5話 魂の重み
「ーグ、 ルグ」
自分の名前が呼ばれるのを感じて目を開けようとするルグ。
しかし、長い間開かれることの無かったその瞼は素直に開けてはくれなかった。
ルグはその時瞼の重みに気づいた。
やっとの事で目を開けると朝方の眩しい朝日の光に視界がぼやけ、焦点を合わすのがやっとである。
視界がぼやけていた黒い塊はやがて形を成してルグの目に入ってくる。
何十年も戦場を駆け抜け焦げてしまった金髪に褐色の良い肌、
そして比較的細めの目は心配のせいか、それとも歳のせいか目尻が心なしか下がっているように見える。
ルグには今はっきりとバジリアの姿が見えていた。
「バジル......俺ちゃんと生きてるか?」
まだ形を成していることに半信半疑になりながらルグは聞いた。
「そうだ、そうだぞルグ! お前は今完全な人間の姿になっている」
良かったなと言わんばかりの満面の笑みでベッドに横たわったままのルグを見下ろすバジリアは嬉しさと興奮で頬を赤くしていた。
「で、ところでじぃさんはどこに行ったんだ?」
「とっくのとっくに次の拠点に行くとかなんとかで出て行ったよ。 お前丸三日も寝ていたんだぞ」
「ーえ。 三日?」
嘘だろと言いたげに頭をブンブンと回すルグだったが、バジリアの意味ありげな微笑みで理解することになった。
「あぁ、 ところで」と、バジリアは話を変えるように改めて、やっと体を起こしたところのルグの方に向き直った。
「これで自分を見てみて」
と、バジリアがルグに渡したのはバジリアとルグがいた頃の騎士団のシンボルマークである翼を大きく広げた凛々しい堂々とした姿勢をとった大鷲の刺繍がされてある手鏡だった。
ルグはその手鏡を取るのを少し躊躇ったが、恐る恐る取ると自分の姿をまじまじと見た。
真珠のような白い肌に埋め込まれたルビーのような真紅の目に薄い唇。
髪の毛はブラウンで緩く横分けにされている。
ルグは自分自身の姿に度肝を抜かれたように目を丸くしたが、次は手鏡を下の方に向けた。
小柄とも大柄ともいかない体格で動きやすさ重視のベスト。
腰には大ぶりではないがそこそこ長さもあり需要もありそうな剣がかけられていた。
「お気に召しました?」
自分の姿を不思議な様な嬉しい様な表情で見つめるルグの隣であたかも自分がしたようなニタニタとした笑みをしたバジリアがルグの方を軽く叩いた。
「ま、まぁな。 これで気兼ねなく自分の目的が果たせるってもんだ」
「ねぇアタシずっと思ってたんだけどさ、ずっと言ってる目的ってなんなの?」
「あぁ目的?それはさー」
一呼吸置いてから、
「もう一回王都に行って俺らのやった事はすごい事なんだって示しに行く。 んじゃないと俺はなんで国を追放されたか分からないから。」
「それだけ?」
「いや、人間の俺としてあの国にやるべきことをやるだけ」
「それでこそルグだな!」
楽しそうに体をクネらせながら喜びの舞を踊るバジリア。
そのいつものバジリアを見てルグは笑いを堪えられなくなった。
「あは! あはは! お前ってば本当! 何しても楽しそうにするよな!」
人間の姿になって初めての笑いはかなり清々しいものだった。
夕暮れの刻になり、獣たちが自分のテリトリーに帰る頃、彼らもそれぞれのテリトリーに変えるために支度をし始める。
「ーさてと」
大きく背伸びをし、帰る支度を終えたバジリアは
「あんたはせっかくその体になれたんだし、もう少し満喫したら?
アタシは今日から二人分の晩御飯のシチューの支度をしなくちゃいけないから大変なのよ。
アタシは先に帰ってるからさ」
機嫌よく鼻歌を歌いながらバジリアは自分の荷物を持ち、片手を軽く上げ手を横にパタパタと振った。
何も言えずに立ちすくんでいたルグを見て、バジリアはププッと鼻で笑うと
「ちなみにうちん家の門限は昔から無かったでしょう?」
と、今度こそ手を振って元来た場所に戻る様に歩き出していた。
ルグはバジリアの姿が見えなくなるまで見送るとやっと意味を理解した。
彼女は彼女なりの精一杯の別れの挨拶をしたと言い聞かせた。
むしろこれくらい軽いくらいが二人には心地いい。
そう、そう言い聞かせた。
************************
夕暮れの終わりに近づき薄暗くなった頃
彼の気分も薄暗くなりつつあった。
何十年も一緒にいた人が急にいなくなるとこうも寂しいものかといなくなってから気づく。
そう、こういう事は失ってから初めて気づく事が多い気がする。
ふと、ミシオンが出せるのかと不思議に思ったルグは手で軽く円を描いてみせる。
すると、その空気中から一瞬ではあるが光の破片がパチンと音を立てながら幻想的に輝いた。
我ながら美しいとニタリと笑っていたルグ。
しかし、その直後ルグの顔の明るさが一瞬して消える事となる。
ー女性の叫び声が聞こえたー
その声は紛れもなく女性の声で聞く限りでは恐怖に慄いているようだった。
どこから聞こえているのかもあまり分からないまま、ルグは走り続けた。
息切れというものを初めて体感し、思ったよりしんどいものだと理解し始めた頃にその場面に出くわした。
森の一角にある小さな草原の様なところでそれは起こっていた。
金髪の少女とドラゴン。
この異様な光景にルグは立ちすくんでいた。
しかし、ドラゴンは大きな爪の生やした手で少女を打とうとした時にルグの体は気付かぬうちに動いていた。
「うああああああああ!」
自分でも驚くほどの大音声を上げながら白いゴツゴツしたドラゴンの方めがけ、腰にあった剣を抜いた。
「うわっ思ってたよりも重っ」
思わず独り言が漏れるが気にせずに突き進む。
ドラゴンの近くに置かれてあった大岩を台にし、大きくジャンプ。
両手で自分の体ほどある大きな青色の目をめがけて思い切り抉った。
剣は目ん玉にクリティカルヒット。
ドラゴンは地鳴りの様な雄叫びをあげ悶える。
目からはドロドロとした緑の液体が溢れ出し、辺り一面に飛び散る。
これはやばいと勘付いたルグは三メートルほどあるドラゴンから飛び降りる。
内臓が浮くのを感じ思わず両手で口を押さえる。
その反動で足に神経がいかなくなり地面にガードも何もなく足から落下。
その衝撃は思ったより重く、足のどこかの骨が砕ける音がした。
あまりの痛みにその場でうずくまるルグに駆け寄ってきたのは他でもないあの少女であった。
「大丈夫ですか!?」
「ーっ」
ルグはその時初めてその少女を見た。
月明かりに照らされた柔らかな金髪は風に揺られ豊かになびいた。
洗礼された刺繍が施された紺色のロングワンピースは彼女が着るだけで品が何ランクも上がっているように見える。
目は青々とした汚れのない蒼色で今にも吸い込まれそうになった。
「本当に大丈夫ですか? すみません」
心配している姿まで愛らしい少女。
ルグは思わず返事をするのを、忘れていた。