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#3

 春蘭会女子高校はインターハイ出場通算18回、さらに2回のインターハイ優勝経験を持つ。昨年の予選準決勝では海谷商業を倒し、その余勢を駆って決勝戦も制した。


 そんな強豪を相手にはじめは投げているのだが、テントウムシのお守りのご利益か初回の犠牲フライで一点を献上した以外は崩れることはなく、順調に相手を抑えていた。


 得点圏にランナーを背負いプレッシャーがかかる場面になると、必ずスタンドの方を見た。まだ真夏でもないというのに肌の露出を多い服を着ている恋人。目のやり場に困るからもう少し控えめにして欲しい、と何度お願いしても聞かないが、今は彼女の姿が必要だ。


 二死満塁、バッテリーを組む帆乃花に「いつも通りいつも通り!」と励まされ、ベンチからも紀香の大きな激が飛んでくる。内野陣も「打たせていいよ!」と声をかけられる。


 そうだわたし一人で試合しているんじゃないだ、とはじめはつぶやく。帆乃花のサインに従って投げれば間違いはない。ツーストライクまで追い込んでからのサインはもちろんチェンジアップ。


 はじめは自信を持って投げ込んだ。ブレーキがかかったボールがホームベースに到達する前に、打者はバットを振った。ボールをキャッチした帆乃花が全身で喜びを表すと、はじめもぐっと小さくガッツポーズした。


「きゃー! 私のはじめーっ!」


 ベンチに引き上げるはじめに向かって菜々花が黄色い声援を送ると、恥ずかしそうに帽子を取って応えてくれた。


「ねえねえ、はじめはいつ打つの?」


 菜々花は一緒に応援していた控え部員、八代醍初音に尋ねる。


「有原先輩は投げる専門なんで打席に立たないです」

「えー、なんでよ!」

「何でって言われても、ルールで決められてますし……」


 指名選手のルールについて説明する暇は無かった。すぐさま星花女子の攻撃が始まり、打席には紀香が向かう。初音はメガホンを使って「はい、元気よくいくよー!」と控え部員を煽った。


 ♪湧き上がる闘魂 紅に燃えて 右に左に打ちまくれ 我らの主砲紀香


  かっとばせーっ、の・り・か!!


 紀香の父親、義紀が現役時代に使っていた応援歌が紀香を後押しする。原曲では「眼下の敵を焼き尽くせ」「炎の男」という歌詞が入っていたが、高校女子ソフトボール応援に使えるようにきちんと修正されていた。


 ところが、紀香はすぐさま一塁に歩き出した。


「あれ? 何で打たないのよ」

「敬遠されたんですよ。守備側は勝負を避けたい場合、一塁に歩かせることができるんです。ランナーが出てないのに歩かせるケースはまず無いんですけどね……」


 春蘭会女子は全国レベルの名門校。格下相手にまさか、という懸念が生じる。だが続く二打席目、三打席目も敬遠する場面で無いにも関わらず、紀香は歩かされた。やはり、一発を極端に恐れているのだ。


 その様子を見ていた、恋人の黒犬静は何も言わない。しかし怒っていることは明らかである。口数が少なく表情の変化に乏しいマネージャーだが、何を考えているのか、一年生たちは大体わかるようになっていた。


「黒犬さん、次はきっと勝負してもらえるよ」

「……」


 初音は気を使って声をかけたものの、睨み返されてすごすごと引き下がった。触らぬ神に何とやら、である。


 紀香を敬遠した効果はあった。彼女に引っ張られる形で機能していた打線が、完全に沈黙してしまっている。回を追うごとにジリジリとした焦燥感が星花女子ナインを蝕んでいく。


 そのような状況でも、はじめは反撃を信じてただひたすら投げ続けた。最終回の七回表では二死満塁のピンチを迎えたものの、菅野監督もまた、最後まではじめを信じた。そしてその信頼に、はじめは見事応えてみせた。得意のチェンジアップで、10個目の三振を取ったのである。


「やったー! はじめー! 愛してるー!」


 飛び上がって喜ぶ菜々花。はじめは最後まで恥ずかしそうにしていたが、いつものおどおどしているはじめではなくなっていた。


 1-0のロースコア。相手の投手はすでにいくつかの名門実業団チームからスカウトを受けている豪速球投手で、はじめを上回る11個の三振を取っている。それでも星花女子ナインは、何とか紀香に繋ごうと必死に抵抗した。ランナーを一塁に置いて、ツーアウトに追い込まれた中で、三番のキャプテン、坂崎いぶきは10球も粘った末に四球を選んだ。


 そして迎えた紀香の打席。春蘭会女子は四たび、敬遠を選んだ。紀香は投手を睨みつけて一塁に歩いていったが、怒りを露骨に現したのは控え部員たちである。


「逃げるなー!」「卑怯者!」「勝負しろー!」


 ありとあらゆる怒声が、相手投手に浴びせられる。静も無表情のまま、フェンスをメガホンでボコボコと殴りつけて怒りを顕にしている。ベンチから出てきた先輩部員に「静かにしろ!」と怒鳴られて一応はおとなしくはなったが、スタンドの怒気は晴れることが無かった。


 そんな喧噪の最中、五番を打つ加治屋帆乃花は黙々と打席でバットを振っていた。ここまで全て凡打と三振に打ち取られており、忸怩たる思いがあった。紀香への敬遠よりも何より、はじめの好投に報いられていない自分に怒っていた。


 相手投手もまた、苦しそうな表情をしている。きっと敬遠は本意ではなかったのだろう。エースとしてのプライドを傷つけられたのかもしれない。


 試合が再開される。帆乃花は初球から積極的に行くつもりでいた。フルスイングできなかった紀香の代わりとばかりに、帆乃花は思い切りバットを振った。高めの、見逃せばボールという球だったのだが。


『真芯を食ったら、感触がほとんどねーんだ』


 紀香はかつて、そう帆乃花に言ったことがある。それを帆乃花は確かに体験した。そして確信した。気がつけば走りながら右手を高々と掲げていた。


 右翼手が追う。フェンスの手前で動きが止まる。捕球姿勢は取れなかった。


 審判が大きく右手を回す。その瞬間、帆乃花は飛び跳ねた。星花女子ナインは大歓声、いや、もはや奇声を発しながらベンチから飛び出し、控え部員と菜々花と静はお互い抱き合って狂喜乱舞した。もう優勝したかのような騒ぎだが、逆転サヨナラ満塁弾ともなればこうなるのも致し方ないであろう。


「帆乃花ちゃああん!!」


 ホームインした帆乃花に、はじめが号泣しながら真っ先に抱きつく。すると一瞬だけだったが、彼女の唇に柔らかい感触が。


「ええっ!?」


 帆乃花は後にこう言い訳した。「嬉しすぎて我を忘れていた」と。


「ああああっ!! なっ、何してくれてんのよ!! 私のはじめに!!」


 菜々花が血相を変えて、金網を越えてグラウンドに飛び降りた。止めに入ろうと控え部員たちも後を追う。乱入に気づいたベンチ入りメンバーが引き剥がしにかかり、はじめはただオロオロするばかりで、帆乃花は事の重大さに気づいて顔面蒼白で固まっていた。


 紀香が二人の肩を叩く。試合では活躍の場を得られなかったが、勝利の立役者二人にできることはまだ残っていた。


「……後で一緒に山津先輩ところに謝りに行こうぜ」

「「うん」」

 

 当然、大会運営にも謝罪するはめになったのだが、ともかく星花女子学園はついに決勝の大舞台に進むことが叶ったのである。


 一方、相手投手は精神的ダメージが大きかったようで、星花女子側が混乱を収めてようやく整列したときでも、ピッチャーズサークルにうずくまったままで立ち上がれなかった程であった。紀香を徹底的に避け続け、例えそれで勝ったとしても後味が悪いものになっていたに違いなかったが、最悪な形で負けてしまったのである。勝利の女神はときに、逃げ続けたものに残酷な仕打ちをする。そんな試合であった。

事故なので浮気にはならない……はず

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