森奥に居たもの
月刊砂えるふ
その夜は特に見張りも立てることもなく就寝。
ふと目が覚めて寝返りを打った先に、焚火の明かりに光る眼があった。うっすらと見えるシルエットからも、鹿と分かったのでじっとしばらく見つめあうと、ふいっと去っていくので俺もそのまま目を閉じる。
バルボーザやサミィもいる以上不意を突かれることは無いし、その晩は肉食獣や魔物の類の襲撃は無かった。
そんなこともあり日の出から少し遅れて目が覚めると、婆さんが朝食の支度をしていた。
昨晩のうちから水で戻していた干し肉に、採取した野草を入れた定番のスープ。焼きしめられた黒パンは薄切りにされ、カリッと火で炙られている。
サミィは自前で何とかしているのだろう。食事をねだることもなかったが水はねだられたので、コップを満たして地面に置いてやるとすぐさま舐めはじめた。
「目的地まであとどれくらいだ?」
「楽させてもらってるから順調だよ。そうさね……このペースなら半日もかからんさ」
婆さんは食事の後始末、バルボーザは火の始末、俺はその他諸々の始末を済ませる。
「変わりがなければ、奴らの縄張りを横切る筈だから、そいつらはアタシが受け持つよ」
「何の縄張りだって?手は多い方がいいだろう?」
そのための護衛じゃなかったのか。
「オオカミを追っ払うだけだから用心してくれるだけで十分さ。ひひっ、任せとき」
「そういうならあんたに任せるわい」
どうやって追っ払うか興味があったが、各々鞍上の人となった。
幾筋かの獣道が走っていたが、方向の指示に迷いはない。
立ち枯れしている木もないので、記憶している景色を元に案内をしていると思われるが、だとするとエルフ並みの森歩きの達人だ。
「緑が少ないな」
「木に葉っぱが生えているじゃないか」
「そうじゃなくてだな」
季節が進めば草木は春になるまで新芽を出さない。草食動物はエサを探して渡り歩くのだが、一定の範囲に留まることになれば、そこの緑を食べ尽くすことになる。
現状食べ尽くされてはいないが、この先がどうなるかは想像に難くない。
「線を引いたように一定の高さより下の葉っぱが無いだろう?」
「ああ……鹿の口が届く高さは食べられているということか」
それでも素人目に緑が食い尽くされていると見えないのは、嫌いな葉っぱが食べられていないからだ。季節が進めば否が応でも食べざるを得なくなる。
「何か妙だね。あんたら気をつけな」
それでも通い慣れたばあさんからは注意を喚起された。つまりはそういうことだろう。
警戒しながらの移動ではあったが、何かに遭遇することもなく目的地に着いてしまう。
そこでは高さ三・四メートルほどの樹木が手を開くように枝を広げ、あちこちから生える細い枝の先には、小さな赤い実が五・六個纏まる様にして生っていた。
「一本だけか。それに護衛を二人とか大げさじゃないか」
「“一本だけ“じゃなくて、一本目だよ!ここが終わったら次に移動するからキリキリ働きな!」
そう発破をかける婆さんは、手荷物からざるを引っ張り出し俺たちに押し付けてくる。
「エルフの兄さんは登って上の方、ドワーフのじいさんは下の方だよ。ざる一杯になるまで採取するんだよ」
かく言う婆さんはクレティエンヌを手綱で操り、馬上から採取を始める。
「なんでああもゴーレム馬なのに言うことを聞くんだ」
「賢く作りすぎたかのう……ワシらの仲間と定義付けしとるのだと思う」
婆さんは一杯になるまでと言ったが、三人のざるは半分を少し超える量の採取にとどまった。その結果に婆さんは憤慨することもなく、さも当然のように次の場所への移動を宣言した。
すでに手綱は婆さんの手の中にあり、俺は用心のためと言えば聞こえがいいが、下馬して警戒しながらの移動だ。
無いとは思うがこの仕事が終わった後、クレティエンヌを連れていかれそうで不安である。
進むこと暫し───
「ん~」
老婆から声が漏れる。
「どうした」
「この辺の下草はあまり食べられていないね……」
昨晩の鹿の目撃情報を伝えるが、老婆は納得できないようだ。
「オオカミの縄張りだからと言って群れは常に移動しているから、鹿も全く寄り付かないわけじゃあ無いんだけどねぇ……なにか毛色の違うのが来た?」
「こりゃワシらの出番かのう」
バルボーザの口髭が動く。髭が無ければ口角を上げたのが見えただろう。
「用心しとこうか」
俺の言葉にサミィも耳をピンと立てて警戒し始めた。
風に吹かれて木々の葉がサラサラと音を立てるのを、婆さんが耳に手を当てて聞き入っている。
「ふん……少なくとも風上にはいないみたいだね」
鞍上のサミィも鼻をひくつかせ、大きな耳の角度を変えるが異変を感じていないようだ。
俺の耳にも不審な音は聞こえてこない。
「見えて来たよ、あそこだ」
指し示す彼方に赤い色が見える。馬上の婆さんならもっとよく見えるだろう。
バルボーザ?ゴーレムロバに乗っても俺と似た高さだから見え方は一緒だ。
「豊作じゃな。鳥とか食べに来ないのか?」
「多少啄まれる程度かね……美味くないんだよ。完熟してもえぐみが強くて食用にはならないし、薬の不味さの原因はほぼあの実が原因さね」
「よくもまぁ薬用になると気付いたな」
「まったくだよ。先人の知恵に感謝さ。さぁあんたたち、仕事の時間だよ!」
護衛がメインの仕事のはずだったのに……天を仰いでも赤い実が枝に連なるのが視界に映った。
「今年は結構な量を調薬できそうだねぇ……結構結構」
馬上でフヒッと嗤うホクホク顔の婆さんだが、俺とバルボーザは渋い顔で手を動かす。
護衛の役目ではないと突っぱねてもいいのだが、俺もバルボーザも人がよすぎる。
一杯に満たしたかごが幾つか並んだころ、先ぶれに気付きそいつが姿を現した。
“フウウウウウゥゥゥ”
サミィが毛を逆立て警告するのと同時に、風下から森林狼が飛び出してきた。
警告とほぼ同時に察知した俺たちは臨戦態勢をとる───が婆さんはサミィの威嚇にかごを落としかけた。
「何事だい!?」
分かり切ったことを口にする婆さんだったが、それも意に介さず俺は先陣を切ってきた狼を抜き打ちで一閃。狼の首を魔刀の斬り上げで仕留める。
下から上への抜き打ちが最近の俺の定石となってきた。これは技として磨くべきか?
「婆さん、鞍にしがみついていろ!自由にさせとけばクレティエンヌが上手い具合にやってくれる!」
「これ位でおくれを取るアタシじゃないよ!今まで何度追っ払ってきたと思ってるんだい?」
婆さんは取り出した小袋の口を開け、高らかに声を上げる間にも狼は群れとなって次々と姿を現す。
「■!出番だよ、あいつらの鼻先に運んでおくれ!」
簡略化された呼びかけにもかかわらず、婆さんの声に風精霊は嬉々として小袋に渦巻き、中身を巻き込みながら颶風となる。風はその範囲を広げ狼の群れを飲み込んだ。
“きゃひん”
効果絶大。
十数頭はいるであろう狼たちが悲鳴を上げながら地面にのたうち回る。
そして最初の一頭の逃走を皮切りに、群れは悲鳴を上げながら逃げ去った。
後に残ったのは最初に切り伏せた一頭のみである。
「「……」」
「群れのリーダーが変わったのかねぇ。何度か痛い目に合わせたから、ここ何年かは襲ってこなかったんだけど。ま、備えあればなんとやらだよ。ひひっ」
“ぷしゅっ”
「おっといけない。■、風下へ散らしておくれ」
サミィの小さなくしゃみに婆さんが危険な鼻薬の処理を指示する。
「自信有りげだったから何かあるとは思っていたが、精霊を使うとはな」
「そういうのは予め言っておいてくれんか」
「昨晩、手があるって言っただろ。フヒヒ、ボケるには早いよ」
“ふぁ……ぶしっっっ”
ここにいる誰のものでもない大きなくしゃみ。
一斉に振り返った先の藪を掻き分け、巨大な影が二つ現れた。
「なんだいありゃ……オークよりでかいじゃないか。あんなの見たことないよ」
呟く婆さんに対してバルボーザが鼻を鳴らしつつ答える。
「ふんっ、はるばる北の山から流れてきたとしか考えられん。トロールを見るのは久方ぶりじゃわい」
トロール。
その強大な体躯は長い毛で覆われ、耳はさほど大きくはなかったが大きな鼻を持っていた。
そしてその体躯に見合った太い脚、太い腕から連なる巨大な拳は膝まで届いている。
「ちっ、鼻薬を散らすのは早すぎたね」
「予備はないのか?」
「無いよ。あれは金も手間もかかるし、ホイホイ使うシロモノじゃないよ」
狼にはケチらなかったくせに……
一頭のトロールが狼の死体に気付き、ひょいとつまんでバリバリとはじめた。それは焼き魚にかぶりつく様に似ている。
「逃げるか?」
普段ならば逃げの一択なのだろうが、修行という建前があるのでそうもいかないのに、態々確認を取ってしまう。
「逃げられなくはないが、森の浅いところまで引き連れることになるじゃろう」
バルボーザはヴァロを手招きし、その背に触れると直径十センチほどの魔法陣が浮かび上がり、“スッ”と一振りの太刀が鞘の半分まで姿を現す。
「なにやってるんだい!敵うわけないだろ、とっとと逃げるよ」
婆さんが怒鳴るがバルボーザはお構いなしだ。
「一体ずつだが問題ないな」
「水術とは相性が悪そうだ」
ぼやきながら構えた魔刀に、水を纏わせ刀身を延長させる。そこから斧を形作ると、食事中のトロールの膝裏へ水平に叩きつける。
力任せに振るったので水斧は散ってしまったが、こちらに気が回っていなかったトロールは“かくん”と体勢を崩してしまう。そこが狙い目だ。
身体の傾きしなに首が伸びて晒されているので、これ幸いと首目がけ真っ向から振り下ろす。
───が、斬ったのは首をかばった手の指であった。
“GAAAA!!!”
斬られた指を押さえつけながら、離れるように転がるトロール。巨体ゆえに一転がりでも大きく間合いを開けられてしまう。
“GUUUUU……”
トロールは起き上がると、斬られた手を“ぐっぱ”と状態を確かめた。
握り締めるたびに血が噴き出るが、回数を追うごとにその量は減っていく。そして遂に血は出なくなり、トロールはわざわざ傷のなくなった手を開いて俺に見せつける。
知識としてはあったが、厄介な再生力だ。
“GAHYAHAHAHA!”
「さて、どうしたもんかな」
★☆★☆
バルボーザは柄を握りしめ大太刀を引くが、鞘はヴァロの魔法陣からそれ以上抜けず、鯉口から厚く長い刀身が姿を現した。
それを振うには相応の筋力を必要とするのは明白であり、筋肉の塊であるドワーフであれば何ら問題ではなかった。
普人と比べ矮躯であるドワーフが好む得物はリーチの短さに難があったが、大太刀はその問題を解決するに十二分な長さがある
そしてその筋量と体重があれば、大太刀に振り回されることもないのだ。
“来い”
声にならない呼びかけに、ゴーレムロバからの火閃が切っ先に届くと一匹の赤い蜥蜴が貼り付き、そこから刀身を滑ると鍔に辿り着くころには姿を消した。
灼熱刃
本来の刀身の上に熱の刃が一層重なった。
火の精霊:火蜥蜴による付与魔法である
“GAAAA!!”
だがこちらのトロールは手頃な倒木を棍棒として手にしていた。
太く長い腕から繰り出される棍棒は、威力・リーチをさらに倍増させる。
自身より小さい獲物に対して侮らないのは、経験を重ねなければ難しいことで、トロールはその経験に乏しかった。
このトロールの経験則では、棍棒を振り下ろせば相手は潰れ、振り回せば相手は飛んでいった。
たかが一匹。無造作ではあったが鋭い振り下ろしであったが───
その動きは地を這う……のではなく、地を滑る───ドワーフを鈍重と揶揄するなかれ。
するりと振り下ろしを外に避け、トロールの前腕を横薙ぎにすると、その切り口は大きくはあったが刀身に焼かれ止血状態となった。
「ちと浅かったか」
“GURAAAAAAA!!”
それでも痛みがあることに変わりはなく、トロールは叫びながらもその元凶目がけ、内から外へ棍棒を薙いだ───が、その速度は先程の振り下ろしとは似ても似つかない遅さ。
傷のせいもあるが関節の構造上、内側へ薙ぐのは肘も曲げられるので早くできるが、外側へはそうはいかない。
“付与:炎刃”
灼熱の刃から炎が上がる。
薙ぎ払われる棍棒を尻目に、トロールの脇を抜けざま炎の刃が膝裏を撫で切りにし、止めとばかりに蹴り抜いた。
その連撃に、さしものトロールも体重を支えられず膝をつく。
「丁度いい高さじゃわい!」
“極焔刃”
吸い込まれるように炎は消えたが、時折刀身が“パチッ”と空気を焼く。
バルボーザは大太刀を大上段に構えると、トロールの頭蓋目がけて振り下ろした。
咄嗟にトロールは腕を掲げて致命の一撃を防ごうとする。
腕を切断されても自慢の再生力があればどうということは無いからだ。しかしトロールは斬られた前腕の傷も、膝裏の傷も再生が始まっていないことに気付いてなかった。
そして、ドワーフの大太刀の切れ味にも。
大太刀の刀身は庇う腕を切断するだけに留まらず、トロールの頭頂から顎先まで切り裂き、切り口は刀身に焼かれて白煙を上げトロールは絶命した。
“ズッ”
バルボーザは大太刀を引き抜いて血払いの所作をとるが、刀身には一滴の血もついては居らず、その代わりにまとわりついていた火蜥蜴の付与が炎と共に散り去っていく。
「ふう」
大太刀の鞘はヴァロに収納されているので、バルボーザはそのまま肩に担ぎあげた。
首を振ってもう一体のトロールを見やると、砂エルフが危なげなく立ち回っていたが、討伐には至っていない。
「すごいじゃないか!アンタ!」
老婆が口泡を飛ばして褒めてくるので少し距離を空ける。
「相性が良かっただけじゃわい」
そして再び砂エルフに視線を向けた。
「あっちは最悪だがの」
Fire=火
Flame=炎
Plasma=電離気体・プラズマ
プラズマを漢字にあてるのがむずい……よその作者さまたちはどうやってるのでしょうねぇ
ブクマ・イイねボタン・一言、お待ちしております。
お読みいただきありがとうございました。




