19・エルネスト香辛料店
「うん、ご苦労さん。タグよろしく」
いつものようにタグを出して配達完了の処理を済ます。
「あ、来月に休みが申請してあるはずなんだが、話行ってるか?」
「なんか来ていたな、ちょっと待て」と言って窓口の職員が、脇に置いてある紙束をがさごそと漁り始める。
「えーと、ヴィリューク、ヴィリューク……っと。あぁ、来月と言うか、次とその次の往復便の休暇申請が受理されている。代わりの手配が出来たんだろ。で、休みの予定は?」
口調が物語っている。興味はないが一応聞いてみたってのが見え見えだ。ま、男に興味津々の態で聞かれても嫌だがな。
「里帰りだ。実家のばあさまが帰って来いとよ。ていうか、勝手に申請書を出しただけでなくギルド長宛に一筆したためやがった。休暇申請の書式なんかどこで入手しやがったんだ?」
「申請書を見せて貰ったんだが、知っていたんじゃないかな。あんな古い言い回しを使った達筆な申請書、初めて見たわ。おまけに今は省かれている項目まで完璧に整っていたし」
「はぁ……俺のとこに来た手紙にゃ”休みは手配済みなので帰って来い”だぜ。”ルファトスの承諾は得てある”とかって、ルファトスがギルド長の名前って初めて知ったわ!どこまで手を回したのかおっかないたらありゃしない」
ため息交じりにカウンターに崩れてしまうと、苦笑いしながら職員が返してくる。
「関係各所へ通達済、ってやつだな」
「はぁ、憂鬱だが行かないとまた面倒なことになるし、はぁ……あー話は変わるが、香辛料扱ってるエルネストってエルフの店の場所、知らないか?」
おっさんの店の認知度は結構なものだった。
元々香辛料のみを扱う商人だったのだが、数年前から始めた生ハーブの販売が軌道に乗ってから売上が好調らしい。
教えて貰った場所は青果市場の外れにあり、店舗兼自宅の前には数人の客が順番待ちをしている。
そこに、いつも行っている飯屋の親父が並んでいるのを発見した。てことは並んでいる客は料理人か……いやいや、香辛料の店なのだからあたりまえだな。
今行っても邪魔だろうから、しばらく様子見しながら待つことにする。
なにやら全員似たような箱を持っている。両手で一抱え位の箱だ。
店頭ではエルフの女性が対応中だ。おっさんの奥さんかな。カウンターの後ろの棚には、ガラス瓶がずらりと並んでいて壮観である。
あれ全部香辛料と考えると、相当な商売をしていると察しが付く。あのおっさん、結構な大店の主人なのか?全然想像できない。
客は常連なのか、女性が四つ瓶を並べ中身を量り売りしていく。客は空の小瓶を持ち込んでおり、買った香辛料を別々の小瓶に移していく。
会話はまだ続く。
客がなにか尋ねているみたいだ。女性は背後のガラス瓶を指さし、考えながら移動しているらしい。すると一つの瓶を棚から降ろし、何やら説明を始める。
どうやら、それで決まったっぽい。小首を傾げながら会話してると、客が頷く。するとカウンターの下から新品の小瓶を取り出し、決まったばかりの香辛料を計量しながら入れていくではないか。
なるほど、保存用の小瓶も販売しているのか。視線を凝らすと、すり鉢やらペッパーミルやら用途不明の道具がちらほら見える。
客の列も少なくなったので近寄る。
「まいどありがとうございましたー」女性店員の挨拶と共に、最後の一人を対応し始める。
「あら、何か買い忘れかしら?」店員と男性客がやり取りを始めた。
「ああ、チコの葉を買い忘れちまってな。まだあるかい?」例の箱を抱えながら話し始める。
「あらぁ~、今日の分は売り切れちゃったのよ。どうしましょう」
「女将、頼むよ~。予約が入っていて、あれがないと味が締まらないんだ」
考え込む態の女将。拝み倒している男性客。
「……特別ですよ。まぁ、常連さんたちは知っているから、こうして頼みに来るんですけどね」
「たすかるよ~。この借りはいつかきっと」ホッと息をつく男性客。
「期待しないで待っているわ」と、あしらいながら足元から植木鉢をカウンターに置く。
「これ、そっちの床に降ろしてくださいね。今そっちに回りますから」
そういって種の入った小皿をカウンターに置き、表に出てくる。手には水が入ったジョウロが二つ。
「それでは始めましょうか。鉢が影にならないようにね」
おもむろにしゃがみ、浅く指で穴をあけると種を入れて軽く土をかぶせ、しっとり湿るまでジョウロで水をやる。
「芽が出たら少しづつ水をあげてくださいね……いきます!」
女将は両手を植木鉢にかざし、客はジョウロを構える。そして俺は興味津々で様子を覗き見る。
目を凝らしても植木鉢に変化はないが、魔力の流れを窺うかがうと全体的に注がれているのが分かり、注がれている中心はまさしく種であろう。
しばらくすると土を持ち上げながら芽が出てきた。あっという間に葉をつけ、目に見えて大きくなりどんどん土が乾いていく。
「あ、水!」思わず声をかけてしまった。客も見入って忘れていたのだろう、乾いた土を潤そうと勢いよく水を注いでしまった。
「勢いが良すぎます。もっとゆっくり注いでください」
左手をかざし、右手は調整しているのか、持ち上げ、押さえ、時には指先でつつく様に忙しく動かしている。
その間も水は少しづつ、ゆっくりと土を湿らせていく。チコとやらのハーブの高さは40センチを超え、徐々に横へ成長しはじめる。
既にジョウロは二つ目で、注ぐ角度が急な所を見ると中身は少ないのだろう。
「女将、まだか?水がないぞ」ハラハラした様子で客が声をかける。
「え?いつもなら二つで足りるのに……残りの水でできる所まで成長させるしか……」僅かに緊張した声がする。
「水なら少しあるぞ」いつもの水袋を掲げて割って入ると、ジョウロへ水を入れる手前で視線で確認する。
「ここらで汲んだ水でなければ全部頂戴。もしそうなら入れちゃ駄目よ、塩分のせいでいいものが出来なくなる」
視線はハーブに固定したまま答える女将、口調から余裕がない事が察せられる。いつの間にか両手の指先がうっすらと緑色に光っている。
「じゃ大丈夫だ、いれるぞ」袋を逆さにして全部入れるが、ジョウロはそんなに満たされなく足りなさそうだ。
そうこうするうちにジョウロは空になり、ハーブの丈は止まり横への成長も止まった。あとはそれぞれの先端の若芽が開くのを待つばかりだ。
「もうちょっと、もうちょっと……お水……」女将の指先の光が明滅しはじめる。
黙って植木鉢にしゃがみ込むと、根元を隠すように手で覆う。男性客は若芽が開くか開かないか緊張の面持ちで、こちらに注意を払っていない。
この隙に水を何とかしてしまおう。
流石にこの場所・この時間では水を集めることは出来ないので、作ることにする。
ちんたらしていたら間に合わなさそうなのでいつもより多めの魔力を注ぎ込むと、手のひらに隠れるように水が出来てくる。
始めは細い糸の様に根元に注ぐが、少しづつ水を太くし手の影に隠れる程度で継続して水をやる。
ちらと上を見上げるとじっと見つめる女将と目が合い、微笑まれてしまった。
「なんとかなりそうです。……はい、これくらいでいいでしょう。さあ摘み取りましょう」
男性客が箱を開いて待ち構えており、女将がはさみで先端にある柔らかい葉を次々と切り箱へ入れていく。
「その箱はひょっとして保存用の箱なのですか?」よそ行きの口調で尋ねてみる。
「そうですよ。うちで作らせた箱で、生ハーブを購入されるお客様には貸し出したり、あぁ購入なさる方もいますね。野菜なんかもこれに入れると日持ちするので、それ目当てに買われていくようです」
「これを使うようになってから便利になってなぁ。料理の幅も広がって、ほんとエルネストさん様様だよ」なんと考案者はおっさんらしい。
男性客は支払いを済ませ女将に礼を言うと、店を飛び出していった。
「お水、ありがとうございました。ついでと言っては恐縮なのですが、種を取りたいのでもうちょっとお願いできるかしら?」と、にっこり微笑まれてしまった。
「やっぱりわかりましたか?」
「わかりますよ。足りなかった水分がみるみるうちに満たされていくのですもの。水使いの秘儀、見せていただきましたわ」
「それをいうなら緑の指の妙技、さすがです。」
お互いを称えあうが、自己紹介がまだなのに気づいた。
「ギルド便の配達員をしております、ヴィリュークです。預かっておりましたエルネストさんの荷物をお持ちしました」と、仕事モードで挨拶をする。
「まあまあまあ、貴方がヴィリュークさんなのね!その節は主人がお世話になりました、ありがとうございます。エルネストの妻のナフルです。助けて頂いただけでなく、今回も色々お世話になりまして。カミーユちゃんの件もしっかり〆ておきましたのでお許しください」
〆ておいたって……おっさん大丈夫か。いや、同情はするまい。
「えーあー、っと、まずは種をなんとかしますか?」
ハーブの鉢植えを見ると、剪定されて太い茎が一本残っており、その先端には丸々とした花芽が二つ三つ育っている。ちょっと手伝えばすぐに終わるだろう。
「そうね、ちょっとお手伝いお願いするわね。終わったらお茶にしましょう」
そういってナフルさんは鉢植えに緑の指をかざしてにっこり笑った。