絶望の獣
魔物として生まれた。
生まれたばかりの魔物の殆どは弱く、周囲に頼らなければ生きていく事は出来ない。
オレは、弱かった。
けどもう、頼る事はやめよう。
奴らが驚きの声をあげる。
「この光は、進化!?」
「この状況で、進化するだと……!?」
「くそ、とっととやっちまえばこんな事には」
オレを包む闇の輝きがオレの身体を変質させていく。
オレは強く咆哮する。この世の全てに届くように。
この世界にオレの怒りを宣言するかの如く。
やがて黒の光は収束しオレの体へと集まっていく。
姿が変わった印象は無い。特に身体を見回す事も出来ず、視点の高さも変わらない為だろうか。
特別大きくなった訳では無いようだ。
いや、変わっている。潰された筈のオレの視界が復活している。
だが、それ以上に。
オレの体の奥底から湧き上がる力を感じる。
魔力が迸り空気を震えさせているかに思える。
盗賊がオレに向かって無事な方の腕を振りかぶる。
その手には先ほどオレの目を抉った、刃物が握られている。
オレの体は愛犬の身体だ。それを傷付けたコイツを許さない。
瞬間、絶叫が上がる。
地面から伸びた杭に盗賊の腕が、突き刺される。そして奴はそのまま自重を預けている。
オレは大地を操り鋭く研ぎ澄ました。それは一振りの槍の如く、奴の腕を穿つ。
まだ扱いには慣れていないか。胴体と頭を狙ったんだが外れてしまった。
背後から殺気を感じる。
オレは動かない。
その必要が無い。
金属がぶつかり合う様な音。いや、金属が弾かれ割れる音。
オレはそちらをゆっくりと振り返る。
戦士は手にした剣、折れた剣を見つめ震える。
男の前に立ち塞がるのは光の壁。黒く染まった光の障壁。
男は驚きの表情を怒りへと染め上げオレへと拳を振るう。
オレは体を翻し残された三人を見つめる。
戦士の攻撃がオレに届く事は無い。
気配で理解できる。
男は全身を串刺しにされている。オレが複数展開した、大地から伸びる刺突によって。
殺気。
それを感じ取りオレは全方位へと障壁を張る。
シーフの女がオレへと短剣を投げつける。
やるじゃないか。自分は手を出せないかの様に目を覆っていながら、仲間を襲われれば即座にオレへと攻撃をする。
正しい反応だ。やはり一介の冒険者ともなると意識の切り替えが早い。
もはや彼女の目からは慈悲の感情は消え、目の前の獲物を狩ろうとしているのを感じる。
その様子を見てオレは安堵する。
彼女を殺す事に躊躇わなくて良いと。
魔法使いが詠唱を開始する。
魔法使いだと思っていたが魔術も使えるのか。
即座に放たれない事から威力を察する。おそらく障壁で防ぐ事は叶わないだろう。
だが遅い。オレを魔法が使えるだけの能無しだと思っていたなら間違っている。
オレは獣だ。
オレは今まで自分の足を、速さを武器にしてきた。
逃げていただけだな。オレは自嘲する。
進化した今もその脚は健在、いやその速さは以前にも増して速い。
オレは魔法使いの背後へと回り彼女の首筋へと、喰らいつく。
普段は自分のところまで、攻撃が届くことなど無いのだろう。
女の顔は、驚愕と恐怖に染まっている。
常に前衛を携え、安全な位置から魔法による攻撃を仕掛ける。
だがそれは叶わない。
前衛であろう三人。戦士は滅多刺しになり、盗賊は腕を貫く槍で拘束。女シーフに至っては最初の位置が遠かった為、魔法使いの後ろにいる。
女シーフの中途半端な覚悟が仇になったな。一人だけ善人面しているからこんな事になる。
そしてそれを良しとして放置した魔法使いにもその責任はある。
自らの行いによって自らの首を絞められるのだ。
後悔しろ。
後悔の中で死ね。
鮮血が飛び散る。
女の物では無い。
オレの体に痛みが走る。
何か冷たい物がぬるりと、オレの体から体内へと入っていくのを感じる。
オレは黒の結界を体へと纏わせそれを拡大する。
それはさながら衝撃波の如く広がりオレの周囲の存在を、吹き飛ばす。
魔法使いは地に張り付き吐血し、そしてもう一つの物体はオレの背後からより後ろへと飛んでいく。
飛んでいった物体の方を向くと、両腕をダラリとぶら下げた盗賊が息を荒くしながら立っていた。
その目は血走っている。
なるほど。どうやら杭の拘束を外したようだ。
小さな獣の寝込みを襲うような男にそんな度胸は無いとタカを括っていたが……。
どうやら油断した様だ。
「くそ。獣が……。畜生風情があぁ!!」
男は激昂しオレへと襲いかかる。
傷を負ったオレはよろよろと後退りをして水場へと近付き、治癒魔法によりその怪我を治す。
男の両腕が迫る。
だが焦りは無い。
男はオレを目前に両腕だけでなく両脚を振るいもがくが、オレに届く事は無い。
男を阻む物。
男がいるのは地面の上。
だが地に足をついてはいない。
そこには体の自由を奪われた男がいる。奴を覆い尽くすかの様に、水が球体となり浮かぶ。
水から逃れられない男は呼吸を求め暴れ、もがき苦しんでいる。
いい気味だ。
そのまま溺れ死んで貰おう。
地面の上で呼吸出来ず死ぬなんて、滑稽じゃないか。
残された二人を見ると魔法使いが恐怖の様相を浮かべ立ち上がる事も出来ず後ずさる。
だがもう一人の女の姿が無い。
オレの視界の隅で影が動く。
二つの影。
その影は一つとなる。
シーフの女を咥える獣の姿。
その獣は狼の姿を形どり、その全身は串刺しにされたかの如く鋭い刃が生えている。
オレが作り出した存在。
樹木を操り操作する魔法。
オレが形成した魂無き人形。
木偶の獣が女の腹を噛み砕き、引き裂き、内臓を喰らう。
オレは嗤う。
無残な死を遂げる女を見て。
オレが狼の姿を作り出したという、オレ自身の心の滑稽さを考え笑ってしまう。
オレは再び向き直り魔女を見つめる。
この際だ、魔法使いにはオレの仲間たちを紹介してやろう。
生えている木々に魔力を流し込み、想像し、創造する。
獰猛な獣の姿。
力強く誇り高い姿。
オレを守り、敵を喰らう友の姿。
オレの従える獣達が魔女を囲む。
オレの背後から悲鳴が聞こえる。
逃げていく男。
どうやらオレは楽しさのあまり油断して、水の牢獄を解いてしまったらしい。
薄情な男だ。まあ、良い。
残された女に楽しませてもらおう。
可哀想に。見捨てられた女。あんな男を仲間にするからこんな目に合う。
オレが女を見ると彼女が懇願する。
見逃してくれと命乞いをしている。
なんて愚かなんだろう。
殺そうとした相手に対して命乞いなど。そんなものが通るわけがない。
オレは化け物だ。人々に仇為す魔物。人間に恐怖を与え害となる存在。
そのことを考えさせてくれた礼に女には時間をやろう。
後悔し、苦しむ時間を。
思案し笑うオレを見て女が立ち上がる。
逃げ出すつもりか。それは許さない。
彼女がその場で転倒する。
そして軽い物が二つ飛んで行く。女の両足だ。
彼女の膝下から切り取った二つがバラバラに転がっていき、彼女の足から鮮血が流れ出る。
コップを倒したかの様に、ドクドクと溢れる血液。
突風と共に風の刃を作り出し、脚を切断してやった。だが、マズイこれではすぐに死んでしまう。
オレは彼女の元へ、トコトコと近付く。魔女が痛みとと恐怖で顔を歪めている。
今治してやろう。
治癒の光が彼女の両足を包み、その怪我を回復させる。
膝までしか無い脚の切断面が塞がる。
魔女の表情が一瞬、安堵に変わる。そして次第に絶望の色に塗られていく。
膝下が無くなってしまったな。背の高い彼女は魅力的だったのに。これでは子供ほどの背丈しか無いだろう。
……もうじき死ぬ彼女には関係の無い話か。
そろそろ終わりにしよう。
獣達には身体の端からゆっくりと、食事をしてもらおう。
オレがそう念じると木偶が動き始める。
肉が千切られる。ブチブチとした軽快な音がなる。そして女の悲鳴が夜の闇に木霊する。
オレはそれを聞いて満足げに微笑む。
やがて、女の悲鳴が止んだ。
オレは残された獣の一つに男を追う様命じた。
男を殺せなくても構わない。精々恐怖してもらえれば上出来だ。
周囲を見回す。男女の死体が三つ。そのどれもが無残な死を遂げている。
オレの頬を水滴がなぞる。
地面には彼らの武器が転がっているが、オレの瞳の宝石が見当たらない。
逃げた男が持ち去ったのだろうか。
まあ良いだろう。抉られた目は視界が直り元通り。今のオレには不要だろう。
ふと気付くと、オレの首に掛かっていたペンダントが消えている。
キャロ……。
いや、今のオレには無用の長物だろう。彼女とは共にいられなかった。言い伝えも当てにならなかったな。
オレの心に後悔は無い。
オレは獣たちを引き連れ歩く。
かつて過ごした故郷を求めて。
引き連れる彼らの居場所を求めて。
『アリス。大丈夫かい?私はお前のことが心配だよ』
何かが聞こえた気がしたが、オレはそのまま歩き続けた。