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第二話

第二話です。

明日の第三話でこの物語は完結します。

よろしくお願いします。

 買い物を終えて自宅に戻った私は、昨夜中断したままの荷造りを再開する。

 明日の出発に備えて大方は済ませてあるので、あとは小物をダンボールに詰めるだけだ。数時間で終わるだろう。

 買ってきた緩衝材を袋から出しながら、部屋の中を見渡してみる。

 一年間だけお世話になった、この小さな部屋。

 正確な数字は知らないけど、築四十年ほどのくたびれた木造家屋の、二階に二部屋あるうちの片方。

 東京のそれなりのマンションから越して来た当初は、シミだらけの黒ずんだ壁や、表面さえ平らかでない傷だらけの机に不満を漏らしたものだけど、今では愛着すら感じている。

 ここでの暮らしはゆるやかで、ただ時が移ろっていくのを全身で感じていればよかった。

 目を閉じたままでも生きていける。そんな気もしていた。

 力を込めて緩衝材をダンボールの隙間に押し込んでいると、階段の軋む音に続いて、ドアがノックされた。

「もう終わった?」

 棘のあるお母さんの声。昔からそうだった。それでも、東京での再就職が決まってからは幾分か丸くなっている。

 両親が離婚した当初、見栄っ張りなお母さんは変わらず東京で生活することに拘ったけど、徐々に現実的な問題に対処しきれなくなっていき、見かねたおばあちゃんが私ともどもこの家に呼んでくれた。

 不本意な里帰りを果たしたお母さんは、以来、おばあちゃんとはろくに話もしないままに東京での再就職を模索し、その努力が実った。

 私はダンボールのふたを抑えたまま

「大体は」

「晩ご飯できたってよ」

「わかった」

「急いでね」

 階段を下りていく足音が消え去って、私は大きくため息をつく。改めて壁時計を見ると、とっくに七時を過ぎていた。

 おばあちゃんを手伝わなきゃ、と思って腰を上げると、狭かったはずの部屋は荷物が片付いた分、広く感じられて、自分だけが取り残された気持ちになった。

 居間のドアを開くと、お母さんはビール片手にテレビを見ていて、一定の間隔を保つように笑い声を立てている。

 まだ食事が始まってないのに、先に運ばれてきたおかずをつまみ食いするあたりが、娘の私から見ても生活感覚の乏しさを感じさせる。それで思わず声が出た。

「本当に大丈夫なの?」

「なにが?」

「生活」

 お母さんはテレビを見たまま笑って

「あんた、そんなこと心配してるの?」

「東京はお金かかるし」

「大丈夫よ。お母さん、編集の仕事に戻るのよ? 別れたお父さんの倍は稼げるわ」

「なにも金だけの問題じゃないだろ」

 お盆にご飯茶碗やお味噌汁を載せたおばあちゃんが、しかめ面で台所からやってくる。

「仕事にかまけて、めぐみのこと、ほったらかすんじゃないだろうね?」

「ほったらかすって、もう高校生よ? 今度三年だっけ?」

「二年」

 今更呆れたわけじゃないけど、最後の夜だからか他にもご馳走が用意されている気配がしたので、私は台所に向かった。

「遊びたい盛りじゃない。めぐみだって東京に戻った方が楽しいに決まってるわよ」

 後ろからピシャっと聞こえたのは、つまみ食いで伸びたお母さんの手をおばあちゃんが叩いたからだろう。

「ここを捨てるように上京したお前と、めぐみを一緒にするな」

「あら、それをいうならこの子は元々、東京育ちよ。あっちの方が好きに決まってる。一年世話したくらいで知った顔しないで」

「なにを。出戻りが偉そうに」

「お母さんが心配するから、戻ってきてあげたんじゃない」

 最後まで口喧嘩か、と思いながら唐揚げを居間へと運んでくると、お母さんが箸をつけようとしたご飯茶碗を、あばあちゃんがさっと奪った。

「ちょっと」

「そんなんだから簡単に離婚なんてできるんだよ」

「お母さんから許可証明でも取ればよかったわけ?」

「めぐみが可哀そうだって言ってんだ。あんたらのおかげで転校までさせられて」

「私についてくるって決めたのはめぐみよ。別に私が頼んだわけじゃ――」

 今度のピシャっは手じゃなく頬だった。

「情けないこと言うんじゃないよ。育てる覚悟がなかったら母親なんてやめちまいな!」

 おばあさんの腕が再び振り上がってお母さんが怯えるように身構えたので

「おばあちゃん、大丈夫だから。お母さんも本気で言ってるわけじゃ」

 とその腕を抑えて 

「お母さんも本当はここにいたいの。だけどおばあちゃんに頼って、このまま三人ってわけにもいかないから……」

 私が口を出すまでもなく、この家の経済事情はおばあちゃんが一番よくわかっている。

 お母さんだって、実生活には疎くても、おじいちゃんが亡くなった後はおばあちゃんに女手一つで育てられたわけだから、百も承知だろう。

「めぐみ、もしお前がここにいたかったら、おばあちゃん面倒みるから」

 私は、うん、と、悔しそうに顔を抑えているお母さんを横目に頷いた。

「可愛い孫だ。自分の食い扶持くらいくれてやるよ!」

 そう吐き捨てて、おばあちゃんは台所に消えた。


 空っぽになった部屋の真ん中で、私は一人寝返りを打った。

 眠れぬ夜に試すことはいくつか知ってるけど、きっと今夜はどれも効き目がないだろう。

 時計はすでに午前二時を指している。この町での最後の夜は、思ったよりも短かそうだ。

 ただ時計が進むのを眺めていてもしょうがない気がして、布団から這い出た私は、部屋の隅に置いたダンボールに向かう。晩ご飯が終わった後、最後にふたを閉じた箱だ。

 ハサミの歯をガムテープの中央に当ててすっと引くと、ふたは綺麗に開いた。中に手を突っ込んで、写真フレームを取り出す。

 そこに収められているのは、去年の体育祭で撮った写真。鉢巻をして屈んでいる私や由里の後ろで、男子がこっちを向いて立っている。

 メダルを掲げて、ドヤ顔の沢村。

 私はよく放課後の教室に残って、校庭の外周を延々と走って回る彼の姿を、小さく開けた窓からひっそり眺めていた。

 眺めながら顔に風を感じると、同じ風を彼も受けていると思えて、なんだか不思議でもあり、嬉しくもあった。

 普段はあまり話す機会もなくて、見ていられるのは遠く離れた窓からだけだったから、沢村が雪に打たれながら坂道で私を待っていたときは、本当に驚いた。

 でもそれだけに、待っていた理由は、なんとなくわかった。石になりそうなくらい強張ったその表情を見るまでもなく。

 気が付くと、私は写真を胸に押さえつけていた。

 震えるほどに、きつく。

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