41・送別会と少女の”けついひょうめい”
昨日の晩飯は俺が作った。
と言っても、いつものパターンに魚が加わっただけだが。
パンに野菜スープ、魚は塩焼きだ。男の料理に過度な期待はしないでほしい。
ばあさまとエステルは、食事にだけ顔を出し、食べ終わると即工房に戻った。空腹で戻って来ただけなのは相変わらずだ。好きにさせておくに限る。
朝起きてリビングに行っても、サミィがゆったりと佇んでいるだけで二人の姿はない。
昨晩、野菜スープを多めに作っておいたので朝食分は賄える。昨晩はパリッとしていたパンだったが、一晩おいたせいで柔らかくなってしまった。なので軽くトーストしておこう。
遠くで動く気配を感じ、お茶の支度をはじめる。
ポットに茶葉を入れ、お湯を注ぎ、お盆にポット・湯飲み茶わんを持ってテーブルに向かうと、丁度師弟がやり切った顔をしてよたよたと部屋に入ってくるところだった。
声も出すのも面倒臭げに片手を上げて合図をしてくるので、お盆片手に返礼する。
ぐったりと席に着く二人を尻目に、ポットからお茶を淹れて二人の前に置いてやる。香りでシャキッとしてくれるといいのだが、残念ながらあの表情は”ほっこり”だ。
それならばと、乾いた手拭いを二本用意する。意識を広げ、水瓶からいつもの様に水を引っ張ってくる。
紐から球に水を纏めていると、エステルが口をぽかんとあけてその様子を見ている。驚いているようではあるが、まだシャキッとするには足りないのか。
手拭いを水球に突っ込み湿らすと、おしぼりを二本作ってお盆の上に置く。手をかざしおしぼりに含まれた水を高温まで上げると、湯気が立ち始める。あ、水球は外の生垣に投げておいた。
熱々のそれらを一瞬摘まみ二人の前に置く。ばあさまは慣れたもので熱々のおしぼりを広げながら冷ましていくと、やおら広げたおしぼりを顔一杯にあてがう。
ばあさまはあてがって微動だにしない、いや、耳が赤くなりながらゆっくりと弛緩していくと……
「っぱぁぁ」
弛緩していた耳はピンと立ち、さっぱりとした表情で顔やら首筋やら拭いていき、最後に手の汚れを拭いていくばあさま。
それを見ていたエステル。見よう見まねで手拭いを冷ましていくが途中途中で”ぁちち”と声を漏らす。
エステルがおしぼりをあてがい、耳が弛緩していくのを確認した俺は、台所から温め直したスープを持ってくる。
配膳しながら問いかける。
「卵があるが、目玉焼きにするか?」
師弟がスープを飲みながら揃って頷く。
「何個?」
師弟が揃って空いてる手で指を二本立てる。反対の手はって?スプーンを動かしているよ。
「焼き加減の好みは変わってないな?」
師弟が揃って頷く。ばあさまの好みは知ってるが、エステルのなんか知らん、一緒にしてしまえ。
しかしこの師弟、さっきからろくすっぽ喋らない。ちょっと失礼じゃないか?
台所に戻り、熱したフライパンに卵を落とす。黄身が盛り上がっていていい卵だ。しばし待って白身がある程度固まるのを確認し、ちょいと水を差すと素早く蓋をして蒸し焼きにする。
その間に皿を三枚(俺の分もだ)トーストしておいたパンを振り分けてるうちに、目玉焼きの良い頃合いになる。
蓋を開けると湯気の中から半熟目玉焼きが顔を覗かせ、なんとも美味そうだ。まとめて焼いてしまったので切り分けしなに黄身をフライパンにこぼしてしまうと、折角の焼け具合が台無しである。
そこは卵を割る際の配置で問題ない。独立して焼けていたり、二つくっ付いていたりはするが、一人二個ずつに分けられた。
トーストの脇に目玉焼きを乗せた皿を、両手に持ち腕にも乗せてまとめてもっていく。
それぞれ配膳していくと、二人とも同じやり方で食べようとする。
トーストに目玉焼きを一つのせ食卓を見渡すので、塩の入った小瓶を押し出してやる。
我が意を得たりとばかりに、塩を振った目玉焼きトーストにかぶりつく師弟。
それを横目に俺は隠し持っていた木製の円筒型のものを出すと、まずスープの上で上半分を回す。
”ごりごり”何かを挽く音がするとスープに黒い粉が落ちてくる。
”ごりごり”今度は目玉焼きの上にも黒い粉が落ちる。
湯気と共に鼻に刺激的な香りをもたらす。
スープを一口、昨晩の残り物なのに味が引き締まった。
目玉焼きを一口、黄身のとろみと刺激的な香りが鼻を抜ける。
わざと木の円筒を、二人のぎりぎり手の届かないところに置く。
すーっと二人の手が伸びた所で円筒をさらう。
「あぁ、胡椒があると一味違うなぁ」目玉焼きトーストを齧りながらペッパーミルを弄ぶ。
なんてことはない、エルネストのおっさんの店で購入したものだ。初めての時は逃げる様に店を出ていったのだが、後日他の客に交じって購入した。そのお蔭でナフルさんの立て板に水のようなトークを回避出来た。
「「ヴィ、ヴィリューク」さん」
”ザクザク”トーストを咀嚼する音が響く。
「やっぱりねー、親しき中にも礼儀あり、って思う訳ですよ」
「「……!?……」」
「まぁ、朝の挨拶・食事前の挨拶は……置いとくとして。ね、ばあさま?」
「ヴィ、ヴィリューク。わたしが悪かったから、そんな意地悪しないでおくれ」
「あぁ、実家の匂い…それを、それをください、お願いします」
元々そんなに意地悪をするつもりはなかったので、それぞれのスープと目玉焼きに軽く胡椒を挽いてやる。
「後はお好みでどうぞ」
言葉が終わらないうちにスープを飲み始める二人。すると目に力が漲り覚醒する。
次に目玉焼きトーストと齧りはじめると目が輝き始めた。咀嚼しながら鼻呼吸するのだが、ちょっと荒い鼻息がうるさい。
「もう一個ずつなら焼けるけど、いるか?」
二人そろって頷くが”ふんすふんす”と鼻息が激しい。ま、喜んでくれてるからいいか。
その後、胡椒をかけすぎ無いように止めるのが大変だった。
「ミルは置いてくからじっくり味わってくれ」
「え?いいの?」
「大分気に入ってくれたようだし、向こうに戻れば俺はまた買えるから。しかし結構使ったなぁ」
ミルを振って中の胡椒粒の音を確認するが、あまり入ってなさそうだ。
その音を聞いて絶望的な表情をするばあさま。
「しまった、ついかけすぎてしまった……」絶望に打ちひしがれている。
その姿に苦笑しながら、さらに隠し持っていた小瓶をテーブルに置く。
「これもあげるから。使いすぎ無いように気を付けてくれよ」
「ぉぉぉぉ……」低く響く歓声を上げながら胡椒の小瓶を掲げる。
ばあさま、キャラ変わってないか?
「ヴィリュークありがとう。あいしてる!」
「胡椒一瓶の愛か。どれほどの価値なんだろうなぁ」苦笑いが止まらない。
「いや、結構高いから。その一瓶」エステルはおおよその値段を知っているようだが、ここで金に換算するほど野暮なものはない。しかも血縁者からの愛だからやめてくれ。
「ところで俺のじゅうたんの整備は?」
「とっくに終わってるわ。それからうちに死蔵してる武具も積み込んでおいたから使ってちょうだい」
げ、ばあさまの相方が作ったというアレか!
「処理に困ったからって押し付けるのはやめてくれ!」
「全部積み込めるはず無いじゃない。”わたしが”厳選した一品達よ」
「言葉に不穏なものが響きまくっているのは気のせいか?いや気のせいじゃないと思う……」
「説明書はいれといたから、ちゃんと活用してあげてね。言っとくけどそのまま封印するんじゃないわよ」
興味が無いわけでは無かったので封印するつもりはないが、ばあさまの一言はある意味その武器たちの評価ではなかろうか。
「うぅ、まずはその説明書を読んでみるか……」
「今日あたり帰ろうかと思うんだが……」
「なに?のんびりしていると落ち着かないの?全く貧乏性ねぇ」
期日を切られた配達業をしていると、たとえ性能の良い”足”があったとしても無為に過ごす時間と言うものは落ち着かないものだ。
仕事上のんびりしすぎて遅れて配達って事は無い。休暇で帰省した時、のんびりしろといわれても実家での暇つぶしなんかたかが知れている。
「明日になさい。今晩エステルのお祝いするから。で、明日はエステルを王都までエスコートね。んふ?エスコートって言うと、あなたたち連れ立って舞踏会に行くみたい」
「獲物でも狩りにいくのか?」
「私はどちらかというと、狩るというより逆に強引な方がいいかしら。キャー」
「…………」
「なによヴィリューク、なんか言いなさいよ」
「いやなんにも?」雉も鳴かずば撃たれまい。
エステルが一日かけて、村の知り合いに今回の顛末を報告すると、ちょっとした騒ぎになった。
免許皆伝を一緒に喜ぶもの。
突然の王都行きに悲しむもの。
知り合いがいなくなることに寂しがるもの。
共通していることは、ばあさまの弟子から一人前の職人として独立したことへの祝福であった。
その晩の夕食は豪勢なものとなった。
エステルが挨拶回りをしている間に、俺とばあさまで作り上げた料理である。
とは言っても、俺が帰ってきたときと同じくらいだろうか。あ、薬味は俺が取ってきた。寄り道はなしでだ。
全員食卓に着き(サミィは既に部屋の隅で山鳥を焼いたものを堪能中である)、酒の封を切ろうという時に玄関から声がかかる。
「こんばんはー」
扉を開けるとカルジェロ夫妻にブラスコ夫妻、もちろん子供たち三人が立っていた。
大人の手には料理が一皿づつ。酒や果物の籠は子供達が抱えている。
「お祝いの品なんだけど、ちょっと多いかしらね」オルエッタさんが困ったように言う。
「あら、よくきたわね。……夕飯まだだったら、一緒にどう?私達だけでは絶対余ってしまうわ」
大人たちが視線を交わすと”それじゃぁ”ということで即決だった。
しかし小さなパーティはすぐに終わってしまった。
改めて乾杯をし、料理をひとくちふたくち噛み締めていると、またもや玄関から声がする。
「あ、俺が出るよ」ちょうど料理を飲み込んだので席を立つ。
「はーい……ばあさまー、どっか広いところに移らないとダメっぽいぞー」
家の前には、料理持ち込みでお祝いに駆けつけた村人たちが続々と集まっていた。
会場を裏の練武場に移すと宴会が始まった。
どこからともなくテーブルや椅子が集められ、酒や料理が並べられる。
星明りだけでは暗いので、じゅうたんを数枚、照明魔法陣を起動させて上に浮かべておいたら流石に明るすぎたので、主役とばあさまが光量を程よいものへと急遽調整。
ほんと何でも御座れの師弟だな。
準備が整うと、ばあさまが挨拶を乞われた。
「特に声をかけた訳でもないのに、今晩集まってくれてありがとう。先日、弟子であったエステルはめでたく免許皆伝・独立するに相応しい道具を作り上げました。あまりにも画期的すぎるので、みなに公表できるのは十年後とかになるくらいのシロモノよ。まぁ、エルフならちょっと待つ程度かしら。他にもいろいろ話したいことが有るけれども、このへんでね。じゃ、エステル一言」
「みなさん、ありがどう。胸がいっぱいで何話していいか、わやくちゃです!ありがとう!」そう言ってエステルは深々とお辞儀をした。
「さぁ、グラスはみな持ってる?では、エステルの前途を祝して、かんぱーい!」
”かんぱーい”祝福の声が響き渡っていく。
収穫祭でもないのに、大量のご馳走が消えていき大量の酒が空けられていく。
しばらくすると、酔っ払いたちが練武場の倉庫を漁って弓矢を引っ張り出し、腕試しが始まるのが見えた。
俺は明日には村を発つので、料理は食べても酒は控えめにし、すみっこで楽しんでいるのだが……
「びりゅーくさん、おいしい料理があったからもらってきたよー」
何故かシィナが俺の世話を焼きはじめたのだ。
はじめは持ってきてくれたことに対してお礼を言って、”おいしいね”と当り障りのないところで済ましていたのだ。
そうこうするうちに、これで三回目。カルジェロ夫妻の視線が刺さる。
オルエッタさんは冷静な鋭い視線なのだが、カルジェロは明らかに酒のせいなのだろう、目が座っている。
しかしシィナはその言葉だけに留まらず、俺の隣に座っている(くっ付いてではない。適切な距離を開けている)エステルにも話しかける。
「えすてるさん、いつきたの?みんなとお話しはいいの?」
「挨拶は一通り済んだからね。ちょっと休憩」
「ふーん」
シィナはそれをあえて流し、俺の隣に座ると貰ってきた料理を俺に食べさせようとする。
「びりゅーくさん、これおいしいよ。あーんして」
「いや大丈夫だから、一人で食べれるし」
こういうのを一体どこで覚えてくるのだろう……はっ、まさか夫婦でやっているとか!!?!ご両親を見ると恥ずかしさの赤面でなく、怒りの赤面で俺を睨んでいる。
「おとうさん!びりゅーくさんがたべてくれない!」
「ヴィリューク!シィナのお勧めが食べられないのか!」どうしろと!カルジェロ、お前酔っぱらってるな。耳も顔も真っ赤だぞ。
仕方なく小さく口を開くと……カルジェロが素早くインターセプトしていった。
「ん~シィナの手から食べると一層おいしいなぁ」これは親バカで済ませていいものだろうか?
「おとうさんのばかー。びりゅーくさんのだったのに!」シィナが小さな身体で怒りを露わにしている。
「も~、おとうさんのおよめさんにはならないの!びりゅーくさんのおよめさんになるんだからー」
”ぶふぅぅぅぅ”
会場のあちらこちらで、色んなものを吹きだす音が響き渡った。
”ヴィリューク死んでしまえ!”
”カルジェロ、残念だったな!”
”リア充がいるぞー”
”おまわりさん、こっちです!”
”エステル、先越されたな!”
「ヴィリューク、俺を倒さねばシィナは嫁にやらん!」
「いやいや、冷静に考えろって。オルエッタさ~ん、なんとかし…てぇ…」
「私も乗り越えないと結婚は許さないからね!」
あなた、あなたはそこで冷静になっていてほしかった。で、エステル。何でお前まで並んで腕を組んでいる。
周りの連中は歓声を上げて煽ってばかりだ。
だれか冷静なひとはいないのか……あぁ、なんてこった。面白そうな顔をしているばあさまが逆に冷静なのかもしれない。
”しょ・う・ぶ!しょ・う・ぶ!”
丸く広く、スペースが空けられたのだが……え?ガチで戦うのか?弓とかじゃないの!!?!
スペースに押し出されてうろたえているとカルジェロが仕掛けてきた。
「むすみぇは、よめに、やらぁ~ん!」身体を動かして酒がまわりはじめたな。
殴る訳にもいかないし、勝ってしまっても問題になりそうなので、このまま捌いて酔い潰してしまおう。
酔っぱらっても鍛錬を欠かしてない腕前なので、油断はできない。
拳や蹴りをいなしていく。途中デコピンとかしていくと、ヒートアップしていくので更に酔いがまわっていくのが分かる。
そろそろ限界と思ったので、ニヤニヤが止まらないばあさまに合図をする。こちらの意図するところを何とか伝えると、ばあさまはじゅうたんを一枚遠隔操作でカルジェロの遥か後方に待機させる。
待機完了を確認して隙を伺う。
おあつらえ向きに、踏み込んだ拳を水平方向に思い切り流す。すると足を軸に水平方向にぐるりと回る。
一気に平衡感覚をなくしてしまったので、千鳥足でヨロヨロだ。その足を刈り取り、今度は腹を中心に縦方向にぐるりと一周。素早くばあさま操作のじゅうたんが滑り込むと、カルジェロを背中から受け止め衝撃を吸収する。
じゅうたんの上で目を回しているので、このまま大人しくしていてほしい。
なんとか勝負は俺の勝利、続いて二回戦。これはうまく負けないと詰んでしまう。
「びりゅーくさんかっこいい!」シィナが飛びつき、オルエッタさんとエステルが歩み寄ってくる。
二人の視線を感じながら、俺はシィナに話しかける。
「後はシィナの方だな?」
「シィナの?」
「そうだ、結婚は大変なんだ。お母さんを見てごらん?」
「?」
「お母さんは綺麗でかっこよくて、なんでもできるだろう?」
少し雰囲気が変わって神妙に頷くシィナ。
「結婚するなら、おかあさんに認めて貰うくらいがんばらなくちゃ」
「えー、そんなのむりだよう」
シィナの言葉にオルエッタさんが俺の意図に気付いたようだ。
「あら?シィナは頑張っておよめさんになるんじゃないの?」”誰の”という辺りを上手くぼやかしていく。
「シィナなら大丈夫さ」
「……まっててくれる?」
む、少し危機を感じる。気のせいであってくれ……
「シィナが諦めない限りね」
「じゃがんばる!」
なんとか収まった、収まったと言ってくれ!エステル、なんでお前が気合を入れている?
沈静化したとほっとしてると、ばあさまがやってきた。
「モテ期到来かね?」耳元でボソリ。
「やめてくれ、シィナの場合は年上への憧れだろ。いい思い出で終わらせてやるのが大人ってもんだ」
「あれー、エステルは?」
「んなもんしらん。たまたま目新しい異性だから注目してるだけで、そのうち収まるって」
この茶番でみんな満足したのか、後片付けが始まった。食べ残しもなく、少し残った酒瓶は飲兵衛がラッパ飲みしながら帰り支度を整えていく。
そして最後の挨拶をかわしながら、みんなは帰宅の途に就いていった。
エルフ同士の別れだ、その内会える。これが種族が違うとそうでもないが、だれしもある程度は達観している。
エステルの交換日記が発達・普及していったら、この別れも更に軽いものになるのだろうか。
お読みいただきありがとうございます。




