ラピスラズリの魔眼
森を全力で駆け抜けるオレ。景色は過ぎ去り、眼前に迫る木々を避けながらひた走る。
オレは逃げていた。獣の大群から。
考えてみればわかることだ。
焼肉パーティをした後はどうなる? 消臭作業が待っているだろう。換気扇を回し窓を開け、消臭剤をぶちまける。それでもカーテンに臭いが……。などはCMでもお馴染みの筈だ。
それを外とはいえ狼丸ごと1匹のバーベキューをしたらどうだろうか。
当然ながら匂いは拡散し、森の獣たちを呼び覚ます。
オレが奴らの臭いと気配に気付いた時には囲まれる寸前。何故もっと早く気付かなかったのか。
いやむしろ人以上の感覚器官のおかげで早く気付けたのだろうか。
まだ残されていた逃げ道を見つけ、駆け出したオレを奴らは追ってきた。
『何故逃げるのです』
ハピア! 当たり前だろ! あんな数勝てないよ!
『魔法があるでしょう!』
さっきから使おうとしてるよ!
燃えろ燃えろと念じているが全く炎の出る気配など無い。
ハピアみたいに呪文の詠唱っぽい物もやってみたが意味はなかった。
『魔術を使う為の魔法陣は勉強が必要ですものね』
くっそ、ファンタジー世界も勉強かよ!
何だ? 使用に制限でもあんのか? MP切れ? 使用回数か? 一回しか使えないとか厳しすぎんだろ!
そうしてオレは逃げているわけだが満腹なのもあって全くスピードが出ない。心なしかボヨンボヨンと音が聞こえそうなほど情けない走りだ。
不意を突いて走りだした分のリーチはあるがこのままではいずれ、追い付かれるだろう。
前言撤回。一瞬で追い付かれる。
崖っぷちに出てしまった。オレは慌てて脚を止める。
何とか崖からダイブせずに済んだがこれは、マズイ。絶体絶命だ。オレは振り返り獣たちを威嚇する。
「わんわんわん!(オラオラ、魔法使えるんやぞ! 燃やされたくなかったら目の前から消えんかい!)」
嘘です使えません。本当はただの愛玩動物なんです。見逃してください。何でもしますから。
どうやら言葉が通じないのか、それとも舐められているのか奴らは引く気配を見せない。
むしろ打つ手のない様子のオレを笑っているかのようだ。
奴らの姿をよく見るとステーキにした奴と違って普通の狼や野犬の様に見える。
マジか、オレ魔物なのに動物にやられちゃうんだ。死ぬほど弱いな! 弱いから死ぬのか。
この世の真理を垣間見てしまった気もするが本気でヤバい。
ハピアも良い手が浮かばない様だし、いない人間をアテにするのも変な話だ。
崖下から吹き上げる突風がオレの体をなぶり長毛を搔き上げる。
既に奴らはオレを包囲した。
オレは逃げ走った疲労と恐怖で息も絶え絶え、だと言うのに奴らは乱れる事ない呼吸で唸り声をあげている。
終わるのか? これが、最後なのか? 本当に打つ手無しなのか……?
オレが打開策を見出だせなくとも時は進む。
捕食者たちが一斉に飛び掛かってくる。その獰猛な牙の前にオレのゆるふわボディは何の防御も出来ないだろう。
思わず声が漏れ、目を閉じて体を縮める。
『結界です!!』
うわあぁぁぁ!! 来るんじゃねえええ!!
…………。…………アレ? 来ないの?
痛みとか苦痛を感じないが、それほど瞬殺で終わっちゃったとか? しかしまだ獣たちの声が聞こえる。獲物を殺さんと唸っている。
もしかしてやっぱ襲うのやーめた、こんな可愛いワンちゃんを襲うなんて無し無し!
それよりサインください的な展開か? 仕方ないなー、今なら特別に握手もつけよう!
前脚をペロペロしてやっても良いぞ!!
恐る恐る期待に目を開く。奴らの血走った瞳と視線が交差する。
うお、やっぱまだいるじゃねーか! そりゃそうか、そうだよね! 絶賛ピンチ継続中だ!!
しかし、様子がおかしい。牙を突き立てようとしているが、何か見えない壁に阻まれている様な……。
いや、見えない壁じゃないわ。良く目を凝らして見ると青っぽい球状のガラス板みたいな物が奴らが近付くのを止めてくれている。
何これ、バリア? メッチャ薄いんだけどコレ大丈夫なのか? オレ助かるの?
『どうやら結界が間に合った様ですわね』
うおおおお!! ハピア様ありがとおおお!! 信じてたよ! ハピアなら何とかしてくれるって!
『ラピスラズリの魔眼。その力で結界を張ったのは貴方です。私は何もしてませんわ』
ハピア照れてる? 可愛いとこもあるじゃん。
ラピスラズリの魔眼か、調べて貰っといて助かったな。
オレは安堵し、感謝と喜びを告げる。だが。
今も突進を続ける獣たちを見て不安が膨れ上がる。
バリアが壊れる気配は無いが、獣たちも引く気配が無い。涎を散らしながら吠え、怯まない姿は狂気すら感じる。
怖えぇ。
オレはバリアが壊れない事を祈り、ただひたすら震える。
ハピアさん、攻撃は? 撃退の手段は……?
『結界の形を操作して、何か出来れば良いのですが……』
その言葉を聞いて念じる。ひたすらに念じる。
突如、獣たちの攻勢が止まる。
先ほどまで聞こえた吠える声や唸りが嘘のように静まり返っている。
だがオレはまだ何もしていない。
奴が現れた。いや、奴の仲間か。
『魔物ですわ! ソードウルフですわね……!』
終わった……。もう駄目だ……。
剣狼。その存在の前ではオレが怯えている動物達も、所詮は餌に過ぎないだろう。
オレを襲う動物達が減りそうな予感はするが全く安心できない。
その彼らが逃げてしまえば、ココに残るのは結界と崖で前後塞がれ動けないオレだけ。
次に獲物として、オレが奴に狙われるのは確実。
ソードウルフが歩みを進め獣の中心へと立つ。獣たちは動かない。いや、動く事が出来ない。
オレが倒した個体とは一線を画す剣狼の姿。
元々鋭かった爪や牙、尾の剣はより鋭く。その体躯も奴の方が一回りほど大きく筋肉も締まっている。
足音一つ立てず現れた奴から誰もがその存在から、目を離すことが出来ない。
歴戦の強者の如く気配を漂わせる相手を見て誰もが、微動だに出来ない。
奴の前では何をする事も許されない。
ソードウルフはオレへと視線を向ける。
オレもまた恐怖とは違う何かを感じ、動く事が出来ず奴と目線が交差する。
奴は大きく息を吸い、そして。咆哮した。
空気がビリビリと震えるのを感じる。森の木々はざわめき獣たちは一斉に背を向ける。
オレは今にも気絶しそうな意識を奮い立たせるので精一杯だ。そして見てしまう。咆哮する、奴の恐ろしい表情を。
そんな物を見てしまったら先程までの窮地がマシだった事を感じてしまう。
こんな奴が来る前に、一か八かでも逃げ出せば良かった。後悔ばかりのオレは自分を責めるのをやめられない。少しでも恐怖から逃れる為に思考をやめられない。
奴は辺りを見回す。獣たちがいなくなった事を確認しているかの様だ。そして再びオレに目を向ける。
奴がオレのもとへと近付き、聖なる結界に向け腕を振るう。
薄いガラス板の様な障壁は、奴の攻撃の前に容易く砕け散った。