港街 ~野良ネコたちの食糧事情~
この港街は、商港と漁港の二つの顔を持つ。
岬を回ってやって来る商船の類いは岸壁や桟橋などが整備されている区画へ向かうし、それなりの大きさでも喫水の浅い漁船は遠浅の砂浜へと住み分けている。
漁師たちは夜更けに船を出し、日の出と共に漁を開始する。そして街が動き出すころには帰港して、漁の成果を卸していく。
彼らは晩酌をしない代わりに、朝に一杯ひっかけるのだ。夜に深酒をして寝坊なぞしたら稼ぎにならないし、酒が残ったまま海に出るのは事故の元である。
そして今、一仕事終えた男たちが一杯引っ掛け始めた。
「最近ネコが増えてないか?けっこう見かけるんだが」
今さっき獲ったばかりの魚を持ち込み、馴染みの屋台で焼けるのを待っていた男が仲間に問いかける。
「増えたって言うより、隠れていたのが出て来たんでさぁ」
屋台の店主が注文の酒を並べながら代わりに答える。
”ふぅーん”と相槌を打っていると注文の品が並び始め、ネコよりも目の前の食い物に夢中になっていく。
サミィの縄張りはあってないようなものだ。
強いて言うならばエステルの工房周辺であろう。
だが彼女はそんな事はお構いなしに、港街のあちこちに出没する。
隣家の庭先、住宅街の裏路地、井戸端会議をしている主婦たちには一声鳴いて通り過ぎる。
人通りが増えてくると、塀の上へ道を変える。この先はさらに人通りが増え、馬車の類いも行き来して危険が増えるからだ。
だが歩みは止めない。この高さは丁度人目に付くので、立ち止まるとヒトの手が伸びてくるのだ。
知っている相手にグルーミングをしてもらうのは構わないが、知らない相手には触れてほしくない。
前に泥だらけのヒトの子供に触られそうになった時、反射的に飛び退ってしまったら、急な動きに驚いたのだろう。そのヒトの幼子が大声で泣き出してしまった。
泣声に母親が慌てて抱き上げ、子供の状態を確かめる。
”いちいち引っ掻いたりしないわ。失礼ね”
聞こえるはずのない言葉に母親がホッとしたのを見て、「にゃーん」と一声鳴いて立ち去ったことがある。
塀の上を家から家、店から店へと伝って進んでいくと、大きな壁にぶつかる。その向こう側では何やら”カンカン”と音が響いている。
人通りの多い方を避けて降りると、その大きな壁沿いに進んでいく。すると……あった。
壁の下が掘り返されている場所にぶつかる。ネコ用の抜け道だ。
少し埋まっていたので、巣穴を掘る要領で掘り起こし、壁の向こうにするりと抜ける。
そこはギルドの練兵場だった。
何名かが組になり、木剣片手に模擬戦を繰り広げている端を、サミィは音もなく進んでいく。
”プーン”
サミィのひげが震える。
ギルドには様々な施設が併設されており、食事もできるスペースがあるので厨房があるのも当然。迷うことなくそちらに向かうと、サミィの背中から砂の精霊が滑り落ちる。
その間もひげは震え続け、向かった先は壁と地面の境目に開いた小さな穴。
穴の左右に一匹と一体が陣取ると、更なる振動音と共に精霊の姿がスナネコに変化。
と!ネズミが二匹穴から飛び出すが、彼らが獲物を逃がす筈もなく一撃必殺。
サミィがネズミの尻尾を器用にまとめて二匹咥えている間に、元の姿に戻った砂の精霊はサミィの背中へ乗ると見えなくなってしまった。
次に向かうは一枚の扉の前だ。
”にゃぁう”
鳴きしなに咥えていたネズミがぽとりと落ちるが、お構いなしにもう一度鳴く。
”にゃぁ”
すると扉から出てきたのは、厳つい顔の口ひげを蓄えた中年普人男性であった。手にしているのはゴミ用のトング。
ネズミの死骸をトングでゴミ箱に捨てると、黙って扉を支えるのでサミィはするりと入っていく。
厨房では数名が仕込みの最中だったが、サミィに構って来たりせず自分の仕事に集中している。
男は厨房の隅にランチョンマットを敷き小皿に水を入れてやると、当然とばかりにそこへ陣取るサミィ。
男がかまどで何やら仕込んでいる間、チロチロと水をなめていると、戻って来た男は新たな皿を片手にサミィの前にしゃがみ込む。
湯気が上がっているのは鳥のササミ、男はサミィの為に茹でてきたのだ。
予め切れ目を入れておいたササミを、サミィの目の前で一口大に手で裂いていく。サミィも男の作業を待っていると、ようやく裂いたササミの山が皿の上に出来上がった。
そしてマットの上に皿が置かれてはじめて、サミィはネズミの報酬を口にしはじめる。
サミィが”はぐはぐ”と齧り付いているのを見ながら、男は手拭いでササミを持った手を拭いていく。
しっかり拭き取ったことを確認した男は口の端を少し歪めながら、サミィの食事の邪魔にならない様に、そっとそっと身体を撫でていくのであった。
食べ終わった後、サミィは男の足に体を一擦りして扉の前に行くと、男が黙って開けてくれる。
”みゃぅぅ”と一声鳴いて滑り抜けると、扉はあっけなく閉じられた。
すると先程まで静かだった扉の向こうでは、男の怒鳴り声が響き渡る。
”仕込みは進んでるのか?ちんたらやってんじゃねぇぞ!”
どうやら男の部下たちは、サミィの時間稼ぎに間に合わなかったようである。
腹がくちくなったら次は食休みだ。
過ごしやすい場所を探しながらよその縄張りを横切っていくが、縄張りの主はサミィの通過に目くじらを立てない。
何も知らない若いネコが突っかかろうとするが、サミィが気配で視線を向けると、途端に大人しくなってしまう。
少し歩いただけで波風を感じる所へ出た。
風通しの良い日陰に横になると、その向こうには入港してくる船が見えてきた。桟橋に寄せられ、船が係留されるにはまだ時間がかかるだろう。
”くあぁぁぁ”と大あくびをすると、とろとろとサミィは微睡んでいく。
”みゃーぅ”
仲間の合図に目を開くと、船が桟橋に接舷したところだった。
船からは錨が下ろされるのと並行して、甲板から舫い綱が投げ落とされ、受取った桟橋側は係留杭に固定していく。
くいっと伸びをして歩き出すと、既に数匹の仲間が向かっている。
向かった先は───
「おう、宜しく頼むぜ」
船から桟橋へ板が渡されると、甲板長を先頭に積み荷が降ろされ始める。
「おう、今回も無事で何よりだ」
「キァラシュの旦那!店主自らの出迎えたぁ恐縮です!」
「なにせ半年ぶりの帰還だからな。船影が見えたって知らせが来たから飛んで来たぜ。いい仕入れ、出来たんだろ?」
「へへ、そりゃぁもう…っとと、詳しい話しは船長から。俺が先に話しちまったら、簀巻きでマストから吊るされちまう」
厳つい甲板長が腕を抱えて怖がって見せると、二人揃って大笑いしていく。
「で、ありゃ何ですかい?」
「あぁ、最近現れ始めたんだ、邪険にするなよ。おーい、ネコを通してやれ!」
キァラシュは大きな声で指示すると、さらには船内に入っても追い出さない様に付け加える。
そんな事はお構いなしに、ネコたちは荷降ろしも始まっていない船に乗り込んでいく。
「一体何が始まるんで?」
「中々の見ものになるぞ。───狩りの時間だ」
”みゃぁぉう”
”ちちっ”
”シャァァ”
船首から船尾まで、甲板から船底まで、ネコたちは縦横無尽に駆けずり回る。
ネコの勢子たちが追い出したのは、もうお分りだろう。ネズミである。
鳴き声で威嚇して追い立てる者、物陰に待ち伏せる者、通路の要所に立って逃げ道を塞ぐ者、殿は船と桟橋に渡されている板の上である。
ネコたちの狩りの様子を面白がっていた甲板長だが、狩りが続くにつれ顔が段々と渋くなっていくと、それに比例して船員たちの顔色が青くなる。
「結構いるもんだな……」航海中、目に付くネズミは退治していたつもりだったのに、積み上がっていく死骸の山を目の当たりにすると、渋面になっていくのは仕方ないだろう。
桟橋には数人が長柄のタモを持って待ち構えている。
そしてまた追い詰められて逃げ場を失ったネズミが、船縁から海にダイブした。
それを桟橋の男がタモですくって叩き殺すと、死骸の山に放り投げる。
「あれはどうするんで?」
「砂漠に捨てる。半日もすれば干乾びるし、虫とかが綺麗に掃除してくれるしな」
「え?ネコたちの餌じゃなくて?」
「はっはっは、あいつらはもっといいものが食べれると知ってるから、ネズミなんか食わないよ」
「???」
そうこうしているうちに狩りが終わったのだろう、ネコたちは下船してくると邪魔にならない様に隅っこに集まっていく。
乗組員たちはやっと終わった騒動にホッとして、積み荷を桟橋に降ろしていく。
”なぁぅ”
積み荷の木箱の一つを引っ掻くものがいた。サミィだ。
甲板長が舌打ちをして追い払おうとするが、キァラシュに止められた。
「中身は何だ?」
「ミックスナッツを袋に小分けした物ですね。小袋だったんで、木箱にまとめたんでしょう」
箱の横には番号が振ってあり、書類片手に男が答えていくが、よく見ると箱の下の方に二センチにも満たない穴が開いている。
「ちっ」状況から察する。
キァラシュが穴と反対側の側面を蹴り飛ばし、甲板長は蓋を拳で乱打する。
「うぉっ」
甲板長の驚きの声と共に、中にいた数匹のネズミが驚いて飛び出すが、まずサミィが爪を一閃。残りも待機していたネコたちに全て狩られていく。
するとネコたちがサミィを先頭に、狩ったネズミを甲板長の前に並べていくではないか。
「な、なんなんだ!?」
”なぁーぅ”
「ははははっ!お前が獲物を前にしてそんな声だすからだよ!」
「……んだと?このチビ助が!」
「ああ、そのチビがリーダーだからな」
”なぁーぉ”
「ほれ」
投げ渡された物を反射的にキャッチすると、小銭の入った巾着だった。
「野良ネコ達はな、ネズミを狩って持ってくると、ご褒美がもらえると覚えちまったんだよ。最近街じゃネズミを見かけるのも少なくてな。みんな喜んでるよ」
完全にネズミを無くすのは不可能だとしても、継続して狩れば少なくなるのは当然である。
そう、サミィが街での狩りを教え、野良ネコたちは味を占めた。すると今度はサミィのおまんまが食い上げになったのだ。
エステルからご飯は貰ってはいたが、貰えるはずのものが貰えないのには誰しも納得できない。
街中を探索していく中、サミィは発見したのだ。ネズミたちの外からの侵入経路を。
初めは桟橋付近を縄張りにしている二・三匹と連れ立って船に入った。
船によっては船ネコもいたりするので、そこはサミィが”説得”、効率よくネズミを狩っていく。
だがそれだけでは望む物を手に入れられない。
次にサミィが目を付けたのは、狩りの場にした船側のヒトと陸側のヒト。それも上位に位置している者だ。
ただのネコには区別はつかないが、サミィであればアピールすべき相手がわかる。
船にとってネズミは駆除すべき相手。陸からすれば来てほしくはないが、侵入を防ぐのも難しい。そこへネコたちが接岸した船に入り、ネズミを狩る。
その報酬を勝ち取るべくアピール(ネズミを獲って鳴いてアピール)していたが、中々埒があかない。しかし思わぬところから助けが来た。
「旦那の船のネズミを駆除してくれんだろ?こっから見えてたぜ。こいつらに報酬をやってもバチ当たらんと思うがよ?」
焼き物の屋台の店主である。
自分の屋台の周囲をうろつくネズミを狩って貰ったことがあり、その際に焼き魚をやったことがあったのだ。
「最近こいつらがネズミを退治してくれるから街も綺麗なもんよ。街中じゃ殆ど見かけなくなったが、この辺はまだ出るんだよ。
ちょいと不思議だったが今のを見て分かったね。ネズミども船に乗ってくるんだよ。どうしようもないって分かっちゃいるがよ、こいつらの働きは大したもんでさ、
あんたらも船からネズミが居なくなれば船荷を齧られる被害も少なくなるんじゃないか?」
少なくともこの港から次の港までは安心じゃないか?と店主は付け加える。
餌付けによって船のネズミも獲ってくればご褒美がもらえると覚え込ませれば、利益は多方面に及ぶのだ。
焼き物屋の屋台からすれば、自分の屋台で買い物をしてくれれば願ったり叶ったりなのだが。
「誰が金を出すんだ?」
「そりゃ船側だろ」
「だな」
甲板長が巾着を受け取ると、ネコたちが周囲に集まり出した。
「それもって早く屋台に行かないと煩いぞ」キァラシュがニヤニヤ嗤って教えてやる。
訝しみながらも歩き出すと、甲板長の後ろにはネコの行列。周囲からは生温かい視線が注がれ、こんなに居心地が悪いのは初めてだった。
勿論出ている屋台が一軒だけの筈もなく、途中からネコたちは甲板長を追い越して思い思いの屋台へ走り出していく。
「おら、財布持ち!こっちだ!」
ハッと自分を呼んでいると気付いた甲板長は、呼ばれた屋台へ足を向ける。
「そんな呼び方をするな」
「そんな凄んでもダメだぜ。こいつら結構頭が良くてな、俺が魚を構えていて皿に置かないのはアンタのせいだって分かるんだ」
そう言って塩を控えた焼き魚を構えると、ネコたちが甲板長ににじり寄ってくる。
「早く支払わないと、脛が傷だらけになるぜ」
”俺、なんか上手いこと言った!”と得意気な屋台の親父に殺意を覚えたが、自分の財布ではないので素直に払ってやる。
払いを確認した親父が地面に皿を並べて配膳してやると、待っていたネコたちが魚にかぶりつく。
何となしに眺めていた甲板長だったが、別の屋台から声がかかる。
「まだまだいるぞ。早く来い!」
甲板長が自分の脛を守るため、屋台への支払いに駆けずり回るこの港街は、今や最もネズミが少ない場所と名を上げているのであった。
ある日、また一隻の船が入港した。
初めて見る船であったが、別に珍しい事じゃない。
いつもの様に桟橋に寄せて係留すると、船縁から顔を覗かせる者がいるのでこちらから声を掛ける。
「ここは初めてだよな?補給か?商売か?」ベテラン係員が声を張り上げる。
「補給だ!うちの奴らを上陸させるが問題ないな?」
「金払いが良くてトラブル起こさなきゃ問題ねぇよ!」
「よし、お前ら交代で半舷上陸だ。羽目外すんじゃねぇぞ!」
そこでようやっと桟橋に板が渡されると、船員は待ち構えているネコたちに驚いた。
「ああ、ネズミ狩りの野良ネコだ。狩って来たらご褒美を買ってやってくれ」と言って屋台を指し示す。
”ほう”と一言呟いたが船員はそれを断った。
「うちにゃネズミはいないから間に合ってるよ」
「はぁ!?船だったらネズミ駆除に頭悩ませる、ってのが相場ってもんだろが!」
「まあな。侵入はされるがしっかり駆除できてるよ、うちは」
船員の言葉に、男は”けちくせぇ野郎だ”といきり立ったが、ネコたちは違った。
板を渡って船縁までいくが、それを越えようとはしない。うろつくこと暫し、結果としてネコたちは船に乗り込むことなく帰っていってしまった。
「おう、ここのネコは美人で頭がいいねぇ」
その言葉が聞こえたのか、最後尾のスナネコが振り返ってジッと男を見たが、興味が失せたのか仲間の元へ走り去って行った。
お読みいただきありがとうございます。




