第一章 四話「固めた決意」
「私はモーリス・ラグディナといいます。この国の王宮に仕えている者です」
「王宮……。何してる人なの?」
「貴様、なんと無礼な口を!」
「いいんですよ」
いきり立つ騎士たちをモーリスが止めた。その口元は常に笑みの形に保たれている。ローレンスは、その男に品定めされるようにずっと見られている気がした。
髪は黒いヴェールのように滑らかで、造作も整っている。美しい男だったが、怪しさも満点だ。
ローレンスは騎士から、というよりもモーリスからイデアを庇うように立ちふさがる。
「お前ら、人んちのドア壊して、弁償してくれるんだろうな」
「勿論。まあ、する必要があるかどうかは分かりませんが……」
「どういう意味だよ」
威嚇するように睨みつける。何となくこの男には気をつけなければいけない気がした。感情を簡単に表に出す奴よりも、こうして表情を変えない奴の方がずっと危ない。
モーリスは「それはね」と指を立てて言った。
「君たちはここからもっといい場所に行くかもしれないからです」
「いい場所……?」
「ええ」
彼は頷いた。やはり信用できない、とローレンスは表情を一層固くする。
「何でまたそんな親切にしてくれるんだ?」
そう尋ねると、モーリスはまた笑みを深くした。まるでよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの反応だ。
「君の持っている特別な力のためですよ、ローレンス君」
その言葉に目を見開いた。
「特別な、力……?」
確かに自分は異世界転生者だ。けれどそんな力なんてものは持っていない。この世界にはステータスもなければ、冒険者のような制度、スキルも存在しない。それなのに、自分がいったい何ができるというのか。
まず前提として、この世界は前世で言うところの中世ヨーロッパあたりの時代なのだと思う。警察はいないが自警団や騎士団はいるし、国は君主制だ。水道の設備なんかも未発達だし、スラムになると汚物もその辺に放り捨てられている。
モーリスはローレンスの問いに首を横に振る。
「その話はここではしにくいんですよね。とにかく、一緒に来ていただけませんか」
「嫌だね。アンタらあからさまに怪しいもん」
特別な力があると言われて高揚しなかったわけではないが、スラムで十数年生き延びてきたローレンスは警戒心が人一倍強かった。
その時、イデアがごほごほと咳き込んだ。
「その少女、ここ数ヶ月、ずっと体調を崩しているのではありませんか?」
モーリスの言葉に、何故知ってしるのかと表情には出さないまでも動揺した。
「……よくお調べで。ひとんちを覗き込むのが趣味?」
「いえいえ、家ではありませんよ、覗いたのは」
「…………? どういう意味だよ」
「それもおいおい、ですよ。とにかく、彼女は長いこと病気なのですね? それも、仕事もできないほどの。この家にはまともな食糧も水もなさそうですから当然ですが」
「何が言いたい」
確かに言われたとおりだが、スラムにそんなものがあるはずない。
モーリスはローレンスの鋭い問いに答えた。
「簡単な交換条件です。君が来てくれるなら、彼女に国で最高峰の医術を施しましょう」
「なっ……」
「見たところ、かなり衰弱しているようですね。このままでは危ないかもしれませんよ」
それはローレンスも薄々感じていただけに言葉に詰まった。イデアの咳は日々悪くなる。咳に血まで混じるようになり、常に頭痛を訴えていた。きっと咳で頭が揺れるせいだ。
「国なら可愛い国民の一人くらい、無償で助けてくれればいいんじゃないの?」
「残念ながら今日は慈善事業をしにきたわけではないんですよ」
モーリスは怒る気配も、苛立っている気配もない。大抵の人間相手には舌鋒で勝つローレンスだがモーリスにはどこか手玉に取られているような気配を感じて腹が立つ。
「ローレンス……」
その時、イデアが小さく声をかけてくる。その声はひどく掠れていた。快活な彼女の笑い声を、そういえばもう随分と聞いていない。
「お二人で話してもいいですよ。待っていますから」
モーリスはそう言うと、騎士二人に声を掛け、一旦家を出て行った。といっても扉はそのままだが。
「ローレンス、本当にあの人、王宮から来たのかな……」
「……さあ、正直分からないけど、あいつは怪しいよ」
「うん、でも。ローレンスに特別な力があるって」
「そう言っていい気にさせたいだけだって。信じられねえよ」
「そうだよね……」
イデアはまたこほんと咳をした。その体も、随分と薄くなった気がする。ローレンスは少し考えてから「でも」と言った。
「乗ってやってもいいかなと思ってる。アイツの言葉」
低く呟いたローレンスに、イデアが目を見開く。そして何かに気がついたように目を伏せた。
「えっ、あ、それって私のため……とか?」
「勘違いするな。……俺、こんなとこで死ぬのは御免だし」
嘘だ。百パーセント、イデアのためだった。あんな奴の言う「特別な力」なんて信じられるわけがない。
特別な力があるとすれば、モーリスの方こそそれを持っているように感じられた。ローレンスが連れていかれてどうなるのかは分からない。顔だけは良いと自負しているから、ひょっとして国王の寵愛でも受けるのか。
(ははっ、笑えねえな)
「俺、王宮に行こうと思う。だから悪いがイデア、俺に付き合えよ」
「……うん、ありがとう、ローレンス」
何で礼なんか言うんだよ。そう呟いたが、イデアは力なく笑うだけだった。