラの耳に届き、遅れて頬に熱を感じた。瞬間的な熱に、なに? とキアラが混乱した直後に痛みが頬に走りキアラはそこを抑える。
痛みと熱が掌に伝わってようやくキアラはマルトルに頬を叩かれたことに気づいた。
呆然としてそれから徐々に状況を理解し、グッと唇を噛み締める。
ここで取り乱すのは、王妃殿下の部屋付き侍女としての失態になってしまうし、感情を溢したら負けの気がするし、口を開いたら痛みで泣きそうになってしまいそうだし、喚き散らしそうにもなっているし、で、迸る感情を抑え込むのに必死で。
「お、お前が悪いんだからな! 俺が助けろって言ってるのに無視しようとするから! 幼馴染なんだから言うことを聞けよ!」
荒れ狂う内心を抑え込むキアラの耳に上擦った挙げ句に逆ギレして非難してくるマルトルの声が届いて頬を押さえたままマルトルを見れば、おそらく頬を叩いた自分に驚いて慌て、自分が悪くない、と叩いたことを正当化するために、人差し指を突き付けてキアラを弾劾するマルトルがそこにいた。
ーー幼馴染としての情すら無くなった。
キアラの中でそれだけじゃなく、マルトルという人間に対しての底の浅さも知れた気がして、今度は吐き出したい気持ちを呑み込むように喉を上下させて耐える。
落ち着け。
もうこの男と関わるな。
同じ場所に立つな。
この男と同じ場所に立ってやり合ってもいいことなんて一つも無い。
涙がじんわり溜まって来そうで瞬きをして涙を散らす。
……そんなキアラの視界に大きな背中が入ってきて。
ーーえ、なに?
驚きで必死になって散らしていた涙が、引っ込んだ。
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