砂漠は魔力に満ちている─逃走の五歩、脱出の五歩─
月刊砂えるふ、更新です
振り返った先には、まだ馬車の姿が小さく見ることができた。
砂地へ変化したことが知れると、いつまでも馬車で進ませてしまって戻りにくくなるのも悪いので、俺は早々に馬車を下りたのだ。
挨拶もそこそこに進んでいたのだが、彼らは俺の姿が見えなくなるまで見送るつもりなのだろうか。
しかし砂丘を一つ登ると、馬車の姿は豆粒ほどでしか確認できなくなってしまう。
後ろを気にしても仕方がないし、日が高く昇るまでに距離を稼がねばならない。旅は始まったばかりだ。
出発して二日。
二回ほどサンドフィッシュの襲撃を受けたが難なく撃退。襲撃を受けるとサミィが珍しくヒトガタに変化して戦いに参加したのだが、二足での身のこなしはすこぶる良かった。
四つ足から変化するのだから、戸惑いとかありそうであるにも拘わらずだ。まぁ、問題がないことは良いことである。
そのサンドフィッシュも群れの半分ほどやられると、分が悪いと分かったのか尻尾を巻いて逃げていき、今のところ三回目の襲撃はない。
“ザッ” “パシッ”
しかしこの砂漠、生物のサイズがとにかく大きい。
大きいサイズで食物連鎖が回っているからなのかと考えてしまうほどの大きさだ。
“ザッ”
サミィが砂の精霊を操り砂に潜むサソリを宙に飛ばすので、魔刀を抜くのも面倒くさい俺は鞘で遠くへ弾き飛ばす。
全長は拳二つ分であろうか。尻尾は別で、だ。
進路上にいるものだけを排除しているので、頻度としては多くはないが、打ち据えた時の重さに結構驚く。
あれは何を捕食し、何に捕食されるのだろう。
弾き飛ばされたサソリは太陽に焼かれるのを嫌がり、素早く砂の下へ身を隠した。襲ってこないところを見るに、待ち伏せる生態なのであろう。ひょっとすると魔物化していないのかもしれない。
さらに二日。
砂丘を越えると砂漠の様相が変化する。
立ち枯れしている木もあれば、藪めいた低木、背の低い反物めいた葉を伸ばすものなど、砂漠は死の世界ではないと改めて感じさせる。
藪めいた低木の横を通過すると、“ヂッ”と小さな音が聞こえた。
サミィが立ち止まり様子を伺うところを見ると、恐らく砂ネズミの類であろう。
「狩りは無しだぞ」
“しかたないわね”と言わんばかりに“ふんす”と鼻を鳴らすサミィ。俺をよじ登るとおくるみの中へ納まった。
そして新たな砂丘を越えた先には日影が出来ており、先客が涼を取っていた。
「あれは……狼っぽいな」
遠くからの視認ではあるが、顔つきや身体つきを見るに犬系であることは間違いない。
問題は彼らが俺たちをどう見るかだ。腹が膨れていればいいが、空腹で獲物とみなされてしまうとなると、逃げるにしろ戦うにしろ群れ相手では苦労するに決まっている。
幸いなことにまだ視認で済んでいる。さっさと距離をあけてしまおう。
しばらく進んで振り返る頃には、奴らの姿は見えなくなっていた。
砂丘を迂回したり乗り越えたりして、ひたすら歩を進める。
登れば下るその繰り返しだ。その下りの先を見ると、すり鉢状の窪みがあった。下りとは言え底まで降りる必要はないので、すり鉢のふちを歩いていく。
「っとと」
ふちを歩いていると細かい砂に足を取られ、内側に落ちそうになってしまう。
!!?!
意識が逸れた隙を突いて、何かが飛びかかってきた。
ここのサンドフィッシュは、相手の大きさに物怖じもせず掛かって来るので厄介だ。
魔刀を抜く暇もなく、徒手空拳で奴らを弾き飛ばすと、三匹がすり鉢の中へ落下する。
更に二匹が飛びかかって来るが、身を捩って避けたお陰で服を噛みつくに留まったところで、やっと抜刀し切り伏せることに成功。
すり鉢の中でくるぶしまで砂中に埋め、足場を確保できた結果である。しかしずりずりと底へ沈んでしまうではないか。
「抜けなくなるとかシャレにならんな」
沈む足を引っこ抜きながら脱出を試みるのだが、下へ沈む速度が速いので遅々として登れない。
“ギュッ”
何かの鳴き声が下から聞こえた。先程払いのけたサンドフィッシュだろうか。
何の気なしに振り返ると、底に辿り着いたサンドフィッシュは何かの顎に捕らえられている。
サンドフィッシュは最後に一鳴きし、そのまま底へ引きずり込まれて姿を消した。
何だあれは!
思い浮かぶのは昆虫の顎、それの巨大化したものだ。道中見かけたサソリのように、巨大化した何かが底で待ち構えている。
必死で足を動かす俺の頭上を、影が一つ通過する。放物線を描いてすり鉢の外へ飛んで行ったそれは、ぺったんこに潰れたサンドフィッシュの形をしていた。
さっき捕らえられたばかりだぞ!もう食べ尽くされたというのか!
炎天下の下で背中に冷や汗が流れた。
“ギュッ”
“ギュギュッ”
弾き飛ばしたサンドフィッシュは三匹。残りの二匹も止めを刺されたようだ。
そいつらを食べて満腹になってくれたら脱出も楽になると思うのだが……そうはいかないようだ。
足元の砂の流れが速くなっている。ひょっとして底の主が砂を操っているというのか。
「くそっ」
罵声を上げても意味はない。足の回転を上げるしか脱出も叶わぬが───
「サミィ!砂、何とかならないか!」
ここはサミィとその使役している(?)砂の精霊頼みだ。
“RUrururururiririiii”
喉を鳴らし髭を振るわせるサミィ。その間も俺は足を必死に動かし続ける。
“だめ、あいつのまりょくでそめあげられてる。じかんがかかるわ”
「やるだけやってくれ!ほかの手段を考える!」
とは言ったものの、何か、何かないか。
足場が固められればこの程度どうってことはない。
水……砂……固める……
「これだ!」
おもむろに付与ポーチから水袋を取り出すと、栓を抜いて進行方向へ撒き散らす。
“ジュッ”
砂の熱に蒸発するのも構わず中身をぶちまけると、サラサラだった砂は水を含んで固くなる。
「ちくしょう!足りねぇ!」
固くなった砂を踏みしめ、貴重な一歩ですり鉢を登り進める。
「こいっ!」
後方に置き去りにした水を呼び戻し、再び前方の砂にぶちまけた。
“ジュッ”
再び蒸発しながらも水は砂に浸潤、足場を形成するのでさらに一歩身体を上へ上げる。
もう一丁。
三度水を呼び戻すと、その量に愕然としてしまう。
思った以上に蒸発している!
これでは足場を形成できない。その間も砂を踏みしめ、少しでも上を目指していく。
大気中の水分は……皆無だ。蒸発した水分もどこかへ飛んでしまっている。水を生み出すにも干渉が大きい。
“ヴィリューク!すこしだけど、うばえたわ”
俺の両足の周りに砂が集まって来るが、それらは妨害ではなく歩行を補助する動きだ。これで少し歩き易くなった。
“ザサッ”
「うっぷ」
何かと思えば背後から砂を浴びせかけられ、ペースが落ちてしまう。どうやって砂を飛ばしているか知らんが、すり鉢の底の奴の仕業か。奴も奴で獲物に対して必死だ。
だがこちらも食われてやる訳にはいかない。
まだ水球は宙に保持している。ならばこれを───
注ぐ魔力に対して水の反応が悪い。ここ一番の悪さだ。
「サミィ、お前の砂で足を固定してくれ」
返事はなかったが、すり鉢の下へずり落ちることはなくなった。
足を止め、意識を集中。宙の水を呼び水にして、新たな水を生成。
───どぷん
十分な量を生み出した対価は、想定以上の魔力消費であった。
すかさず水が道となるように一直線に砂へぶちまけると、水は音を立てて砂地に浸み込んでいった。
よし。
指示するまでもなく、一歩踏み出すと足への砂の固定は無くなり、俺は水で固まった砂の上を着実に登り進める。
背後の底からは砂が容赦なく浴びせかけられるが、その程度では俺の歩みは止まらない。
そしてふちの上まで登り切り、さらに二三歩遠ざかって底を見やる。さすがに登り切ってしまえば底の主も諦め……切れてなく、顎を数回カチカチとさせて留まると、砂の中へと沈んでいった。
……この砂漠で、日中に水の生成はやるものじゃぁないな。水使いであるから何とかなったが、一般水術師ではまず役に立たないであろう。
それでも消費してしまった空の水袋は、苦労はしたがちゃんと補充を忘れなかった。
消耗が大きかったので天幕を張って回復を図る。体力も魔力も結構消費してしまったからだ。
軽く食事をとり、砂の上にじゅうたんを敷いて横になる。これから気温が上がる時間帯でもあるので丁度良かった。
天幕の影でどれくらい微睡んでいただろうか。
気付くと太陽も中天を過ぎ、そろそろ出発の頃合いだ。これから日も傾いていくので、多少は(誤差ともいう)過ごしやすくなる。
サミィは相変わらずおくるみで俺に運ばれており、自分で歩くより運ばれている方が長い中、風向きが変化する。
時間帯によるものなのだろうか、向かい風が追い風に変わった。
するとサミィがおくるみの中で体を起こし、鼻をひくひくさせる。その勢いは周りのひげの動きを見れば察せられる。
“ヴィリューク、おわれているわ。しかもたくさん”
「お前の仲間じゃないんだな。相手は分かるか?」
訊ねながらペースを上げる。
“なにばかなこといっているの。なかまだったらしらせるひつようないし、これはいぬっころのにおいよ”
いつになく饒舌なサミィの言葉に、砂丘の影で休んでいた“奴ら”のことが脳裏に浮かぶ。
面倒なことにならなければよいが。
面倒なことになった。
相手の姿を見るに狼であろう。砂狼なのか砂漠狼なのか、呼び名はどうでもいい。毛の色も砂に近い色をしている。
しかし足元が土であれば、身体強化をかけて逃げおおせることも可能だっただろう。だが砂となると速度を上げるのもままならない。
地の利は相手にある。
サミィの警告があってからずっと一定ペースで走り続けていたのだが、背後から吠え・威嚇する声が聞こえてくる。
振り返ってみれば取り囲むように左右に広がって追いかけてくるのが分かる。遮蔽物が皆無の砂漠で包囲されてしまうのは避けたいところ。
しかしこちらの希望を聞いてくれるわけもなく、遂に数頭が俺と並走し吠えたてて気を引いてくる。
先制してくるのはどいつだ。左の義手で魔刀の鯉口を切って備える。
周りが吠え立てる中、吠えずに背後からそいつは飛びかかってきた。
───だが難なく迎撃。ステップを踏んで避けると牙は熱気を噛むので、晒された首元向けて抜刀・振り下ろす。
まず一匹。
その首の傷では生きてはいまい。
刀身の血を振り払って納刀すると、落ちたペースを取り戻す。
狼はまだ十頭以上いる。とにかく囲まれないように移動し続けることが肝心だ。
やわらかい砂の上では身体強化の効果は薄い。
剛力招来はもとより疾駆招来も、足元が確保できて初めて効果を発揮する。それでも纏ったらどうなるかって?無駄に砂を撒き散らすだけだ。
指輪で目的地の方角は確認済みだ。
狼に囲まれないように適切なペースで走り、掛かって来る狼を切り伏せること三匹。奴らは方針を変えてきた。
死角から吠えたて俺の間合いの外から襲うふりをするのだ。いつ来るかと注意を払うが、襲うと見せかけて後退る。
一頭がそれを行っている間、他の狼は消耗の少ない速度で追従し、ある程度回復すると後退して威嚇する。
いぬっころのくせして俺の体力を削りに来ているのだ。
「くそったれ!」
苛立ってしまった俺はつい足を止め、威嚇してきた狼を一薙ぎすると───
“Kyauunn”
薙ぎ払った魔刀は狼の身体を浅く切りつけるにとどまった。
“ヴィリューク、そのまましっかりふみしめていて”
おくるみの中でサミィが念話を飛ばしてくる。納刀すると彼女を信じて言われるがまま構えて待つと、両のくるぶしまで砂が覆い滑るように疾走していく。
“ほうこうはこっちよね?”
「あ、ああ。どうなっているんだ?」
Ryuuuuuuuu
彼女は喉を鳴らしながら答える。
“すなのせいれいにたのんで、はこんでもらっているわ”
なんとも頼りになる。確かに砂漠で頼るなら砂の精霊だし、それを使役しているサミィであることは間違いない。
後方を見ると、砂漠の狼どもが慌てて追いかけてくる姿が見え、少しずつ引き離していくではないか。
「流石にずっとこの速度は維持できないよな」
“そうね。ずっとというより、このさきすながとぎれるところまでよ”
砂が途切れる……何のことか頭を巡らせていたが、ハッと気づいた。コンラドが言っていた裂け目のことに違いない!
そこまでこの距離を死守できるだろうか。……いや、そう上手くはいかないようで、狼たちはトップスピードに乗れたのか、じりじりと距離を詰め始める。
それよりも俺は久しぶりの感覚に鼓動が激しくなっていた。
馬のように上下に動かず、高速での水平移動。高さの違いがあるが、空飛ぶじゅうたんの移動に酷似しているのだ。しかもじゅうたんの巡航速度に匹敵する速度だ。
砂煙を上げ、砂上を滑走する。勢いよくぶつかって来る熱風に、口角が上がることが分かる。
“BauBauBau!”
チッ。折角のいい風だったのに、水を差されてしまった。
“じきにすながとぎれるそうよ”
「分かった。少し手前で放り出してくれ。あとは何とかする」
狼たちも追いかけるのに必死で飛びかかる余裕はないようだが、放り出されれば速度は確実に落ちてしまう。
となるとそこが襲撃のチャンスとなる。
視界に固い地面が映った……が、その少し手前で放り出された。見た目ほど砂が堆積していなかったのか。とにかく愚痴ってもしかたない。
俺は勢いのまま幅跳びのように踏み込んでジャンプ!
二歩目!勢いが少し落ちた。裂け目まであと数歩!並走された!
三歩目。並走する狼が飛びかかってきたが、目測を誤って俺を噛みつくことは出来ない。
四歩目。速度は狼が襲える速度まで落ちてしまった。案の定、そのうちの一匹が、横から太ももを狙って牙をむく───だが全て見ていた俺は、平手で狼の頭を叩き落とすと砂煙を上げて転がっていった。
五歩目。ヒトの速度としては十分早いが、狼から見れば鈍足だろう。しかし俺は裂け目の手前を踏み切り、跳ぶ。
目前の裂け目に集中していた俺は知らなかったが、狼たちは裂け目に気付いて急制動をかけていたが、気負っていたのか一匹だけが俺に続いて跳躍していた。
裂け目は左右に大きく広がっており、終わりが見えない。しかしそれは結構な幅ではあるが有限である。
“どぷぷん”
意思を振り絞り、三つの水球を立て続けに生み出して進路に並べるが……勢いがつきすぎている!
跳んだ先へ水球を移動させる余裕が無さすぎる。最初の腹積もりではもっとゆっくりのつもりだったし、砂漠という水の集め難さを、先程身をもって体験したばかりなのだ。
一つ目の水球を踏みしめ、跳躍。
俺に追随して跳躍した狼が噛みついてきたが少し足りない。俺が飛び去った一つ目の水球に突っ込み、水しぶきを上げて落下していく。くそっ、貴重な水が。
二つ目の水球に着地、勢いのまま次へ。
小さくなった一つ目の水球を呼び寄せ、二つ目と合体させて前方へ。
三つ目の水球を踏みしめると、下から狼の悲鳴が響いてきた。
受け身を取れなければ相応に痛いだろう。跳躍と共に水を新たな足場にするべく制御下に入れる。
四つ目の合体させた水球は、少し大きめなので余裕をもって踏みしめられた。
しかし跳躍の距離は跳ぶごとに短くなっていく。くそっ、届かないかもしれない。弱気になりながらも、力を振り絞る。
五つ目を踏みしめた瞬間、届かないと分かってしまった。
必死に水を集めながらも分かってしまったのだ。ならば───
サミィを裂け目の対岸目掛けへおくるみごと投げ、腰のポーチの留め金を外し、これも彼女に向けて放り投げる。
届かぬと分かっていても一か八かの最後の跳躍。
「サミィ!それを街まで届けるんだ!」
彼女でもポーチの開閉は出来る。製作者が設定しているし、サミィなら残りの行程も問題ないはずだ。
それでも足掻く俺は次の一歩のために水の足場を設置。───だが踏みしめたはずの足は水の足場を突き抜けてしまった。
魔力に満ちた砂漠がこんなにも相性が悪いとは。
あと一歩のところで。裂け目の壁を目の当たりにしながら落下して───いかない。
見ると俺の腕を砂が覆い、帯となって上につながっている。さらに砂の帯は俺をじりじりと引き上げていくではないか。
「運ぶのはあなた。なぜ自分の仕事をわたしに押し付けるの?」
その声に見上げると、ヒトガタに変化したサミィが仁王立ちしていた。
お前の仕業か。ああ、本当にお前は頼りになる相方だよ。
ポーチを片手に、サミィは“ふんす”と鼻を鳴らした。
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