1・婚約破棄された。気にしたくない。
その日は曇りがちの空だった。
キアラはこのところ全く会えなかった婚約者からの久しぶりの呼び出しに溜め息をついていた。
キアラの婚約者であるマルトルは、親同士が学園時代の友人である。爵位が子爵と男爵ではあるものの気楽な下位貴族同士、気が合う親達によって結ばれたお相手だ。
どちらかと言えば五・六歳の頃から一年か二年に一度会っていた幼馴染のようなもので、あまり婚約者らしい思い出は無い。
友人と婚約者の境目が分からないようなそんな曖昧な関係。キアラにもマルトルにも互いへの恋情は無いけれど、まぁ穏やかな関係は築けるのではないか、とは思っていた。少なくてもキアラは、そう思っていたけれど。
多分、マルトルは違うのだろう、とキアラは二年程全く会っていないことで気づいていた。
とはいえ、会っていなくても別に構わない、と思っていたキアラもまぁ大概なのだろう。
「キアラ」
「マルトル」
呼び出された場所は一般公開されている王城の庭園。親子連れや恋人同士の平民や婚約者だろう貴族の令息令嬢も見受けられる。一見するとデートスポットに思える所での呼び出しだけど、キアラはそんな甘いものではないことだけは分かっていた。
ーー何しろ、マルトルは明らかにキアラ以外の女性に恋をしていたから。
マルトルに好きな人が出来たことは直ぐに分かった。隠そうともしていなかったのでマルトルが女性と親しく腕を組んでこの庭園を散策していたのを見かけたことがあったから。
「あの、キアラ」
「久しぶりね、マルトル。二年ぶりくらいかしら。話があるのでしょ」
二年ぶりくらいかしら、と嫌味を言ったけれどマルトルはそうだっけ? と首を傾げている。
一応婚約者という立場のキアラに対してこの態度なのだから本当にマルトルの中でキアラへの立ち位置は低いとしか思えない。
「あ、うん。その、婚約なんだけど、破棄をしてもらいたい」
モゴモゴと口篭りつつマルトルが言う。
キアラよりちょっと背の低いマルトルが背を丸めて言う姿は、幼い頃から言い難いことを言う時の癖だ。小さな頃はそんなマルトルをそれでも仕方ないな、と笑ってやり過ごしてきた。
いつの頃からか、仕方ないな、と笑えなくなったことも思い出す。
煉瓦色の髪と茶色の目をしたちょっとばかり見目の良い幼馴染が、いつからか遠い存在になりつつあった。他の女の子と付き合い出してから、ではなくもっと前から。
キアラの気持ちが変わったからなのか、それとも他に要因があるのか。……まぁいいか。
だから。
まぁそういう話になるだろうと思っていた。
キアラは溜め息を一つついてから「理由を聞かせてくれる?」と一応問う。
「す、好きな人が出来た。彼女と結婚しようと思っていて」
素直に打ち明けてきたことは、まだ評価出来る。一応婚約者が居るのに他の女性と親しげに接していたのはどうかとは思うけれど。
口煩く言う気はない。
「……そう。じゃあ、マルトルのお父様にそのようにお話なさって。私も父に伝えておくわ」
キアラはアッサリと婚約破棄に同意する。
「い、いいのか?」
「なにが?」
「キアラの結婚が無くなったんだぞ?」
「変なことを言うわね。マルトルが婚約破棄を申し出てきたわけでしょうに。そんなこと、分かっているわよ。でも、あなたも私も王城の使用人。あなたは騎士で私は侍女。あなたもそれなりに給金をもらっているだろうけれど、私も侍女としてそれなりに給金をもらっている。結婚出来なくても困りはしないわ」
自分から婚約破棄を申し出ておいて、キアラが結婚出来ないことを気にするマルトルにキアラは大きく息を吐き出した。
どうにもこの幼馴染は、昔から失言が多い。
そこを注意していたキアラが口煩く思えたのかもしれないし、母か姉に思えたのかもしれない。キアラも息子とは言わないが弟のように思って注意をしていたのは確かだから、どっちもどっちなのだと思う。
でももう、それも今日で終わりだ。
「それもそうか。侍女の給金もそれなりなんだな。じゃあ婚約破棄しても平気だな。それに、あれだよ。俺、キアラの顔が雀斑だらけなの嫌いだったんだよな。俺と釣り合わないんだもん。ルーナは雀斑なんて無い綺麗な肌だし。俺と釣り合うし。あ、なんだったら俺の同期とか紹介しようか」
……だから、そういう所が失言なんだ、とキアラは言いたくなったけれど、止めた。
もう、キアラには関係ない。婚約者ではなくなった以上幼馴染という関係ではあるけれど、キアラの方は会いたい気持ちが無かったので、王城内ですれ違うくらいはあるかもしれないけれど、挨拶程度で終わるだろう、と思う。
というか、キアラが雀斑だらけの顔に対してコンプレックスを抱いてないと思っているのか。
気にしていることを抉ってきた上に仮にも婚約者だったのに他の女と比べる発言をする辺り、本当に失言だと思う。
「要らないわ。マルトルは子爵家の三男。私も男爵家の次女。元々結婚しなくちゃならない立場じゃないでしょう。大体、寿命が三百歳前後だからみんな結婚に対してのんびり構えているでしょ。私だけが結婚出来なくて辛い、なんてことも無いわ」
「それもそうか。じゃあ父親には話しておく。キアラもおじさんによろしくな」
途端に機嫌良くニコニコとしているマルトル。
先程の憂鬱そうな表情は何処消えた? とは思うけれど、昔からお調子者というか、真剣味が足りなくて感情が先走って冷静さが足りないから仕方ないのだろう。
「最後に一つ。婚約者じゃなくなったから、呼び捨ては止めてね」
「幼馴染だろう?」
「マルトルのお相手の方が嫌だと思うわよ」
「そっか。分かった。じゃあまたな、キアラ」
……忠告したというのに、全く分かっていない去って行く背中に溜め息をつくキアラ。
婚約者ではない相手に呼び捨てにされるのは、キアラ自身も嫌だが、マルトルのお相手だって嫌だろうに。
それに「またな」とマルトルは言ったが、元婚約者と親しくまた会える関係が続くと思っている時点で、相変わらず能天気だな、とキアラは呆れる。
マルトルの中ではただの幼馴染という関係が続くと思っているのだろうが、キアラの方はそんなつもりは無い。
幼馴染とはいえ、自分以外の女性が好きな男の側に居るのは、マルトルのお相手は嫌だろうと思う。キアラなら嫌だ。それも、元婚約者なんて余計に。そういった思い遣りの無いマルトルの先行きを少し心配したが……それもまた、キアラには関係ないことだ、と思い直した。
こうして、キアラは五・六歳で出会った元婚約者であるマルトルとの婚約を、二十八歳を迎えて、破棄という結果で終えた。
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