第1話:砂龍王子デュラック
砂龍族の王ラドダンと王妃マールの間に第三王子が生まれ、早十四年。
砂龍族の人口は数千万人にものぼり、第三王子が十四回目の誕生日を迎えた頃には、フィブラス砂漠に住む者と、そこから南東の方角に位置する島にあるログテル砂漠に移住した者とに分かれ、彼らの大半は商売を営みながら暮らしている。また、この魔界の北端に位置する領国≪レザンドニウム≫に住む魔道師の一族≪魔道族≫や、十個の属性から成る龍族とも共存し合い、ガルドラの平和は保たれているかのように見えた。だが、近年、その平和を脅かすかのように、黒い雲が北端の領国の城全体を包み込む。それは、フィブラスの砂龍城の兵士全員が見てもわかるほどに、濃い黒だった。それに対して、危機感を覚えた近衛兵が、砂龍王夫妻がいる謁見の間に来た。
「入れ」
砂龍王ラドダンの命令を合図に、近衛兵が部屋に入る。彼は玉座の上にいる王と王妃の前で片膝をつき、現状を報告する。
「陛下、この魔界は黒い雲に包まれる一方です。早急に、手を打たなければ……」
近衛兵の報告を聴き、ラドダン王は頷く。が、良い案が浮かばず、彼は頭を抱える。そこへ、マール王妃が口を挟む。
(私の考えが正しければ、この魔界には今、邪悪な存在がいる。この状況を打開するには、あの子を呼ぶしかない)
マール王妃は、慎重に言葉を選び、王と近衛兵に自分の考えを言う。
「ラドダン、デュラックを呼びましょう」
王妃が意見した時、部屋中の魔族達が目を丸くした。しばらくの間、重い沈黙が続く。その沈黙を先に破ったのは、砂龍王ラドダン。
「な、何を言うか、マール。デュラックは、まだ十四。旅に出すなど、もってのほかだ」
息子の旅立ちについて意見する王妃に、猛反対の王。が、それを尚も王妃が否定する。
「それを言うなら、『デュラックは、もう十四』です。それに、あの子もリーノやディアと同じく、この国の王子。いつまでも子供扱いせず、今回の件をあの子に任せましょう」
「……」
再び黙り込んでしまった夫をよそに、王妃は話を進める。彼女は近衛兵に命じ、自分達の第三王子を呼んだ。
その頃、当の本人である第三王子デュラックは、魔界の北端の領国から届いた文献を、片端から読んでいた。今彼が読んでいた文献には、レザンドニウム領主からの依頼で、自分の城の真上を覆う黒い雲のことや、その雲の発生源を突き止める役を、フィブラス国の三人の王子のうちの一人である彼に頼むといった内容が綴られている。それらの文章を見て、デュラックは溜め息を漏らす。
(確かに私は、あの領国の黒い雲のことはよく知っている。それを浄化できるのは、極僅かな龍魔族だけだ、ということも。でも、だからといって、私が黒い雲を浄化できる術を持っているということにはならない。領主には悪いが、この件に関しては、断りの返事をしよう)
デュラックは高級そうな紙を一枚取り出し、羽のついたペンにインクをつけ、返事を書こうとした。が、その時、誰かが彼の部屋のドアを叩く音がした。おそらく衛兵の一人だろうと思い、デュラックはドアを自分の方に開く。案の定、彼の目の前には、城の衛兵の姿が映った。デュラックは、眉間に皺を寄せて、衛兵に言う。
「私に何の用だ? もし、例の黒雲について調べて来てほしいというのなら、悪いが、リーノかディアを当たってくれ。私は、末っ子だからな」
デュラックは、手で合図しながら、衛兵を閉め出そうとする。まるで、領主宛ての手紙を書くのを邪魔されたことで、機嫌を悪くしてしまったかのように。だが、衛兵は緋色の兜の奥にある空色の瞳を細め、デュラックに問う。
「陛下にご不満がおありなのは、お察しします、デュラック様。ですが、あのお方は王妃様のご意見に従い、あなたを呼ぶ決意をされたのだと存じます。ですから、ご不満をぶつけるのであれば、私ではなく、陛下ご夫妻に直接会うほかありません」
元々頑固で王妃を困らせることが多いこの衛兵は、一歩も譲らずに、空色の双眸で第三王子を見つめる。彼の意見を聴き、デュラックは溜め息を漏らす。その溜め息には、うんざりした気持ちが顕著に出ている。
「お前は父上や二人の兄に似て、頑固だからな。私はこれから、謁見の間に行ってくる。これまで何回も父上や母上に従ってきたが、今回ばかりはちゃんと反論してやる」
デュラックは右の拳を固く握り、そのまま自分の部屋を出た。
初代砂龍王ラドダンと王妃マールの間に生まれ、第三王子として王の補佐を務めてきたデュラックだが、二人の兄であるリーノやディアの頑固さには、ほとほと困っている。更に末っ子ということも手伝って、どうしても自分の家族に逆らえないのである。彼は、そんな自分に心底嫌気がさしてきていた。
(私は、よその国に赴いてトラブルを解決するという立場の魔族ではない。ほぼ飾りだけの王子に等しいのに、なぜ北端の領国での調査を引き受けなければならないのか? 母上の意見で決定したことだから、母上本人に聞くのが手っ取り早い)
デュラックは、砂龍王ラドダンに酷似した深緑色の目を細め、いつもより速い歩みで、謁見の間を目指す。謁見の間の扉の前には、目を細めたままの状態で立っている第三王子を心配そうに見る男性の門番の姿があった。それを見た時、デュラックは尚一層嫌な顔をした。彼の態度を懸念して、門番は溜め息を漏らしながら、口を開く。
「デュラック様、まるでマール王妃様に会われるのが嫌なご様子ですね? 一体、王妃様のどこがご不満なのでしょうか?」
門番は、王妃を庇うような言い方だが、それがデュラックにとっては気に入らない。彼は、怪訝な顔をして言う。
「全部だ。母上はいつもわがままで、父上の言うことをほとんど聞かないし、私達兄弟――特に王太子であるリーノのことなど、まるで≪即位するためだけにある道具≫のようにしか思っていない。今まではなんとか我慢して、母上の命令に従ってきたが、今回ばかりはそうはいかない。父上の意見も聞き入れて頂き、黒雲が発生した原因について調べる件に関しては、断りの返事をする。だから、謁見の間に通してくれ」
デュラックの怒気を含んだ声と、どうしても王妃に言いたいことがあると言いたげに訴えてくる深緑色の瞳の輝きに負け、門番は何も言わずに、第三王子を謁見の間に通す。
口をへの字に曲げたまま、デュラックは赤絨毯を踏む。それは、今にも床に穴を開けそうなほど、彼の足音は激しいものだった。への字に曲がった息子の口許にも動じず、右側の玉座のマール王妃は口を開く。
「来ましたね、デュラック。領国の異変を解決するためのお覚悟は、できましたか?」
三男に旅立ちの準備を急がせようとする王妃だが、その口調はまるで、息子を一人犠牲にしても何とも思わないと言っているかのよう。
国王夫妻の三男として生まれた自分に対する、あまりにぞんざいな扱いに対し、デュラックは眉間に皺を寄せる。
「母上、あなたは異変の調査のために、私をレザンドニウムに行かせようとなさっている。ですが、事はあなたの思惑通りにはいきません。第一、この国に領国の黒い雲を浄化できる術を持っている魔族が、いるとも思えません。レザンドニウムでの件は、領国側に任せるべきです」
デュラックは、深緑色の双眸でまっすぐ王妃の方を見つめ、自分の意見をはっきりと述べた。だが、当のマール王妃は至って冷静で、青色の目を細めてくすくす笑っている。
「何がおかしいのですか?」
突如笑い始めた王妃に対して、デュラックは首を傾げた。
「デュラック、あなたは先程、『この国に、領国の黒い雲を浄化できる術を持った魔族がいるとも思えません』と言いましたが……。実はあなたが、そのうちの一人なのですよ」
母王妃から自分が浄化術を持っていることを知ったデュラックは、深緑色の目を見開き、瞬き一つせずに彼女を見つめる。
(私が……。浄化術の能力者?)
最初は何かの冗談かと思い、デュラックは冷静な顔つきに戻り、今度は父王と母王妃の両者を交互に見た。“そんな事実を知らされても、私は領国へは行きません”という眼差しで見つめてくる息子を見て、ラドダン王は溜め息を漏らす。
「デュラックよ、お前はわしに似て頑固。それは、二人の兄も、わしらも認めるところだ。だが、今はお前と張り合っている場合ではない。お前も見たと思うが、あの黒い雲は現在、レザンドニウムの魔道城を深く包み込んでおる。このままにしておけば、被害は魔道族のみならず、この魔界全ての種族が黒雲による毒を受けて、たちまち我々も滅んでしまう。そこでわしらは、お前を含め、十人の能力者達を集めて、黒雲を発生させている元凶を、倒そうと思っている。どうだ、息子よ。この件に関しては、考え直してくれんか?」
父王からの説教を受け、デュラックは己の運命を顧みる。それは、今年で十四歳になったばかりの彼にとっては、体に酷く重たいものである。
(父上の言う通り、あの黒雲は魔界ガルドラ全土を包み込もうとしているのかもしれない。だとすれば、父上が言った≪十人の能力者≫とやら――もとい、残り九人の戦士達を捜すために、私は動かなければならない、ということか)
ようやく自分の運命を悟ったのか、デュラックは再び玉座の上の両親を、深緑色の双眸で見つめる。今度は≪断固拒否≫という意味ではなく、むしろ十人の戦士達を捜すための旅に出ることを決意したような眼差しに変わっている、と砂龍王夫妻には見えた。
「父上、母上。このデュラック・シャーロット、己の運命を切り開くため、明日から領国の調査に出て参ります。どうか、お達者で」
「ああ。それと、お前に渡したい物がある」
そう言ってラドダン王は、目で近衛兵に合図し、青紫色の布が被せてある物を持って来させた。男性近衛兵が布を外すと、デュラックの目の前には、銀で造られた右利き用の爪型銃のような物が、きらきらと輝いている。それは、デュラックの深緑色の双眸にも似た輝きを放っている。
「この武器は?」
デュラックは、自分の右手に爪型銃をはめ、彼の手にフィットしているかどうかを確かめた。父王ラドダンは、息子に微笑み、口を開く。
「その武器は、シルバー・ドラゴン・クロー。その名の通りの銀製だ。息子よ、どうか無事に戻って来ておくれ」
それだけを言い、ラドダン王は玉座を立ち、そのまま謁見の間を出た。デュラックは、その姿を見送った後で、「御意」と言って、自分の部屋に戻った。
明日から、第三砂龍王子デュラック・シャーロットの運命をかけた旅と戦いが、始まろうとしている。