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#5

 エースの戸梶圭子(とかじけいこ)は新球、チェンジアップを覚えて投球の幅を広げた。これが持ち前の速球を活かすことになり、効果的に働いた。予選会初戦では三回コールドながらノーヒットに抑えて勝利。翌日は三回戦に登板して第一シード校相手に5イニング2失点の好投を見せた。


 ところが今日の圭子は、調子が良くなかった。狙った通りにボールが走らず、立ち上がりを攻められて初回に2失点。二回にも失点してすぐに同点に追いつかれてしまった。


 元来短気な性格も、状態の悪化に拍車をかけた。自分の思う通りにボールがいかないと苛立ち、コントロールをますます乱す。三回には二者続けて死球を与えてしまい、無死一、二塁のピンチを招いてしまった。


 菅野監督は早くも圭子を諦める決断を下した。ブルペンから呼ばれたのは同級生の黒澤加奈子(くろさわかなこ)、リリーフで起用される投手である。


「悪いな、こんなところで投げさせて……」

「大丈夫、何とかする」


 圭子は加奈子に肩を軽く叩かれ、ベンチに小走りで戻る。スタンドからは暖かい拍手が送られたが、歯ぎしりして悔しがる。監督からは何も言われなかったが、怒られた方がまだ気持ちもスッキリしていたはずだ。


「先輩、これをどうぞ」

「ん?」


 紀香が渡してきたのはタオルでもドリンクでもなく、メガホンである。


「モヤモヤイライラしたときは声を出すに限るっスよ!」

「ああ、そうだな」


 機嫌は相当悪いのに、不思議と紀香の言うことがスッと胸の中に入ってきた。圭子は思い切り声を張り上げた。


 次打者は五番だったが、送りバントをしてきた。これで一死二、三塁。ピンチに陥ったものの、長年圭子とバッテリーを組んできた穂苅知子(ほかりともこ)は冷静だ。加奈子に一言二言声をかけて、内野に前進守備の指示を出す。


 加奈子は落ちる球を得意としている。パスボールでも点が入る場面だが、知子は躊躇せず要求して、ワンバウンドのボールも全身を使って受け止めた。


 知子は相手を焦らすように一球一球、長めにサインを出す。四球目は小さく落ちるシンカーを要求し、相手打者がそれを引っ掛けてくれた。ボテボテのピッチャーゴロ、加奈子は拾い上げて知子に送球する。知子は慌てず、オブストラクションにならないようにホームベースの前縁を空けて捕球すると、滑り込んでくる走者にタッチした。


「アウト!」


 球審が宣告すると、圭子は自分でも何を言っているのかわからない絶叫を知子に送った。すると知子は、キャッチャーミットをかすかに上げて応えた。


 次の打者は初球から手を出した。高く打ち上げてしまい、ボールは風に流されて星花女子学園側、三塁ダグアウトに向かってくる。


 知子はマスクを放り投げて、ダグアウトに向かって突進してきた。


「知子ー! 無理すんなー!」


 ダグアウトの前には防球用の柵があるから、飛び越えでもしない限り中に突っ込んでくることはない。だが知子は、まるで柵が視界に入っていないかのように突っ込んでくる。


 防衛本能が働いた圭子と紀香は左右に分かれて退避した。ダグアウトの本の数十センチ手前でボールがキャッチャーミットに収まる。知子の体は急ブレーキしたが、柵にひっかかり、ぐるりと一回転してダグアウト内に転落した。


「知子ー!!」

「穂苅先輩、大丈夫っスか!!」


 圭子と紀香が助け起こそうとする。だが知子は手で制して自分で立ち上がり、駆け寄ってきた三塁塁審にミットの中身を見せつけた。


「アウッ、アウッ、アウトーッ!」


 塁審は何度も何度も右手を挙げてアウト宣告をした。スタンドの黄色い歓声が耳をつんざいた。


「知子、大丈夫か!」

「私は大丈夫よ。だけど眼鏡が大丈夫じゃなくなったわ」


 スポーツ用眼鏡のフレームが歪んでいた。


「下村さん、私のバッグに予備の眼鏡があるから出してきて」

「ウッス!」


 紀香に眼鏡を出させている間、圭子は自分から進んで知子の防具を外しにかかった。


「悪いな、私の後始末のために痛い思いをして」

「それがチームプレイってものでしょ?」


 知子は圭子の頭を撫でた。


 *


 天寿本社社長室。応接スペースのテーブルには、空き缶がいくつも転がっている。波奈と結唯はジャケットを脱いでブラウスをはだけて、社員たちに見せられぬだらしない格好になっている。もっとも、今日は休日なので出社している社員はおらず、誰かが入ってくるという心配はないのだが。


「あ、百合葉が写ってる」


 波奈が指摘した通り、テレビカメラはスタンドにいる百合葉にズームしていた。実況も解説も言及していないが、カメラマンは確実に気づいているらしい。


「今日の百合葉は一段と輝いて見えるわ」

「それは酔ってるせいもあるんじゃない?」


 結唯がからかう。少しろれつが回っていなかった。


 カメラは再びグラウンドを映す。四回表の星花女子学園の攻撃である。


「でも、今日の主役はこの子たち。一生懸命打って、投げて、走って、守って。そのひたむきな姿勢が周りの人を魅了する。彼女たちもまた、アイドルになっているの」

「じゃあ、スタジアムはさながらコンサート会場ってことね」

「ええ。だけどこのコンサートは、決められたプログラムに沿って進むものじゃない。昔から言われてるでしょ? 野球は筋書きの無いドラマって。ソフトボールだってそうよ」


 波奈が言い終わらないうちに、実況が叫ぶ。


『打球は左中間を破っていきます! バッターランナーは二塁へ!』


 チャンス到来に、二人はきゃあきゃあと騒ぐ。もう社長と副社長の姿ではなくなっていた。


「筋書きの無いドラマでも、結末は勝利で決まっていて欲しいものね」

「全くその通り」


 もう何本目かわからないが、二人は缶ビールを開けてカツン、と合わせたのだった。

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