12.現れた黒
恐怖の獣が、闇の邪気を霧散させる。
そしてその足でオレへと歩み寄ってくる。
「ワン(お前、俺か……?)」
漆黒に染まったオレの姿が、目の前で吠える。
「わん(そう、かもな)」
何て答えて良いのかわからない。自分自身と会話するなら、遠慮は要らないとは思う。
だがコイツは、本当にオレなのか……? オレは勇者を、あの男と殺したいと思いもした。それでもオレは守る進化を選んだ。
殺意からは、身を包む怨みの感情から解放されたと思った。
「ワンワン(そうだな、お前は守る事を選んだ……。きっと、お前が正しい)」
予想だにしない自分からの肯定の言葉。それを聞いて押し黙ってしまう。
奴の両目が真紅に染まっている。まるで操られていた時のキャロの様な、穢れた赤。
「ワン(俺はきっと、感情の多くを憎しみに支配されたオレだ。お前が真っ白になってくれて良かった。守る事はお前に任せる)」
「えっと……、アリスはどっちもアリスだよね!?」
オレが考える間もなく、キャロが口を開く。
少しでも場の空気を良くしたかったのかも知れない。しかしその言葉を奴は否定する。
「ワン(俺とコイツは違う。俺はそいつの影だ)」
そんな事言うなよ、敵を殺すのなんて別におかしな事じゃない。
敵を倒したからキャロ達を守ることが出来た。
お前は間違ってなんか無い。
「あはは〜、アリス二匹になっちゃった〜! 白い方も黒い方も可愛いねぇ!」
キャロの後押しをする様にエリスが声を上げる。
「「わんワン!(おう、ありがとな!)」」
オレと俺、二つの声が揃う。
「二つに分かれ違う力を振るおうとも……、やはり御主らはアリスか」
メテオが血だらけの体を立たせ、足を引きずり近付いてくる。
「わん!(メテオ、動かなくて良い! 今治してやる)」
聖なる気を高め、負傷したメテオへと治癒の息吹を吹きかける。
それと同時、重傷だった体が見る見る内に回復していく。
進化した事で回復魔法も強化されたのか。
「ワン(その力、多分俺には使えないだろうな……。やっぱり俺はお前の影だ)」
その言葉と同時、クーがメテオから分離して叫ぶ。
「ちゅんちゅん!(何言ってんのよ! アリスはアリスよ!)」
クーがもう一人のオレの体に止まり励ます。
「ワンワン!!(俺に触れるな!!)」
瞬間。奴が吠え、体を大きく翻してクーを振り払う。
「わん!(おいオレ! 何してんだよ!)」
思わず叫び、奴へと駆け寄る。
「ワン!(近寄るな!)」
その言葉を受けてオレだけじゃなく、その場の全員が動きを止める。
「ワンワン(俺の体に近寄ると危険だ。さっきの勇者の最後を見ただろ)」
マサヨシの姿。黒獣と化したオレの闇に触れた奴は、体が腐敗する様にボロボロと崩れていった。
「わん(勇者みたいになりたくなかったら、近寄るな、ってか?)」
中二病かよ。まあガチで触れたらヤバイ奴だったか……。
「ワン(あぁ、そうだ。だからこの先は俺一人で行く。ハピアを攫った奴は俺が殺してくる)」
は!? 何を言って……!? 一人で行く必要なんて無いだろ!!
「ワン(今だって必死で、溢れそうな闇を抑えてんだ。それに全力で戦ったらどうなるかわからない。俺はお前たちとは一緒に行けない)」
「けどアリスーー!」
キャロが叫び奴へと駆けていく。だが。
「ワンワン!!(来るなキャロ!!)」
激しいまでの叫び。それを受けてキャロがビクリと震えて立ち止まる。
「ワンワン(キャロ、怒鳴ってすまない。けどもう俺に近寄らないでくれ。そして俺をアリスと呼ぶな。
アリスは、そいつだ……)」
そう言って奴がオレを見る。
「わんわん(じゃあお前は何だって言うんだよ)」
思わず口を突いて出る言葉。だがその答えを本当は知っている。
「ワン(言っただろ、俺はお前の影。シャドウとでも呼んでくれ)」
奴は、シャドウはそう呟くと魔力を高めていく。
周囲に風が吹き荒ぶ。荒々しく、冷たい風。それがシャドウの全身を覆っていく。
「わんわん!!(ふざけんな! 何がシャドウだ! 中二病極まってんじゃねーぞ!!)」
結界でオレへと襲い掛かる風を防ぎながら奴へと近付く。
「ワンワン(あぁ、中二病だな。俺は先に行く。お前は負傷者でも治癒して、後からのんびりハピアを救ってくれ)」
シャドウを包む風が黒く染まり、獣の姿を形取る。
「わん!(おい待て! 待ちやがれ!!)」
「ワン(黒風牙獣、闇疾風……、なんてな。
あぁ、アリス。勇者の銃弾の防御、助かったぜ。お前がその進化してくんなきゃ、俺負けてたからな)」
突風が巻き起こり、風の獣と化したシャドウが駆けて行く。
おい待てよ、何オレの事名前で呼んでんだ。お前だってアリスだろ? お前も本当は皆と一緒が良い筈だ。
一人になんかなりたくねえだろ! オレ!!
「ワン(じゃあな……、皆)」
黒き風が過ぎ去り、後には沈黙だけが残った。
オレたちは俯き、地に座り込んだ。
どれほどの時間、そうしただろうか。
オレたちに向けて声が掛けられる。
「どうやら敵の頭は倒した様だな」
長老のおっさんか、そっちは片付いたのか?
「あぁ、突然機械たちの動きが止まってな。今は皆、負傷者の看病をしている。幸いにも死者はおらん」
そうか。やっぱりマサヨシを……、殺したから止まったのか……。
もしオレが奴を殺してなかったら、どうなっていただろうか……。
今も機械の兵達は暴れ、死んでいた者もいたかも知れない。それどころか、マサヨシの逆転の芽を残していたかも……。
「それよりも、何故エリスがココにいる」
長老がドスを効かせた声でギロリとオレを睨む。
おい、何故そこでオレを睨む。オレが連れ出したみたいになるじゃねーか。
「アリスが心配って飛び出したぁ、キャロちゃんを追い掛けて〜」
エリス自ら、長老の疑問に返答する。相変わらず間伸びした緊張感に欠ける喋り方だ。
「ふむ……。勇者よ」
長老がオレを見据えて呟く。
あ? 勇者? あぁ、オレの事か。何だよ改まって。
「混じりが消えておるな。今のお前は間違いなく、人族の聖なる勇者だ」
「わんわん!!(聖なる勇者だと……? じゃあ何だよ、シャドウは……。もう一人のオレは、邪悪な魔族とでも言うつもりかよ!!)」
オレは吠え、長老を睨み付ける。
だがオレの体を抑える様にメテオが手をかざす。
「落ち着けアリスよ。この長老は事情を知らんのだ」
その言葉を受け、嘆息する。そして冷静になって考える。
今のやり取りで気付いた事がある。それはオレが苛立ち、怒りを覚えた事だ。
シャドウはオレの怒りを引き受けて生まれた。だがオレの感情にも怒りは残されている。
ならばアイツにもまだ、誰かを守りたい、救いたいって心が残っている筈だ。
「わんわん(シャドウを追うぞ。あいつも含めて、オレが救ってやる……!)」
決意を新たに口にする言葉。
「ちゅんちゅん(まあ、二匹に分裂したから痩せたしね。今のアンタなら出来るんじゃない?)」
クーがオレの頭に止まる。重てえよ。
「あぁ、あやつを追うことには賛成だ。いずれにせよ、ハピアを救わねばならんからな」
ありがとな、メテオ。お前の事は頼りにしてるよ。
「アリス、真っ白になっちゃったもんね! けど両目は私に会った頃と同じ、綺麗な青色だよ!」
そうだなキャロ。パピヨンは模様があるから良いんだ。模様が無かったら犬種が変わって…………。
待て。今、何て言った?
何かが引っかかる。ずっと喋ってない誰かがいる気がする。
両目が綺麗な青色? おかしい……。かつてオレの片目は抉られ、キャロの村の宝石が、オレの片目を補っていた。
その赤い宝石は何処に……?
シャドウの姿がフラッシュバックする。
漆黒の毛並み、穢れた深紅の両目……。
お婆ちゃん……?
え、お婆ちゃん向こうに言っちゃったの?
全身を焦りが覆っていく。
「わん(お婆ちゃん……)」
小さく口から漏れる言葉。
「……そういえば、ご老人の姿が見えないな。また眠っておられるのか?」
メテオ、ボケてるんじゃあ無い。頭の良いお前なら気付いてる筈だ。
キャロが震えてオレを、オレの瞳を見つめる。気付いてしまったか……。
沈黙が流れる。
そしてオレ達は同時に天高く叫んだ。
お婆ちゃん、と。