「 シエル 」パフェの王子様
カフェもん第二弾。
うちは高校卒業までアルバイト禁止の約束だった。
大学生になったらカフェで働きたいと憧れて、私は「シエル」というカフェでホールデビューした。
不器用ながらも少しずつ仕事に慣れていく。
でもペースに乗れてきたかなというある日、慌ただしい厨房で中皿を一気に五枚割ってしまった。
ガシャーン!!と大きな音が厨房に響き渡る。
「すみません!」
「怪我してない?沙優美さんドンマイ」
「ごめんね美都ちゃん、仕事増やして」
バイトの先輩で女子高生の美都ちゃんと急いで飛び散ったお皿の破片を掃き集める。
その時後ろの厨房の出入り口から男の子の声がした。
「うわ、どんくせー」
萎え感むき出しの口調。
心に鋭い銀のナイフが突き刺さる。
顔を上げると同い年くらいの男の子が立っていた。
茶髪で割と色が白く整った顔立ち。
白シャツにシンプルな黒いエプロンと黒のパンツという、ここのスタイルがとても似合って格好いい。
「あ、直斗君。おはよう」と美都ちゃん。
「ごめんなさい。新しく入った飯野沙優美です。よろしくお願いします」
でも彼はその端正な顔で超不機嫌そうに私を見ると「西内直斗」と名乗り「片付け早く、いつまでも居られると狭くて邪魔」と言った。
折れそうな心を立て直して戻ったフロアは、ちょうど午後のティータイムで女性のお客さんが連れ立って何組も入って来る。
「急に混んできたね、近くで何かイベントでもあるの?」
美都ちゃんに聞くと彼女は「今日はこれの日だからね」とメニューを指した。
『毎週土、日曜日14時〜のみ「王子のパフェ」と「王女のパフェ」数量限定でのご提供』
「王子のパフェ」はアールグレイティーゼリーやグレープフルーツを使い、芳醇なチョコレートのジェラートと合わせたシックな仕上がりで大人の味わい。
「王女のパフェ」はラズベリーのソルベに濃厚なバニラのジェラート、そして苺やメロンをあしらい味も見た目もキュート。
写真と一緒に書かれている。
この限定パフェがお目当て?
どっちも綺麗で美味しそう。
でもそこから目が回る忙しさで、お店の外にも行列ができた。
フロア係フル稼働でお客さんをさばく。
厨房にパフェのオーダーを通すと西内君が次々と作っていく。
パフェ以外のスウィーツも彼が作る。
パンケーキとか他のお食事メニューも出るけど、そっちは大村さんという調理師さんが作る。
なにせパフェの出る勢いがすごい。
けれどキュッと唇を結んだ西内君は銀のスプーンやペティナイフを閃かせ、鮮やかな手さばきで美しくパフェを仕上げていく。
彼の動きも瞬く間に仕上がるパフェも、なんて綺麗。
初対面で無様な失敗を晒した気後れで、そっと目をやる西内君の横顔はクールで凛々しい。
「はい」
彼の差し出す完成したパフェのグラスを慎重に運ぶ。
このパフェを無駄にするようなドジは踏めない。
やがてここのオーナーでもある店長がエプロン姿で厨房に現れた。
「店長おはようございます」
「おはよう飯野さん。この時間初めてだっけ?すごいでしょ」
「びっくりしました。パフェ、女の人に超人気なんですね」
「そうなんだよ。SNSで人気出たみたいでさ。ほら、映えるってやつ?」
確かにこのパフェは圧倒的に映える。
写真で友達に見せたくなるのもわかる。
その日の帰りがけに美都ちゃんと話した。
「沙優美さん直斗君とは今日が初めて?」
「そう。西内君も大学生?」
「うん、沙優美さんの二個上で美大生」
「美大?すごく器用だね。パフェ作るの見て思った」
「ねえ、上手でしょ。それにあのパフェ直斗君が考えたんだよ」
「え、別にパティシエ目指してるんじゃないんだよね」
「そう。ただ綺麗なものが好きなだけって」
「綺麗なもの?」
「元々オリジナルのパフェがあったけど直斗君が『綺麗じゃない、夢がない』って店長に直談判してリニューアルしたんだって」
それから女性のお客さんがドーンと増えたそうだ。
気づけば直斗君を目で追った。
厨房に立つ彼はいつも凛々しく高潔なパフェの王子のよう。
でも一仕事終えた後は、大村さんに作って貰った賄いのオムライスを「あー腹減ったあ。これ、マジ美味い!」と頬張り、皆んなと笑顔で気さくに話す庶民派王子だった。
初日に私を凍りつかせた冷たいあしらいも嘘のように、今では「沙優美」と呼んで話してくれる。
ある時賄いで彼にプリンア・ラ・モードを頼んだ。「よし。まあ見てろよ」
すぐに食べるのが惜しくなるほど美しいのを作ってくれた。
直斗君、誰か好きな人居るのかな。
憧れては諦め、諦めてはまた憧れる片想いの迷路から抜け出せない。
そんなある日。
「これから皆んなに限定パフェの作り方を覚えてもらう。一人ずつ都合のいい日に俺に声掛けてよ」
その場にいたメンバーに直斗君が言って、バックヤードの壁にもパフェ講習呼びかけの張り紙をした。
「直斗君、私今日でもいいです」
美都ちゃんが早速言った。
「よし、じゃあ美都からな。売り出し時間の後半で呼ぶから入って来て」
「はいっ!」
一番なんて美都ちゃん勇気あるなあ、それに彼女はしっかり者だからすぐ覚えられそう。
でも私は教わる勇気が出ない。
何でもきちんとやろうとは思うけど不器用だもの。だからあんな綺麗なパフェを作るなんて無理。
今日もパフェの大躍進が一段落した頃、「美都、来て」と直斗君が呼んだ。
真剣な顔で盛り付けと飾り付けをしていく美都ちゃんに「いや、……そう。次にそれ、あー、もっと立てて置いて」と、厳しい顔の直斗君が言う。
「はい、出来ました」
「うーん、一応な。でもこれじゃ出せない。ちょっと直すぞ」
そして彼が手直ししたものを「運んでいいよ」と渡された。
それはいつも直斗君が作るものとはやはり違った。
いつも目にするキリリと美形のパフェになりきれていない。
どうやら綺麗なものを見続けていると目が肥えるらしい。
「時間かかって、直斗君みたいに全然できない」と悔しそうな美都ちゃんは粘り、今日の分が完売する直前でようやく彼のオッケーを貰った。
「よし、このまま出していいぞ」
「やった!王子と王女のパフェ、作れるようになった!」
「やったな美都、偉いぞ。沙優美、次はお前やるか?」
直斗君の視線がこちらに飛んできて私は焦る。
「え、私?ダメだよ不器用だし」
「皆んなに教える。そんなこと言っても逃がさないからな」
凛々しい顔でピシャッと言われた。
「違う人を優先してよ。自信ないよ、私はまだ見学で」
「何だよ、実際やる方が覚えるのにさ」
不満げな顔の直斗君。
「皆んなが覚えてくれないと俺、安心してここ辞められないだろ」
「直斗君、辞めちゃうの?」
「うそ!」
私と美都ちゃんの声が重なった。
「本当だよ。これからは別の仕事をする。大学の大きい課題の製作もあるしな」
なんという不幸!
王国崩壊、王子亡命と言う単語が胸をよぎる。
シエルの王子がパフェの国を捨ててしまう。
その夜、私は悲しさのあまり眠れなかった。
それから次々とバイト仲間が直斗君にパフェの作り方を伝授されては独り立ちし、勇気がなくてチャンスを先送りした私はついに最後の一人になった。
「沙優美さんはリラックスしてやれば大丈夫」と美都ちゃん。
いよいよもう逃げられない。
パフェ作りからも、直斗君がシエルを去ってしまうことからも。
ついにその日が来た。
パフェの快進撃が峠を越え「沙優美、こっち来て」と直斗君が厨房から手招きした。
「はい」
ドキドキしながら私は厨房に入り、手洗いして調理用の青い手袋を着ける。
「ゆっくり行くよ。グラスに入れる順番と量、デコレーション全体の形を良く見ろよ」
すぐ隣で直斗君はパフェを作り始めた。
工程のひとつひとつを見逃さないようにしていたはずだった。
でも目が勝手に直斗君に見惚れる。
さらっとした茶色の髪、すっと通った鼻筋。
白い横顔の頬にあるホクロに気づく。
「わかった?じゃあやってみて。ゆっくりでいい」と彼は私に場所を譲った。
まずはコーンフレークを入れて生クリーム、次はどれだっけ。
「順番が……」
直斗君がそばに居る緊張で、頭が真っ白。
「順番?言うから、その通りやって」
直斗君は低い声で「うん、そして生クリーム、ちょっと多いな。次にバニラアイス……」と順を追って教えてくれる。
その声も耳に甘く響いて困ってしまう。
途中で「ストップ!時間かかりすぎ。仕上げは俺がやる」と言われた。
それからもジェラートを綺麗な形に掬って載せることや、カットフルーツのあしらいや、ほぼ全てについて「いや、そうじゃない」「それじゃあ不細工。もっとこうして」と注意された。
直斗君は、より美しく仕上げる方法を一つずつ見せて教えてくれた。
それも辛抱強く、私のせいで遅れが出る分をきっちり取り返しながら。
厳しいけど「そんな緊張するなよ。良くなってるから」と褒めてくれるから、最初のドキドキも忘れて私は頑張った。
なのに一つ覚えると一つ抜けて完成にこぎつけられず自分にガッカリする。
「沙優美、お前想像を超える不器用だな」
直斗君が苦笑した。
「私には無理、直斗君の教える時間が勿体ないよ」
悲しい気持ちで彼を見上げると、ピクっと直斗君の片眉が上がった。
「勿体ない?お前が決めるなよ。いいから黙ってついて来い。別日にまたやるぞ」
しかしまたも私はパフェを完成できなかった。
「手順はギリギリとしても、まだ綺麗じゃないな。もう一回だ」
直斗君は変わらず熱心に私に教えながらパフェを作り続ける。
一見冷たそうな彼の内側にここまでの熱意が宿っていたなんて。
美しさへの彼の情熱を思い知った。
でも同時に自分の不器用さが情けなくて泣きたくなる。
「沙優美、何落ち込んでんの?たかがパフェの攻略だぞ」
「だって……」
「あ、そうだ。いいこと思いついた、お前スマホ持って来いよ」
「え?」
「俺が作る所を動画に撮れよ。素材の順番とコツを喋りながら作るから、それを繰り返し見ればいい」
そうか動画で。
料理動画とかあるもんね。
泣いてちゃ駄目。
パフェの王子が立つステンレスの宮殿に涙は似合わない。
パフェを作る直斗君を動画に収め、その夜から私は何度も何度もその動画を見た。
家でも電車でも大学のちょっとした空き時間にも。
私の情熱にはもちろん不純な動機もあった。
動画の一番最後、仕上がったパフェを前に直斗君が笑顔で言う。
「はい完成。沙優美、頑張れよ」
その笑顔が見たさにまた最初に戻るのが条件反射になった。
そして次に直斗君と練習した日。
「いいよ、そのまま出して。沙優美よくやったな、偉いぞ」
ついにオッケーを貰った。
泣かない、と思ったけど涙が出る。
直斗君に褒められて本当に嬉しい。
でもこれで彼ともう会えなくなるから。
直斗君がシエルを辞めて半年が経ったころ、一度だけ街中の大きな書店でばったり会った。
書棚で本を探す姿を見た途端に彼だと気付いた。
胸がキューっとして嬉しさが身体中に広がっていく。
手元に残ったあのパフェ作りの動画を私はため息をつきながら時々見返していた。
シエルに在りし日の王子の姿を。
「直斗君。久しぶりだね」
「沙優美か。久しぶり、元気そうじゃないか」
「うん。直斗君も」
「バイト続けてるのか?」
「うん。パフェも毎回完売してるよ」
「良かった。お前が一番頑張ったもんな、不器用だったけど。あれは俺も忘れないよ」
そう言って直斗君は色白の端正な顔に穏やかな笑みを浮かべた。
仕事を離れるとこんなに優しく笑う直斗君。
今日再会できて私はなんてラッキーなんだろう。
その時私の後ろから女性の声がした。
「直斗、こっちにいたの。欲しい本見つかった?」
「ああ、あった。ごめん」
声の主にそう言った直斗君は「沙優美、この人俺の彼女」と私にその人を紹介した。
直斗君よりちょっと年上に見える、すんなりとして綺麗な人。
「初めまして」
私に笑顔を向けた彼女は直斗君を見上げた瞳で「だあれ?」と問いかける。
その眼差しに応えて「この子とは元のバイト先で一緒だったんだ」と優しく話す直斗君。
この人が彼の王女様。
そうだね、直斗君は綺麗なものが好きな人だもの。
心に銀の華奢なフォークが一本刺さった。
それは王子と王女だけに許された王家の紋章入りのフォークなのだった。
シエルはフランス語で空という意味らしい。
私の心で膨らんだ恋の風船は手を離れ、遥か空の彼方に見えなくなった。
完