#9
『試合に負けて勝負に勝った』
そんなスポーツ紙風の派手な見出しが、校内新聞の号外に躍っていた。一面の写真を大きく飾ったのはいぶきが「捕球」した瞬間の写真で、裏面には紀香が初回にスリーランホームランを打った場面の写真が載せられている。号外が貼り出された掲示板には黒山の人だかりができており、試合を見られなかった生徒もソフトボール部の大躍進に心を打たれた。
文責の鮎ヶ瀬は星花女子ナインの健闘、ならびに紀香が大会で記録を打ち立てたことを記事で称賛する一方で、誤審をした審判を激しく非難した。誤審だと断定したのは試合後、大会運営が誤審を認めて謝罪したからである。写真部員の纐纈幸来が決定的瞬間を撮影し、運営に持ち込んだのが決定的となった。しかも、東海道新聞も小さい記事ではあるが誤審問題を取り上げてくれた。その記事の切り抜きも、号外の隣に貼り出されている。
ジャッジを覆すことはできなかったが、星花女子に多くの同情の声が寄せられた。抗議権が無いのに抗議した坂崎いぶき、ルール上許されない抗議をした菅野監督は一応は処分対象となったが、注意で済んだ。これより重い処分であれば、大会運営はますます世間から糾弾されていたに違いない。
一方で、海谷商業には非難の声があがっていた。責任は誤審をした審判に責任があるのだが、誤審の恩恵にあやかって全国大会に出るのは許せないという歪んだ正義感を振りかざす者が少なからずいた。中には審判を買収したとか、審判は海谷商業OBだったとか根拠のない誹謗中傷もあった。もっとも、星花女子の生徒にはそういった行動に同調しないようにと、理事長伊ヶ崎波奈から厳命されていた。その波奈だが。もしも運営の謝罪が無ければ抗議文を直接手渡しに行くつもりであった。だが謝罪を受け入れたことで、二度と誤審を起こさないよう、改善の要望書を提出するにとどまった。
インターハイには一歩及ばなかった。しかしながら主砲、下村紀香は打率、本塁打、打点の大会記録を大きく塗り替えた上に四打席連続敬遠などの伝説を残した。彼女だけではなく、チームメイト全員が一丸となって突き進んだ。全国レベルの強豪二校を下したのは、紀香だけでは成し遂げられない快挙であった。
鮎ヶ瀬は記事をこの一文で締めくくっている。
――グラウンドで、撫子色の旋風が吹き荒れていた。
*
夏の暑さがだんだん厳しくなってきた頃のある日、三年生九名は最後の練習を終えた。整列して、一人一人が後輩たちに、監督に感謝の言葉を述べる。その八人目である、戸梶圭子はたどたどしいながらも自分の言葉を伝えた。
「まあ、いつも肝心な所で活躍できず申し訳ない気持ちがあったけど、エースとしての心意気は示せた……かな? と思います」
「先輩、もうちょい自信もってしゃべってくださいよー」
紀香が茶々を入れると「うるせえ!」と笑顔で怒られた。
「まあ、みんなと練習するのは一応は今日で最後だけど、次のステージに備えて自主練習に来るから、気軽に声をかけてください」
「次のステージ?」
「ああ。実は大学からお誘いが来てるんだ」
おお、と紀香たちはどよめく。
「つっても二部リーグの大学だけどな。まあそこでもエースになれるよう努力して、一部を目指して頑張ります。期待して見守ってください」
紀香たちは拍手で応えた。最後を締めくくるのは主将の坂崎いぶきだ。
「まずは菅野監督、そして後輩のみなさん、本当にありがとうございました。頼りないキャプテンで迷惑をかけることもあったかもしれません。だけどこの一年間で私たちは強くなりました。最後はもう少しでインターハイというところまで行けて……」
いぶきが言葉を詰まらせた。
「も、もう少しで……」
実は、いぶきは挨拶の前に同期に対して「どんなことがあっても泣かないようにしよう」と呼びかけていた。しかしその約束を自分で破ってしまった。一度溢れ出てしまった涙は、もう止めることはできない。
「ご、ごめんなさい……」
とうとうしゃがみこんで、慟哭しはじめた。他の八名も我慢の限界が来てしまった。
「お前、何で最後まで我慢できないんだよっ……」
圭子は泣きながらいぶきに抱きつくと、他の部員も次々と抱きついた。泣かない者は誰一人としていなかった。表情に乏しい黒犬静さえも泣いていた。そして一番泣いていたのは紀香だった。今まで本当にありがとうございました、と言ったのだが全く言葉になっていなかった。だがいぶきにはちゃんと伝わっていた。
「紀香、あなたと一緒にプレイできて楽しかった」
「うええええん、ざがざぎぜんばああい……」
「あーあー、もうっ、ジャージが汚れた……」
落ち着きを取り戻したいぶきが、紀香の体を離す。
「紀香、今から大事なことを伝えるからちゃんと聞いてね」
「あ゛い゛」
紀香の顔は涙と鼻水まみれになっている。
「明日から、紀香には10番をつけてもらうから」
「え゛?」
それが意味するところとは、キャプテンナンバーを背負うということである。
「監督とも話をしたんだ。これからはチームを、持ち前のパワーで全国まで引っ張っていって欲しいの。できるよね?」
「……あ゛っ、あ゛い゛っ!! がんばりまずううう……!! ずびびっ」
「おい下村ァ! どさくさに紛れて私のジャージで鼻噛むなっ!!」
圭子が、今度は本気で怒った。
*
七月、期末テストから開放された直後の土曜日。星花女子学園グラウンドではソフトボールの練習試合が行われていた。今までは素通りしていた生徒たちも、足を止めて観戦を決め込んでいる。相手はインターハイ愛知県代表である。本番に向けての調整の相手として星花女子を選び、わざわざ遠征してきた。
インターハイレベルの学校と試合をするのは過去にもあった。とはいえ相手をしたのは二軍とか三軍のメンツで、それでも負けることがあった。今相手にしているのは、本番を想定して組まれたベストメンバーである。星花女子は強豪からも相手にとって不足なし、とみなされるまでになったのだ。
ピッチャーズサークルに立っているのは有原はじめ。ユニフォームナンバーは新たに1番を貰った。投手陣の柱として認められた証拠である。
「えいっ!!」
はじめが身を躍らせて、ボールを投げる。得意のチェンジアップが決まり、相手は三振に切ってとられた。彼女は何度も格上と当たり続けて揉まれることで、めきめきと自信をつけている。
攻守入れ替わって、星花女子の攻撃が始まる。この回の先頭打者は二番の頼藤花子から。相手の投手はもちろんエースだ。
「よりふじー! いけいけー!」
新キャプテンとなった紀香が声を出し、一年生が追従する。それに応える形で、センター前へのヒットが飛び出した。
「よっしゃー! 続けほのかー!」
三番を打つのは加治屋帆乃花。準決勝の勝利の立役者である。彼女もまた巧くレフトへ流し打ちを決めた。
「キャプテーン!! 一発いっちゃってくださーい!!」
「おうっ!!」
10番のユニフォームをつけた紀香が、のっしのっしと打席に向かう。金網越しからも声援が飛んでいる。その中には美滝百合葉の姿もあった。先月、芸能活動での過労で倒れたが今ではすっかり回復している。
「よし、ここで約束を果たすか!」
退院後の百合葉と話をしたことがあった。その場で紀香は、今度の試合で快気祝いのホームランボールをプレゼントしてやる、と豪語していた。
ピッチャーズサークルに内野陣が集まっている。紀香は試合前に、相手のメンバーが自分の噂話をしているのをこっそり聞いていた。やばいとか凄いとか言っていて、危うく慢心しそうになるぐらい褒めちぎっていた。
それならば、実際に力を見せつけてやろう。
「学校に帰ったら、下村紀香の名前をよーく広めとけよ」
輪が解けたが、ピンチを迎えた投手の顔はこわばっている。紀香はいつものように大きく構える。
ボールが投じられた。いきなり絶好球がきた。
「うおりゃああ!!」
大きく響く打撃音。バットを放り投げて悠々と歩きだす紀香。がっくりとうなだれるエース。ホームベースから60.96mのところに設けられた仮設フェンスの遥か向こうを飛び越えていくボール。そして弾ける大歓声。
紀香はホームランの宣告を受けてからゆっくりと走り出す。百合葉の姿を見つけると、どうだ見たかとばかりに指を差した。百合葉の目は星のように輝いていた。
今まで何度も打ってきたホームランだが、格別な味だと感じるようになったのは10番を背負ってからだ。このユニフォームには先代主将の坂崎いぶきの想い、チームメイトの魂、自分を見てくれている人の願いが込められている。
「ナイスバッティング!」
先にホームインしていた頼藤、帆乃花とハイタッチを交わすと、ベンチのチームメイトとも次々とハイタッチを交わしていった。二年生よりも一年生の方が数が多く、顔ぶれはがらりと変わっていた。
紀香はスコアをつけている黒犬静の隣に座って、頭を撫でた。すると、お返しとばかりに頭を撫でられた。次の打席も良い結果が出せそうだ。
「よっしゃあ、どんどんいけー!! 遠慮なんかすんなー!!」
いちゃつくのもほどほどにして、いつもの声出しを始めた。
来年こそは絶対に、こいつらと一緒に全国に行く。紀香の瞳の中には炎が宿っていた
引退する65期生紹介
坂崎いぶき
戸梶圭子
穂苅知子
黒澤加奈子
湯沢純
新浦不二美
飯田薫子
山東あつみ
宇喜多秀美