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砂漠の流儀・2



オアシスで目覚めると同時に砂漠の民の男から挨拶をされ、驚きのあまり跳び退ってしまったヴィリュークだが、正しく挨拶を返せてホッとしていた。


「朝のお茶はどうだ」


「ならばこちらは別の物を用意しよう」


砂漠の民にとって急ぎの用が無い限り、相手からの茶の誘いを断わるのは失礼とされている。


今回のヴィリュークの返答は礼儀にかなった返答と言える。勿論、断るときに失礼にならない言い回しも決まっている。


ヴィリュークの返答に首肯して、男は湯を沸かし始める。


湯が沸く間に彼は地面に敷物を敷いて、自分のカップと厳重に封をした壺を取り出す。


さらに大事そうに取り出したのは、ハンドルのついた箱であった。


男は壺から黒い豆を匙できっちり二杯、箱を開けて中に入れるとハンドルを回していく。


ゆっくりとゴリゴリ音を立てて回していくと、挽かれた豆が粉となって出てくる。


それを見て豆の正体を察したヴィリュークは、自分も箱を二つ取り出すと中身を皿に盛りつけていく。もちろん自分のカップも忘れてはいない。


男はと言えば湯気を噴いているやかんを火から下ろし、落ち着いたところで粉を投入するとしばらくして芳醇な香りが漂ってくる。


カップを二つ並べると、男は静かに注いでいく。


それを見ながらヴィリュークは皿にドライフルーツと木の実を取り出した。


ほぼ同時に、男は半分ほど注いだカップを差し出し、ヴィリュークは皿を二人の真ん中に置いていった。




「”地獄のように黒く、死のように強く、愛のように甘美”とは良く言ったものだ。しかもこの香りは最上級のコーヒーではないか」


ヴィリュークは最高の賛辞を送り、男はコーヒーの昔ながらの形容を聞き、嬉しそうに返した。


「それをいうなら、このドライフルーツ(デーツの実)は濃厚な甘みがあるし、木の実(クルミ)は大振りで身が詰まっていて美味いぞ」


男も負けじと褒め称える。


それから始まったのは、ヴィリュークがコーヒーを要求すれば男が注ぎ、男が皿の物を要求すればヴィリュークが手渡すといったやり取りであった。


三度繰り返してから、ヴィリュークは男に水を向ける。


「兄弟、何か困った事は無いか。コーヒーの礼をしたい」


しかし男は否定する。


「兄弟、礼はデーツで返してもらった」


「兄弟、コーヒーは最上級の物だった」


確かに砂漠の真ん中で出会うには不釣り合いな品質であった。


「兄弟、お前はクルミまで振舞ってくれた」


ヴィリュークが黙ってカップを差し出しお代わりを要求すると、男も黙ってお代わりを注ぐ。


深く香りを吸い込み、吐き出す。そしてグイッとコーヒーを飲み干すと、ヴィリュークは改めて男に訊ねた。


「兄弟、困ったことが”有る”なら言ってくれ」


ヴィリュークのその言葉に、男は救われた様に表情を崩す。


「兄弟、お前は博識な上砂漠の流儀も熟知しているようだ。俺はお前に出会えたことを砂漠の神に感謝する」


オアシスで休んでいるヴィリュークを見つけた時、初めから男は砂漠の流儀で回りくどくも礼を尽くして頼みごとをしたかったのだ。






まずはお互いに自己紹介を交わす。男はジャッバールと名乗った。


山羊や羊を育てて生活しており、今の季節オアシスから三日ほどの距離の放牧地で一族と暮らしている。


つまり世間が言う所の遊牧民だ。


現在、遊牧を捨て街などに定住する者が増えて人数を減らしているらしいが、ジャッバールの部族は一定の人数を維持し、昔ながらの生活を守り続けているそうだ。


彼らは夏と冬とで放牧地を変える。


一族いっぺんに移動するのではなく、幾つかの集団に分かれて時間差で新たな放牧地を目指していくのだ。


今年も冬を過ごすため、放牧地へ移動していた時に異変は起こった。


移動中に居眠りをして落馬した者が出たのだ。働き盛りの壮年の男である。毎日馬に乗っている彼らだが、極々稀にあるかもしれない。しかし落馬した男の容体がおかしかった。


落馬しても一向に起きてこない。頭を打ったのかと確認しても外傷もない。


心配のあまり立ち往生して暫くすると、寝惚けた顔で起き上がる。


当人も首をかしげていたが、その時は笑い話で流された。


移動最終日と言う事もありその日のうちに冬の居留地に辿り着くと、あっという間にテントを設置してその日は眠りについた。






異変はそこで収まらなかった。、


渡り歩く、というのだろうか。


伝染・拡散ではない。数日おきにその症状がでる者が変わって行くのだ。


被害が拡大していないとは言え常に誰かが床に臥せっている状況に、ジャッバールは一族のまじない師を訪ねる。


まじない師のテントを訪ねると既に人で一杯だった。


「おばば様、息子を、息子をなんとか救ってください」


テントの中心に男の子が横たえられ、その両親と思しき一組の男女がまじない師(老女)に頭を下げて懇願している。


「わたしが、わたしのせいで……」母親が涙を流しながら自らを責め立てる。


「あんたのせいじゃないよ。症状だけ見れば”砂の呪い”なんだがね、あたしが聞いた呪いはこんなに移動はしないよ」


なんでも母親が呪いに掛かって隔離されていたのだが、母親恋しと男の子が母の寝床に潜り込んだそうだ。


結果母親は呪いから解放され、男の子がその身代わりとなってここに担ぎ込まれている。


男の子の頭にあてがわれたクッションには、砂がこぼれ落ちている。


昏睡状態の者の周囲には必ず砂がこぼれ落ちている。これが”砂の呪い”と呼ばれる所以ゆえんである。


「取り敢えずこの子の事はあたしが引き受けたよ。なんとかするから、あんたらは自分達のテントに戻りな」


心配のあまり中々帰らない両親を宥めすかしてようやっと帰すと、テントの中は男の子のほかに大人が三人となった。






「で、おばば。何とかなるのか?」ジャッバールは自分の疑問をぶつけた。


「何とかなるなら何とかしているわ」代わりに答えたのは弟子のロシャン。ジャッバールの婚約者だ。一月後の成人式を控え、その翌日には結婚式を挙げる予定だ。


子供の頃に親同士で決めた許嫁ではあるが、今ではお互いに想い合い結ばれる日を心待ちにしている。


だが呪いと言う不穏な日々が続いている時に、式を挙げるのも縁起が悪い。早急に解決したいのは山々だが、解決手段が見つからない。


式を目前に控えた二人が、不安を抱えてしまうのも仕方ない。


「おばば、何ともならないのか?”砂の呪い”って分かったのだから、記録でも口伝でも何か残ってるだろう?」


「先々代の頃に呪いが降りかかった時は無事解呪できたらしいんだがね、記録に残す前にポックリ逝ってしまったんだよ。残っているのは先代の口伝のみだよ」


ジャッバールはロシャンへ視線で訴えるが、彼女は首を振るばかり。


「なんでもいい教えてくれ」


「……大したことは残ってないよ。道に迷ったまじない師が、一晩泊めて貰った礼で治していったらしい」


口伝もひったくれもない。結果しか残っていないとは。


「いや、なんかこう、あるだろ?凄腕のまじない師だったとか、貴重な魔道具を持っていたとか」


「凄腕の女まじない師だそうだが……なんでも耳が長いらしい。手の平を思い切り広げたくらいの長さだそうだ」






その晩ジャッバールとロシャンは集落から少し離れた所で、星明りの下二人きりで過ごしていた。


久しぶりの逢瀬なのに素直に喜べないのは、呪いの影響で一族内の雰囲気が良く無いせいからか。


本来未婚の男女が二人きりでいるなど一族のしきたりでは言語道断であるが、片や部族一の戦士であり片や部族の次期まじない師の結婚前束の間の逢瀬なので、大目に見られている所もある。


「ごめんなさい、ジャッバール。式は先延ばしになりそうだわ」


「ロシャン、謝る必要はない。俺は戦士で君はまじない師だ。君が出来ないことを俺が責めるのは筋が違う」


そう言うと二人は黙って寄り添い、星空を見つめ続ける。


この時間の沙漠は寒い。二人は肩を寄せ合い、一枚の毛布に包まって暖を取る。


「昼間のおばばの話、どう思う?」


「凄腕の女まじない師?最近の話なら何とか探し出してって思うけど、流石に先々代の時代の話じゃ亡くなってるわよ」


「……耳が長いと言ってたじゃないか。実は街で耳が長い奴を見かけたことがある」


毎年春になると街へ育った家畜を売りに行く。もちろん家畜だけではない。刈り取った羊毛や山羊の毛を使った毛織物なども大切な収入源である。


それを元に日用品や生活必需品を仕入れ帰ってくるのだ。


ジャッバールは戦士だが、毎回数名の部族の者を率いて街へ取り引きに赴いている。一族の生活を護り維持するのもまた、戦士の大事な務めである。


「それってまさか!」


「いや、おばばに例の者がどこに向かったか聞いてみたが、なんでもオアシスから更に先の渓谷を越えたもっと先の故郷に帰ったとか」


「街とは逆方向か……後継者とか子孫は期待出来ないわね」


「………。後にも先にもそのヒトを見かけたのは一度きりだったが、居合わせた商人に何者か聞いてみたら、なんでも”えるふ”とか言う種族で大変長命らしい」


「……」


「平気で俺たちの十倍は生きるらしい。話半分で聞くとしても五倍だぞ、まだ存命の可能性は高い」


「…でも、でも、渓谷を渡るのだって一苦労だし、その向こうにあるのは砂の廃都よ。さらにその向こうのどこに街があるかも分からないのに、見ず知らずの一人を捜すだなんて不可能よ」


およそ結婚目前のカップルの話題ではなかった。自分たちの幸せに浸ることも叶わない。それきり黙りこくってると何処からか声が聞こえてくる。


”砂漠の神よ、どうかあの子をお救い下さい。わたしの代わりにあの子が死んでしまったら……どうか今一度、あの子に掛かっている呪いを私に移してください”


「居た堪れないな」


「あの夫婦、中々子供が授からなくて待望の子供だったそうよ。しかも跡取り息子だし。あの子が死んだらあの夫婦も……」


「男でも女でも、生まれれば大切な部族の子供なのだがな」


女が居なくては跡取りも生まれないのだが、跡取りである男の子が生まれればもてはやされ、あからさまではないが女が生まれると落胆される傾向にある。


婿取りの風習があるので女児が生まれても問題ないとはいえ、腹を痛めた子供が男の子であればそれはそれで母親としては誇らしいものなのだ。だがそれを差し引いても、母親の祈りは息子への愛で溢れていた。


”神よ、お願いします。お願いします、おねがいします……”


「ジャッバール、もし私が倒れたら助けてくれる?」


愛する者の他愛もない意地悪な質問。


「ロシャンの為ならば渓谷などひとっとびだし、砂漠なぞあっと言う間に走破してくれるわ。砂漠の一粒の宝石も、俺に掛かれば見つける事も容易い」


愛するが故の大言壮語。


そして冬の月明かりの下、砂漠の夜は更ける。






「ああ!砂漠の神よ、おばば様、ありがとうございます!!」


そこには昨日まで昏睡状態だった子供を抱きしめる母親の姿があった。


その子供は”かあさま、いたい”と助けを求めている。


預けた翌日、子供は目覚めたのだ。


「久しぶりの食事だから、消化の良いものを食べさせてあげてください」


「ロシャン、ありがとう、ありがとう」


「さぁ、早くテントに戻って看病してあげて。今度の眠りはちゃんと目が覚めるわ」


親子が何度も振り返り礼を述べ、頭を下げていくが、同席していたジャッバールの顔は険しいままだった。


周りに人の姿が無くなると、ロシャンの身体がぐらりと傾ぐ。


すかさずジャッバールが身体を支えるが、そのまま彼女はへたり込んでしまう。


その傾いだ頭から砂粒が落ちるのをジャッバールは見逃さなかった。


「やはりそうか……ロシャン、なんてことを」


ジャッバールの予想通り、ロシャンは男の子の身代わりになっていた。


”砂の呪い”


男の子と同じテントで就寝。ロシャンが朝目覚めると自分の枕元に砂が溜まっている。


計画通り呪いを移せたが、ジャッバールの事を想うと心が重かった。


だがおぼろげな意識の中、ロシャンはジャッバールの腕の中に包まれているのを感じると、重かった心が少し軽くなっていった。





ロシャンは自分のテントではなく、まじない師のおばばのテントに寝かされている。


そこは朝まで男の子と寝ていたテントであり、今度は看病される側として横たわっている。


「おばば、行ってくる」


”どこに行くか”などとは聞く必要もなかった。


「当てのない旅だよ。それこそ砂漠から一粒の宝石を探すようなものよ。それより傍についておれば何時か目が覚めるかもしれんし、万が一死に目に会えなかったら悔やみきれなだろうさ。それでも行くのかい?」


「縁起でもない事を言うな。それに俺は彼女と約束をしたんだ」


寝顔も綺麗なロシャンを見ながら、ジャッバールは啖呵を切る。


「砂漠の一粒の宝石も、簡単に見つけて見せるってな」






ジャッバールからの一連の話を、ヴィリュークは顎をさすりながら黙って聞いていた。


「頼む。彼女の呪いの解き方を知っていたら教えてくれ。もしくは知っていそうなヒトが居たら紹介して欲しい」


「……なぜ俺が知っていそうだと?」


「知っている者が見れば兄弟、お前が何者かは分かる。帽子(クーフィーヤ)でうまく隠しているが、耳の先が帽子の生地を下から押し上げているぞ」


ヴィリュークは”やれやれ”と言った感で、うなじまでピッチリ隠していたクーフィーヤを捌くと、エルフの長い耳がチラチラ見えるようになった。


「ふぅ」蒸れが解消されたのか一息つく。


「で、それで兄弟、何か当てはないか?」


「当てどころか、色々知っている。しかも治したというか退治したこともある」


ヴィリュークは話を聞いていた途中から、原因がサンドマンと分かっていた。


そして以前の旅で、仲間に取り付いたサンドマンを倒した事を簡単に話して聞かせる。


「なんと、呪いではなく魔物が原因だと……頼む!俺の全財産、全てやる!彼女を救ってくれ!」




コーヒーの表現はアラビア地方で使われている物です。

似たようなところで政治家のタレーランの物がありますが、それ以外にも亜種みたいなキャッチコピーがあるようです。


お読みいただきありがとうございます。


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