第一章 八話「転生者の宿命」
「__ええ。それこそが、その概念こそが、貴方の特別な力なのですよ。ローレンス君」
「概念が……力?」
「ええ」
モーリスが先程の本をまた捲った。今度そこに描かれていたのは、どうやら楽譜のようだった。専門家ではないローレンスには読めないが。
「これは我が国に伝わる聖歌の譜面です。そして最強の、悪魔を祓う武器たりうるものですよ」
「どういうことだ」
「悪魔には通常の攻撃は効かないとさっき言いましたね。彼らは刺しても動くし、死にません。完全に消滅させようと思うと、手段はひとつしかない。それが『聖歌』なのです」
「聖歌が…………」
「ええ。神が昔我々に悪魔に対抗する力を与えるため、これを下さったと言われています。ただ、これには致命的な欠陥があった。我々には、『歌』という概念が存在していなかったのです」
歌の概念が存在しない世界。それはローレンスにとって想像しづらかった。しかし元の世界に悪魔がいなかったことを考えると、少し想像がつく気がする。もし誰かが悪魔を召喚する魔法陣を書いても悪魔はこない。存在していないのだから。それと同じようなものだろう。ないものをどうこうすることはできない。
「悪魔に襲われ人の数は少しずつ目減りしていきました。すると不思議なことに、『聖歌』を歌うことのできる人々が現れた。彼らは決まって奇妙なことを言うのです。『自分は別の世界にかつて生きていた』と」
それは、つまり。
「俺の生きていた世界……ってことか……?」
「さあ。それは分かりません。あるいは少し異なる別の世界かも。ですが、彼らには共通点があります。それは皆、元の世界に『歌』が存在していたということです。この世界の聖歌のように神の授けたものではない、普遍的に広まった概念としての『歌』が」
モーリスが本をぱたりと閉じた。本棚に戻しに行く背は、歓びに満ちているように見える。ローレンスは何度か口を開閉した後で言った。
「……でも、お前は俺を待っていたと言ったが、俺以外にも転生者はいるんだろう? 別にスラムのガキ一人くらい放っといてもいいんじゃないか」
「いえ、それは……。まず、転生者はそもそも数が少ないのですよ。この国に今百人ほどでしょうかね」
「百人……」
モーリスが頷いた。
「この国の人口は約八千万人。悪魔はどこからか現れ人を喰らいますが、転生者の多い首都ではなく辺境の街を狙う。そこに分散してさらに転生者を配備しなければならない。何人いても足りないんですよ」
ローレンスはそれを聞き、黙り込んだ後で低く呟いた。
「……ひとつ聞きたいことがあるんだが」
「何でしょうか?」
大体の話は分かった。
まず悪魔という存在がいて、これはひとを喰う。ローレンスは知らなかったが、この世界ではわりとメジャーな存在らしい。そしてこれには普通の武器は効かない。倒せるのは『聖歌』だけ。そしてそれを歌えるのは『歌』の概念の存在する世界から来た転生者たちだけ。つまり転生者は、悪魔と戦う義務を持っている。
(なんて、誰が決めやがった)
「お前は先見の力を使って転生者を探し出し、説得して連れてきてるってことだよな?」
「ええ。そうですね」
「協力しないっつったらどうなるんだ?」
モーリスの話を聞く限り、転生者は半強制的に悪魔と戦わされているようにしか聞こえない。勿論中にはその宿命を拒否した人間もいるだろう。そういう転生者たちはどうなったのか。
「イデアさんはまたあそこに逆戻り、ですね」
「俺の話じゃない。例えばだ。例えば俺以外のやつで、金なんかを見返りに王宮に来て、話を聞いて、やっぱやめたい! ってなったやつはどうなる?」
うーん、と考え込むモーリス。どう話そうか迷っている様子だ。
「…………ローレンス君は、今この大陸にいくつの国が存在しているかご存知ですか?」
「知るか」
ローレンスが知っているのはスラムだけだ。大陸どころか、この国の規模さえも知らなかった。
「この大陸には現在、四つの国が存在しています。そして彼らもまた同じように悪魔の危機に晒され、転生者を求めている。私のような先見も抱えています」
「……それで?」
モーリスはえーと、と唇に手を当てた。そしてわざとらしく声を作る。
「『資源は限りあるもの。手に入れるためには、抗争は不可欠』でしたっけ? 今の我が国の王様のお言葉です。
ええとですね。協力してくれない人が他国に流れ、もしそちらで聖歌の歌い手になってはそちらの利になってしまいますよね?」
つまり、そういうことだ。選択肢など存在しないのだ。イデアを治してもらえる分、ローレンスは恵まれている。大した望みもなく王宮に来た転生者の中には、絶望した者もいるに違いない。
「……転生者は悪魔に対する加護か何かは持ってないのか?」
「ありません。体は普通の人と同じなのですから」
「喰われたら死ぬわけだな」
「当然でしょう?」
(……ああ、やっぱり、この世界はクソだ)
「勿論協力してくれますよね? ローレンス君」
「……畜生、やればいいんだろ」
どうせイデアが人質のようなものだ。ローレンスは吐き捨てるように言った。モーリスはそれに両手をぱっと組む。
「よかった! ……私ね、本当に貴方を待ってたんですから」
「転生者を、だろ」
そう言えば、彼はいえ、と首を横に振った。その瞳が一瞬何か不審な色を宿した気がするが、読み取れはしなかった。
「いえ、違いますよ。貴方ですよ、ローレンス君。言ったでしょう? 貴方はいっとう特別だと」
「ハッ、一体俺に何ができるって言うんだ?」
「世界を、変えるのですよ」
モーリスが噛みしめるようにそう言った。ローレンスは思わず呆けてしまう。
(世界を……変える? こいつは何を言ってるんだ)
「……俺に世界を変えることはできないし、変える気もねえよ」
「ええ、今はそうでしょうね」
ふ、と彼が目を閉じた。もう一度開いた時には、モーリスはあくまで事務的な表情に戻っていた。にっこりと笑ったその顔も、どこか無機質に感じる。
「さて、それでは案内しましょうか。貴方と同じ、転生者たちの元へ」