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#7

 因縁の対決再び。五回の表、二死ランナー無しの場面で雲宝薫は下村紀香と相まみえた。


 一打席目はスリーランホームラン。二打席目はセンターフライだったがあわやフェンス越えというところであった。絶好調の紀香をいかに抑えるかが薫の課題である。


 一試合目では延長7イニング、タイブレークで常に得点圏にランナーを背負った状態での登板を強いられたものの、しのぎきった。ニューイヤーカップで紀香から屈辱のサヨナラホームランを浴びて以来、練習に練習を重ねた成果が出ていた。


 だが相手もまた大きく成長している。昨年までは格下だったチームがめきめきと力をつけて、優勝候補を二校も撃破してここまで駒を進めてきた。対して海谷商業は薫の力で勝ってきた要素が大きい。二回戦は完封勝利。ダブルヘッダーで迎えた三回戦も途中から2イニング投げて無失点。準決勝では先述の通り延長7イニング無失点。つまり、防御率0.00のパーフェクトピッチングを続けていた。


 疲労感はまったく無い、と言えば嘘になる。それでもエースとしての矜持が薫を奮い立たせた。


 まずは外角低めのスライダーで様子を見た。紀香は振る素振りを見せず、ボール球となった。


「球は見えているようね」


 薫は低めを攻める。今までは面白いようにくるくると空振りしていたのに、バットをうまく当ててきた。二球目はファールボールとなって、三塁スタンドに飛び込んだ。


「にゃあああ! また取ったー!」


 いいぞいいぞねこちゃん、という謎の声援が飛ぶ。前のイニングでもファールボールが飛び込んだときにこの変な声援がしていた。それが薫の気に障った。真剣勝負に水を差す行為だからだ。


「いったい何よ、ねこちゃんって」


 新しいボールを受け取った薫は、腹立ち紛れに土を軽く蹴った。


 紀香が大きくバットを構える。名門校ですら勝負を避けた化け物をいかに三振で打ち取るか、薫の頭の中はそれしかない。海谷商業は四年ぶりのインターハイ出場がかかっている。そんな状況で個人的な感情を勝負に持ち込むことは本来許されないことだが、インターハイに行くならきっちりと落とし前をつけておかなければならない、というのが彼女の考えであった。


 三球目はストライクゾーン一個分外したボール球。四球目は外角いっぱいに決まったストライク。そして五球目、薫が投じたボールは。


「ぬわっ!?」


 紀香が真剣な表情を崩して、目線を上げた。


 投球はふんわりとした山なりの軌道を描いている。まさにハエが止まりそうな、という表現通りのスローボール。


 紀香は打撃姿勢をやめてボールを見送ったが、ホームベース手前でワンバウンドし、キャッチャーが素手で捕球した。


 紀香がバットで薫を差す。


「おいコラァ!! こんなふざけた球投げんじゃねえ!! 堂々と自分の球で勝負しやがれ!!」


 薫は舌を出した。紀香の歯ぎしりする声が聞こえてくるようで、実に気持ちがいい。


「もっと怒りなさい。怒れば怒るほどドツボにはまっていくのは自分よ」


 などとブツブツ言いながら六球目のサインを確認する。攻めるところはやはり外角低めで、球種はスライダー。紀香はいつもより大きく構えている。完全に頭に来ている証拠だ。


 薫は自信を持って投げた。しかし連投の疲れが響いたか、狙ったところから若干内角側にボールが行く。それでも厳しいところに変わりはない。


「うらあ!!」


 紀香は捉えた。しかし打球は放物線を描くことはなく地面を這って、二塁手真正面のコースへ。


 球足は早かったが、捌くのに難しいゴロではなかった。それを二塁手は捕り損ねて、後ろに弾いてしまった。慌てて拾い直したものの、足の遅い紀香でもすでに一塁に到達していた。


「薫、ごめん!」

「ドンマイ!」


 人間はミスをするものだからこの程度でいちいち腹は立てられない。腹を立てるとすれば三振に取れなかった自分に対してだ。そして紀香もまた腹を立てていた。


「畜生!!」


 紀香が怒鳴ったが、薫の方ではなく下を向いていた。この怒りはホームランを打てなかった自分自身に向けられているものだ、と薫は感じ取っていた。


 それでも薫の意識はすぐさま、紀香から次打者の方へと向けられる。紀香との勝負が終われば、次の使命はこの場面を抑えること。そして味方の反撃で逆転勝利を信じることである。


 *


 一点リードで迎えた六回裏、ここまで抑え続けていたマリが捕まった。連打でノーアウト一、二塁。続く打者の送りバントの処理をマリがファンブルしてしまい、ピンチを拡げてしまった。


 ここで、菅野監督が賭けに出た。


『星花女子学園、選手の交替をお知らせします。ピッチャー、日置マリに代わりまして、貴伝名瞳。ピッチャーは貴伝名。ユニフォームナンバー42』


「瞳ちゃん! 瞳ちゃああああん!!」


 スタンドの百合葉は、金網にしがみついて叫ぶ。瞳は百合葉と同じ一年三組。大事な場面でのクラスメートのお出ましにテンションは上がりきっている。もう一人、同じクラスの美月もにゃあああ、と吠えながら瞳の姿をこれでもかと写しまくる。


「纐纈先輩、どうされました?」


 晶は撮影せずに、ボーッとスコアボードを見つめている幸来に気づいて声をかけた。


「いえ、貴伝名と書いて『きでな』って読むは珍しいと思っただけですわ」


 自身も「纐纈(こうけつ)」という難読名字を持っているのだが、纐纈家は名家ゆえに地元住民で読める人は少なくない。


「心臓と胃に悪い展開なのに、随分のんびりされてますね……」

「こう見えても心臓も胃も鍛えられてましたのよ。誰かさんにね」


 誰かさんとは何者だろうか。晶は後で聞いてみることにした。


 一年生が投げるには酷にも程があるシチュエーション。それにも関わらず、瞳は笑顔を見せている。無理をして作った笑顔ではなかった。


 プレイが再開された。打順は一番に戻っている。長身をしならせて、初球を投げた。打者のバットは空を切った。


「瞳ちゃああああん!!!!」


 百合葉の大絶叫。彼女につられて、どんどん声援が矢継ぎ早に送られてくる。それに瞳は応えた。簡単にツーストライクまで追い込んで、三球目は決め球のライズボール。バットはボール下をかいくぐっていった。


「っしゃあ!」


 瞳の気合いのこもった声が、大歓声の中でも響いた。続く二番打者に対しても、ライズボールが冴え渡り、三振。ピンチの規模が縮小されていくにつれ、スタンドの騒ぎは反比例して大きくなっていった。


「す、凄いですわ! このまま抑えきっておしまいなさい!」


 幸来はカメラのレンズのフォーカスを瞳に合わせる。


 大事件が起きるのは、この直後のことであった。

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