ニギムギの実
「■■ 点火」
火魔法の基礎、点火を唱えた瞬間、二つの炎が立ち昇った。
一つはろうそくの炎を大きくしたような、五十センチ強の火柱。
もう一つは張り合わせて作られた、一メートル四方の紙が一瞬の炎で全て消し炭になった。
「あちゃ~」
消し炭は海風に流され、焦げ臭い臭いも同時に風下へ流されていく。
「三日分が一瞬でパァかぁ」
“予感はしてたけども!”とエステル。
エステルは三日かけて描いた魔法陣に魔力を通し、例の写本の魔法陣がどの程度増幅されるか検証したのだが、基礎魔法増幅ですら想定以上の規模で発動。魔法陣を書いた紙は耐えきれずに消し炭となった。
費やした労力が一瞬で無くなれば、彼女も嘆こうってものである。
「ふう」
指先には小さな火がチロチロと燃えている。本来点火の魔法はこの程度のものしか生み出さず、彼女は手を振って火を消した。
案の定というか、エステルは件の魔道具付与大全に書かれていた内容を試さずにはいられなかった。
それでも私に許可を求めてきたのはよしとするとしよう。
「何を増幅したの?」
「いやぁ、例の魔法陣を読み解くとね、効果射程を伸ばすのも効果範囲を広げるのも大きな違いはないのよ。シンボルを何か所かを入れ替えたり、配置を移動させたりすればいいの」
「……で?」
「で、同じ“付与:増幅”を使っても、増幅させる魔法によって現れる増幅効果がまちまちになるってことが分かってね……それならばって……」
黙って彼女に先を促す。
「合体させちった、えへ」
“スパーン”
「いったぁーい!」
「アンタはなんでそういつも魔改造するかな」
「いたいたいいたい叩かないで」
一発では気が収まらなかったので、そのまま何回も頭を叩いてやった。
「でもでもでも」
逃げるエステル。この辺にしておいてやろう。何か言いたいようだ。
「パズルみたいにしっかりと組み合わさったから、きっとオリジナルは私のと似たやつで、それを分割したんだと思うわ」
これだから天才は始末に負えない。分割したのにも理由があるだろうに。
「魔法陣があっても、魔道具として作る材料も技術もないのが救いよねぇ……」
「腕利きのドワーフでもいない限り無理ね」
「「……」」
「ダメよ」
「何も言ってないじゃない」
私たちには腕利きのドワーフに心当たりがあるのだ。
「危ない魔法を試すときは、頼んますから前もって知らせてくださいよ」
バラク船長のとこの甲板長が眉間にしわを寄せて言ってくる。本当は火気厳禁と断りたいのだろうが、私たちが上客ということもあり無下に断れないのだろう。
私だってやらせたくないが、エステルに影でコソコソされるよりは監視下に置いてやらせた方が事故も防げる。
「新たに描くにしても最低でも三日はかかるから安心して」
「……さいですか」
★☆★☆
「ヴィリュークさぁん、暇ですかぁ」
受付嬢の茶髪三つ編みが猫なで声を発してくる。
「暇じゃないなぁ」
椅子の背もたれに寄りかかり、カップのお茶をズズズっとすする……ぬるい。
「またちょっとお願いしたいなぁ~って」
この茶髪三つ編み、ヒトを便利に使いやがる。
必死になって生活費を稼ぐ必要のない現在、依頼の掲示板を見ても今一つ食指が動かないのだ。
「ギルギット、行くかなぁ」
いっそのことギルギットに拠点を移し、砂漠を眺めながらコーヒーを飲んでいた方が有意義かもしれない。
「えええ~、そんなこと言わないでくださいよぅ。ヴィリュークさんがいなくなったら誰が新人の指導するんですかぁ」
「……ギルドだ、ギルドの仕事だろう」
「ヴィリュークさんの教習、評判がいいんですよぅ。教わったヒトたちの採取した薬草類、状態が良くて満額査定出せるんですぅ。お陰で買取カウンターの言い争いが少なくなってぇ、うちらのストレスも少なくなったしぃ、ギルド員のヒトたちもお金が稼げて酒場も売り上げいいみたいですぅ。ね?最近ここの雰囲気良くなっていると思いませんかぁ?」
「割食っているのは俺だ」
ペーペー相手に金は取れないし、奴らも金を持っていない。
「依頼料お支払いしてるじゃないですかぁ」
「しつこい。それだったら俺が教えた奴らにやらせれば済むじゃないか。丁度いい小遣い稼ぎになるぞ」
「むぅ。……やらせてみますけど、ぜったいヴィリュークさんのほうが評価高いと思いますよぅ」
ようやく茶髪三つ編みが引きさがってくれた。暇そうにしていないで依頼を受けた方がいい気がしてきた。
“ドゴッ”
振り下ろした棍棒は空を切り、地面を強く叩きつけた。
うまく避けたゴブリンは、身を低くして少年のすね目掛けて太い木の枝を振り回す───だが、その顔に礫が当たり、これまた空を切る。
「一拍遅い!」
───茶髪三つ編みは退けたものの、結局俺は赤髪ショートのギルド嬢に言い包められ、少年少女の教習を務めることになった。
「今のは良かったぞ」
隣で石をスリングで回転させている女の子をほめる。このメンバーの中で最年少だが、口角を上げるだけで、油断せずに次の機会を窺がっている。
今まさにゴブリンの奇襲を受けたところだ。
周囲にはゴブリンが三匹。少年二人が一匹ずつ、少女二人が一匹と対峙している。
得物はサイズの違いはあれども棍棒ばかりだが、ゴブリン相手には十分だろう。
「えいっ!」「はっ!」
少女のアッパースイングで後退したゴブリンを、もう一人の少女が挟み撃ちで叩きのめす。
体勢を崩したゴブリンは、少女二人にボコボコに打ち据えられると、あとは数の暴力で残りのゴブリンも退治された。
「このように痕跡を予め確認しておけば、襲撃に備えることが出来る。用心していれば奇襲されても迎撃に慌てることもない。実際、そうだったよな」
五人の少年少女たちは、俺の言葉にコクコクと頷いた。
「ラモナ、ヤバいって」
「ほんと頼んでよかったよ、ルイシーナ」
何でも二人の少女は幼馴染で、弟妹を食わせるために探索者見習いになったはいいものの、成果は芳しくなかった。
幸い彼女たちの弟はゴブリン程度の護衛としては役に立ったが、連戦できるかと問われればそうではないし、採集に関しては役立たずであった。
そして最年少のルイシーナの妹が一番採集の眼を持っていたが、最年少に頼りきりになるのは年上としての(芥子粒ほどではあるが)プライドが許せなかった。
「弟共、ここを見ろ。さっき退治したゴブリンが通ってきた跡だ。この近辺を徘徊していたのだろうが、新しさと足跡の向きから奴らに間違いない」
「ヴィリュークさん、木に傷跡が」
ルイシーナ弟が気付く。
「よく気付いたな。若いゴブリンは得物を手にすると、いたずらに振り回して周囲のものを傷つけがちだ」
「これもそう?」
ラモナ弟も途中から折れている複数の草に気付く。男二人には採集より痕跡探しを優先させる。
「いいぞ。あとはいろんな痕跡を見て覚え、知識を増やすんだ。鹿とか猪とかの足跡を見分けられれば罠猟もできるが、まずは兎とかの小動物からだな」
「「にく!にく!」」
「気が早いっての」
「ほんとバカだよねぇ」
「おバカ~」
姉二人が辛辣な上、妹もそれに乗っかった。
「罠は言うほど簡単じゃないし、経験を積まないと捕れないぞ。痕跡があったら仕掛けて回数を熟すことだ」
今晩は野営で一泊。そして丁度良い野営場所が見つかる頃には、三か所ほど罠を設置できたし、彼女らもしっかりと経験を積むことが出来た。
時折パチパチと木が爆ぜる音がする。
夜営時の見張りも必要な経験だ。ルイシーナとラモナ弟が前半、ラモナとルイシーナ弟が後半を担当する。ルイシーナ妹はまだ小さいので担当から外した。よく寝て大きくなれよ。
俺はと言えば、マントに包まり魔刀を抱えて横になっているが、微睡むだけで寝入ってはいない。
夜は様々な動物の活動時間だ。こうしている間も小動物が動き回り、それを狙う中型の動物の動きも活発だ。
活発とは言っても周囲の物音は微かに感じる程度。今のところ彼らの狩りは行われていないのだろう。
“ヴィリューク”
静けさの中、音もなくサミィの念話が届いた。
“兎を追い込んで罠にかけたわ”
罠を狩りに利用するスナネコ。頭が回るな。いやネコマタになったから知能が発達しているのか。良く分からん。とにかく“回収に来い“ってことなのだろう。
身体を起こすと見張りの二人がハッとこちらに向いた。
「サミィが兎を罠にかけたようだ。ちょっと回収してくる」
「ええっ?何も聞こえなかったよ」
「起きてたンすか。ベテランってすげぇ……」
ルイシーナたちが声を上げる。
一々説明も面倒なので、魔刀を腰に佩いて向かおうとすると、まだ会話はまだ続いていた。
“にくにく”
“ネコの獲物だから、アンタの分け前はちょびっとね”
“それを言ったら───”
少しは眠気が覚めたようでなによりだ。
チリチリと串に刺した兎肉が焚火に炙られる。
昨晩の兎は夜のうちに血抜きを済ませてある。となると肉が並ぶ豪勢な朝食を目の前にして、子供たちの目がギラつくのも仕方がない。
日の出前に起き出して罠の確認をすると、もう一匹かかっていたのでしっかりと止めを刺した。そして仕掛けていた罠をちゃんと回収する。彼女たちには罠の仕掛け方だけでなく、こういったマナーも漏れなく教え込む。
やりっぱなしは厳禁だ。
“はふっ”
“んまんま”
“ん~”
ガッツく子供たちと一緒に、サミィにも火を通した肉を与えてやる。こちらも食欲旺盛だ。
食事が済めば今日はルートを変えてオルターボットへ帰還だ。
昼間の森で動物の類と遭遇するのはまれだ。肉食獣ならまだしも、中型以下の草食・雑食の獣類は警戒して逃げていくし、そもそも夜行性のものが多い。
「あ」
彼女らに経験させるためにも、既に察知していたゴブリンにようやっと気付いてくれた。
索敵においても年少のルイシーナ妹の筋が中々いい。
遭遇したら漏れなく襲い掛かって来るゴブリンは、やはり獣ではなく魔物という事なのだろう。
「いつも通り迎え撃つわよ」
ルイシーナのリーダーシップに、ラモナはじめ弟たちに妹も武器を構える。
十分に回転をつけたルイシーナ妹のスリングから、地を這うように礫が放たれる。
機先を制する少年少女。そうして危なげなくゴブリンどもを制圧した。
「これお金になりますか」
弟二人がゴブリンの後始末を済ませる中、ルイシーナ妹が聞いてきた。
「珍しいものを見つけたな。ニギムギの実か」
「ニギ……麦?似てないね」
「似てないよなぁ。けど何故かニギムギと呼ばれてる。スープに一つまみ入れると、滋養強壮に効くらしい。特に産後の肥立ちに良いらしいが……まだ早い話か」
小さい女の子に話す話じゃないな。
「そっか。こないだ近所のお姉さんが子供産んだから、いっぱい取って帰ろ!おねーちゃーん!」
……思った以上に物知りだった。
道中あちこちに生えていたり、群生地を発見したりと、ギルドから貸与されていた採集袋の一つがニギムギの実で満杯となり、少年少女たちは採集し切れないニギムギを横目でにらみながらの帰還となったのであった。
そして残ったそれらの実は小動物の餌となるのだ。
★☆★☆
夜は動物の時間だ。
丁度今ネズミが巣穴から顔を出している。ネズミは鼻をひくつかせながら周囲を伺うと、じりじりと身体を現す。
それも一匹ではない。ネズミは巣穴から次々と姿を現した。彼らの目的は最近豊富に実っている低木に生えている実だ。
目的の木に辿り着くと、次々とよじ登るネズミたち。幹から枝に渡ると、彼らはそれぞれ枝の先に実る実に辿り着いた。
一心不乱に食すネズミ。もはや実が生っているのかネズミが生っているのか分からない。
その時───
“ヂュッ”
一匹が悲鳴を上げて宙に連れ去られた。
慌てて逃げるネズミたち。
不幸なネズミは、夜行性の猛禽に捕まってしまったのだ。この木に留まるのは危険だ。
ネズミたちは危険が去るのを確認すると、次の低木を目指して走り出す。お目当ての実はまだたくさんあるのだから。
繁殖期も相まって、彼らはその数を増やしていくのだった。
ニギムギの実の豊作とネズミの繁殖期が重なり、本来であれば森はネズミで埋め尽くされるはずだった。
しかしこの森ではそれを捕食するものがいた。
魔物。
悪食で名高いゴブリンである。
ゴブリンどもは巣穴からあふれるネズミを片っ端から腹に納めた。
わざわざ狩りに出る必要もない。物陰をちょっと探すだけで、腹を満たす獲物が見つかるのだ。
ゴブリンはニギムギを食す習慣はないが、ニギムギを食したネズミを食べることによって、その実の栄養を摂取することになる。
ニギムギを食して数を増やしたネズミ。
そのネズミを食したゴブリンたちはどうなるのか。
数週間後結果が明らかになる。
★☆★☆
“んぐ、ぐっ、ぐっ、はぁ~”
ぬるくなったお茶を一息に飲み干す。
暇だ。暇すぎて普段紐解かない書物を開くほど暇だ。
もう日が傾き始めたのか、狩りや採集に向かったギルド員がちらほらと帰還して、今日の成果を受付カウンターに報告している。
「あっ、ヴィリュークさん」
かけられた声の方を見ると、先日教習してやったラモナがおり、遅れてルイシーナをはじめとした姉弟パーティがやって来る。
「ニギムギ、たくさん採れなかった」
そう告げる小さなルイシーナ妹が手にする採集袋は、お世辞にも一杯とは言えなかった。
「実るのも珍しい実だから気落ちするな。旬が終わったなら違うものを採ればいい」
「そうよ。頼りにしてるわよ」
コクリと頷く妹の頭をルイシーナが撫でる。
「ねーちゃーん、順番回ってきたぞー」
弟の知らせにルイシーナとラモナは“それじゃ”とカウンターへと去っていった。
“えぇ~ゴブリン多くないですかぁ”
茶髪三つ編みの声は離れていてもよく通る。おそらく討伐証明の数の事だろう。仕事なんだから確認を済ませて、ちゃんと金を払ってやれ……と上長である赤毛ショートからの指導が入りそうなものなのだが、険しい表情で奥へ引っ込んでいくのが見えた。
厄介ごとの前兆でなければよいのだが。
お読みいただきありがとうございました。
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