第一章 五話「家族との別離」
「話は終わりましたか?」
見計らったようにモーリスが中に入ってきた。小声で話していたのに、まるで聞いていたかのようなタイミングだ。
「ああ。お前らの口車に乗ってやるよ」
「それでは来ていただけるのですね?」
「ああ」
ローレンスは頷いた。
この男も、騎士たちも、国も、何一つ信用できやしない。けれどここにいてもイデアは弱っていくだけだ。それなら、動くしかないじゃないか。自分を閉じ込めていた檻の鍵を与えられたなら、後できるのは、それを開くことのみだ。
「視えていたとはいえ、ほっとしましたよ!」
モーリスはにっこりと笑い、再びフードを被り直した。
「それでは行きましょうか」
「すぐに行くのか」
「善は急げ、ですよ。何か持っていきたいものがあれば準備の間待ちますが」
「特にない。……王宮までどうやって行くんだ」
「馬車を手配しています。そこまではご案内しますよ」
どうやら騎士やモーリスの馬に一緒に乗せられるわけではないらしい。
「……交換条件、嘘だったら承知しないからな」
「勿論ですとも!」
モーリスは頷いた。
「貴方は随分警戒心が強い。いやはや、良いことです」
警戒心が強くてもこうやって口車に乗せられていてはどうしようもないのだが。歯噛みをしつつ、ローレンスはイデアの前にかがみこんだ。イデアは長く臥せっているせいで、上手く歩けないのだ。
「大切な女の子のために、身を差し出す。実に健気ですねえ」
「黙れ、クソが」
イデアは枯木のように軽く、細身のローレンスでも簡単におぶることができる。外に出ると二人の騎士がこちらをぎろりと睨んできた。
「彼らに彼女を預けてもいいんですよ。貴方も馬に乗せてもらっても構いませんし」
「死んでもいやだね」
べえっと舌を出し、ローレンスは自分の足で歩き始めた。近所の知り合いたちが、何事かとこちらを見てくるが、厄介ごとだと踏んだのだろう。誰も関わってこない。
スラムとはそういうものだ。同情心を出して巻き込まれると損をするだけ。だから、あの日ローレンスに手を差し伸べたイデアは、とびっきりの馬鹿だ。
その馬鹿を助けるためにいくのだ。
馬車までイデアを連れて行ったローレンスは、一緒にそれに乗り込んだ。尻の下がふかふかとしていて落ち着かない。イデアは向かいにもとりつけられた、長めの椅子に寝かせることにした。
「それでは、また王宮で」
そう言って去っていったモーリスに、中指を突き立ててやった。クソガキで結構。
頬のこけた少女は久しぶりに外に出て疲れたのか、うとうとと微睡んでいる。その彼女を眺めていると、やがてうっすらと目が開かれた。
「イデア、起きたのか?」
「ありがとね、ローレンス」
「何だよ、また礼か?」
そんなものはいらないとさっき言ったのに。
「見捨てないでくれて。ほんとなら仕事ができなくなった時に私、死んでた。それなのにローレンスがご飯を分けてくれて、水も汲んできてくれて。ありがとう」
「…………」
彼女がこんなに改まってローレンスと話したことはなかった。今まで何となく、お互いにそういうことを言うのを避けていた節もある。
血のつながりもない相手を助ける理由が見つからないから。そこをはっきりさせたら、ローレンスは出ていくか、あるいは素直な言葉を口にするしかなくなってしまう。
モーリスは、イデアとは暫く会えないと言っていた。
なら、少しくらい素直になってもいいか。
そう思えたローレンスは、それでも恥ずかしくて唇を尖らせながら言う。
「……家族なんだから、当たり前だろうが」
血のつながりがなくたって、出会って数年だからって、自分たちは家族だ。神の前でだってそう断言できる。イデアはそれに大きく目を見開いて、そして笑った。
「うん! 私たち、家族だ!」
やがて馬車が王宮の裏門らしき場所につくと、白い衣を纏った人々がそこで待ち構えていた。そこにはモーリスもいた。
「初めまして」
先に馬車から降りたローレンスは、白衣の人々の一人に話しかけられた。彼女は壮年の女性のようで、硬質な雰囲気を纏っていた。
「あんた、誰」
「……私は医術士のサリーと申します。イデアさんは我々医術班が預からせていただきます」
「医術士……」
前の世界でいうところの医者だ。彼らは担架を持ってきていたようで、イデアをそこに手際よく乗せた。
「ローレンス君には色々とやっていただきたいことがあるので、暫くは会えませんよ。お別れの挨拶でも何でもしてください」
「いらねえ」
ローレンスは首を横に振った。家族に別れの挨拶などいらない。
自分がこれから何をさせられるのかは知らない。けれど、家族という言葉だけで、心に小さな炎が灯る気がした。
イデアが医術士たちに連れていかれた後、モーリスは「では行きましょうか」と手を叩いた。
「行くって、どこに行くんだよ」
ローレンスは改めて周りを見渡す。使用人たちが出入りする、先程自分たちが入ってきた門。地面は石で舗装されていて歩きやすい。遠くに大きな建物が見えたが、あれが王のいるところだろうか。とにかく王宮は広そうだった。こんな開けた場所に来たことのないローレンスは、これだけで目が回りそうになる。
モーリスはにっこりと笑って言った。
「まずは、私の部屋ですかね」
さあ、こっちですよ。そうマントを翻す男に、ローレンスは渋々ついていったのだった。