緑の指・日課・蜜蜂
日もとっぷりと暮れたが、この辺りは魔力街灯がある区域なので足元は明るい。
ここからエステルの実家であるエルネスト香辛料店までは十数分の距離。
歩き始めると店員が馬車を出すと静止してきたが、アルマンゾ氏が“準備の時間も惜しい”と先を急ぐことになった。
歩くこと暫し。
“ありがとうございましたー”と客を見送る姿が見えた。
客は二人連れで、服装からどこかのレストランの下働きのようだった。
「ったく大人数のパーティを当日ねじ込むとか、こっちも都合も考えろってんだ」
「愚痴るなよ。早くこのハーブを持って帰らないとシェフにどやされるぞ」
片方は手ぶらで片方は箱を手にしている所を見ると、大金を持っての買い出しだからであろう。
夜道は何処に危険が潜んでいるか分からない。
俺達の姿を見て一瞬警戒して足が緩むが、二人は一気に加速して走り去っていった。
「あの店か?」
「ハーブがどうこうと聞こえたが」
二人の言葉を聞き流し、見送りの人影に向かって右手を振ると向こうも気付いてくれた。
「あらヴィリュークくん、ひさしぶり」
エルネスト香辛料店の細君、ナフルさんが声をかけてくれた。
店前まで来ると店主でエステルの父であるエルネストが店仕舞いの真っ最中だった。
「やぁヴィリューク、仕事帰りかい?夕飯でも一緒に……って訳じゃあなさそうだね」
俺の姿と後ろに控える男たちを見て、彼は少し察してくれた。
「うちの店に用事かい?」
「ああ、頼みたいことがある」
以心伝心。視線も交わさず二人はやることを弁えていた。
「訳あり仕事みたいだね。看板下げとくから邪魔は入らないよ」
「さぁ皆さん中へどうぞ」
招かれるがまま、俺達は連れ立って入店するのだった。
エルネスト香辛料店の店内はカウンター作りである。
「うちはこういった業態なんです。込み入った話なら席を用意しますが、えーっと……」
そう言えば紹介もまだだった。
「こちらグラッスル商会のアルマンゾ氏、それから薬師の───」
「ラルスだ」
身を乗り出さんばかりの勢いで名乗るラルス。
「これはこれは。店仕舞いしているのが店主のエルネスト、私は妻のナフルです」
「早速で悪いが緊急で必要な物があってね。マルバオの実、正確にはその干果が欲しい」
ここならば在庫があると勘違いしたアルマンゾ氏が先んじてナフルさんに尋ねた。
「マルバオの実ですか、しかも干果となると在庫を切らして───」
ナフルさんが言い終える前にアルマンゾ氏は肩を落とし、ラルスは恨みがましく俺を見てくる。
「種があっても仕方ないじゃないか」
「種があるならいけるンじゃないかい」
視線が集まった先では、エルネストが看板を抱えて戸口に立っていた。
「え?え?俺、何かまずい事でも?」
「「何とかなるのか!」
アルマンゾ氏、ラルスの二人に詰め寄られるエルネスト。
「ちょ、ちょ、助けて!ナフル!」
相手を宥めるのではなく、嫁に助けを求めるのはちょっと情けない。
「そう言う事だったのね、ヴィリューク君……お二人とも落ち着いてください」
ナフルさんが執り成すと、何とか二人は落ち着いた。
「マルバオの実があれば、水分を飛ばすのにも一日あれば大丈夫よ」
安請け合いと言われても仕方ない軽い調子でナフルさんは請け負った。ちらりと俺の方を見ていたので、水分を飛ばす仕事はこちらに回されるのだろう。
「いやその、肝心の実がないのだが」
ナフルさんの自信の根拠が分からなければ、然しもの支店を任されているアルマンゾ氏の困惑も尤もだ。
「それじゃあ種を見せて」
しぶしぶ差し出される小瓶を受取ると、ナフルさんは浅いトレイに中身を広げて選別し始める。
2、3ミリ前後の軽く潰した丸っぽい種を、店用の木のヘラで選り分けていくと、三つの塊りが出来上がった。
「一つはっきりさせておきたいのだけれども、何に使うの?飽くまでもうちは香辛料店よ」
「……もちろん料理だ。スープに使うそうだ。そうだな?」
ナフルさんがわざわざ聞いてくるのだ。彼女は用途に気付いているのだろう。
「ああ、そうだ。ざっと三十人分必要なのだが、くれぐれも内密にして欲しい。サプライズメニューなのだそうだ」
しれっとアルマンゾ氏がのってきた。夫婦を巻き込まない意図が伝わった。
「ナフルがやる気になったなら、土を作らないとね。さあ力仕事は男の役割、中庭はこっちだよ」
これは分かっていないのだろうなぁ。エルネストの呑気な先導に、男三人付き従った。
「ナフル~、配合はどうする?」
「基本の土を1で、灰と黒を0.5で」
ナフルさんは色で指定するので、配合する物の正体は良く分からない。
「鉢は幾つにする?三つ?五つ?」
「余裕を持って五つにしましょう」
夫婦の会話の間も、俺達は鍬を手に土を撹拌していく。
俺が右手一本で鍬を振るっていると、エルネストが鉢を抱えてくる。
「あれヴィリューク、怪我でもしたかい?それにまたごっつい籠手なんかはめちゃって」
のほほんと鉢を降ろすと、左の義手をコンコンと叩く。
「んん?」
再び義手を叩く。まるで何かを確かめるかのように。
その間もエルネストの耳は動き続けた。
なんでこういう事には勘が良いのだ。
何度目かのノックをしようとする手を右手で押さえる。
「事情はあとで説明するから、な?」
「う、うん。なんか、ごめん」
そんな申し訳なさそうな表情をしないで欲しい。
並べた五つの鉢に土を入れると、ナフルさんは空けた穴に種を一つずつ蒔き、それぞれにたっぷりと如雨露で水をやる。
「今から種を蒔くとか、全くエルフは気が長すぎる」
ラルスはエルフの長寿からくる気性を、皮肉と共に批判してきた。だがナフルさんは意に介さない。
「ごめんなさいね、実を付けるとなると流石に私でも一日はかかってしまうの」
「はぁ?!あんた何言ってるんだ!」
「まぁまぁ、ああ言っているのだ。お願いしてみようじゃないか」
支店の店長まで任されているアルマンゾ氏は察しがついたのだろう。ラルスを宥めながらも、その目の好奇心は隠しきれていない。
中庭の片隅に並ぶ五つの鉢。
ナフルさんはその中心に立つと、合図をして俺を反対側に立たせる。まあ役目なぞ一つしかない。
彼女は大きく呼吸を一つし、右手で何かを押すような仕草をする。
その仕草を数回繰り返すと、次は何かを支えるように手のひらを上にし、そっとそっと上下に動かす。
その間、男たちは微動だにしない。
いや、ニコニコしている者、興味津々の者、訝しげな者、様々だ。
そして待望の変化起こる。
土を押し上げ、芽が出たのだ。
「緑の指……」
ラルスが小さく呟いた。
そう、ナフルさんは草木の成長を操る“緑の指“の持ち主なのだ。
誘うように指が踊ると、それはみるみるうちに背丈が伸び、葉が次々と開いていく。
高さが十五センチを超えた頃に合図が来た。
ナフルさんの右手は常に薫り続けていたが、ついに俺に向けて頷いて左手を小刻みに動かしてくる。
こうだろうか。
水を生み出すと、それぞれの苗の根元に優しく注いでいく。
彼女は優しく頷きながら、左手の動きはそのままだ。
合図のままに水を同じペースで注いでいたが、一メートルほどに成長すると左手の合図が更に小さく刻まれていく。
水量は抑えても途切れ差すな、という事らしい。
茎は徐々に太くなり茎も葉も細かい毛が生えてくると、遂に左手がくるりとひるがえり閉じられたので、水の供給もそこで止める。
しかし成長は続いた。
茎の節々から花芽が覗き出したのだ。
小さな花芽は次第に大きくなり───
ナフルさんはそこで指を止めてしまった。
「ちょっと待ってね。あなた、手伝ってちょうだい」
「ほいきた」
何事かと見ていると、二人は蕾を摘み始める。
「お、おい……」
「心配しないで。摘蕾っていってね、立派な実になるように蕾の数を調整するの。場合によってはこの後摘花もするし、摘果もするわ。けれども人数分は間違いなく収穫できるから任せてちょうだい」
ナフルさんは背後の二人へ振り返らず言葉を続ける。
「市場に出回っているものより旨味を凝縮させるから。ふふっ」
いつも笑顔のナフルさんがさらににこやかに語るとか、随分と張り切っているがやり過ぎないで欲しい。
この姿を目の当たりにすると、やはりエステルの親なのだなと思う。
つぼみの間引きが終わるとナフルさんは再び指を振るうのだったが、つぼみが膨らみ色づいて、そろそろ花開く大きさになると手を降ろしてしまう。
「今晩はここまでね」
アルマンゾ氏もラルスも不満気ではあったが、緑の指も持ち主が宣言したからには理由があると察したようだ。
「実を付けるには受粉させないとでしょ?夜には虫も飛んでいないわ。実が熟すのはお昼過ぎかしら。干果にするとなると───」
水を向けられるので凡そを応える。
「日が傾く前には何とか」
「だそうよ。見物に来るなら明日の朝から来てもらうといいわね。でも午前中は店を開けなくちゃならないし、私が手を加えるのは昼前になるからご自由にどうぞ」
「秘密にしている訳ではないのだな」
「大っぴらにしてはいないけど、知っているヒトは知っているしなぁ」
「言い掛かり付けてくるヒト達もいなくなったしねぇ」
意外と商売上の苦労はあったようだ。
「困ったことがあったらグラッスル商会まで声を掛けてくれ。明日またお邪魔させてもらおう」
その場を辞するアルマンゾ氏とラルス。
「それじゃあまたあした」
それに続こうとすると両脇から“がっし”と抱えられてしまう。
「積もり積もった話を聞かせてね」
「宿の心配はいらないよ。泊まっておいで」
この夫婦の連携、侮れない。
その夜はごちそうになった。
食事をいただきながら事の初めから、つまり親善使節団の土産話から始めていったのだが、航海中の話しは良かった。
「エステルが飛び出していったから遭難の事は知っていたけど、帰って来ていたなら顔くらい出してくれよなぁ」
エルネストからぼやかれてしまった。確かに心配かけておいて無事を知らせないのは不義理だった。
「あぁ、その、申し訳ない」
右手が左腕に伸びかけてしまうが、すぐさま引き戻す。
「まあ、ほら、こうして来てくれたことだし、ね?」
どうも気を使わせてしまっていて居心地が悪い。さらにこれから左腕の事も話さねばならないのだ。
このあと異国の地・イグライツ帝国で見聞きしたことを話し始めると、酒も入って大いに盛り上がった。
しかし肝心の腕の事は、逆恨みの襲撃で騙し討ちに合い不覚を取ったと、簡単な説明で済ませた。
「ちゃんと仕返ししたんでしょうね?」
「足に深手を負わせた。元の足捌きは出来ないだろう」
「ならばよし」
ナフルさんが頷いた。横でエルネストも何回も頷いている。
その晩はこれでお開きになり、俺は一晩厄介になるのであった。
★☆★☆
目が覚めると身支度を整え台所に入る。窓を開けると丁度日が昇る頃合いだった。
夫は一応目覚めているがもぞもぞとしていて、覚醒するまで時間がかかるのはいつものこと。
涼しい時間帯だが今日も暑くなりそうだ。
近所の井戸へ水汲みに行くのが朝の日課なのだが、水瓶を持ち上げようとすると中身が詰まって持ち上がらないほど満タンだ。
昨日もそれなりに消費したはずなのだけれども、いつの間に補充したのだろう。
などと訝しんでいると、何かを振るう音がする。
中庭への扉をそっと開けると、娘の彼氏が剣を振るっている。
それは私が知っている素振りとは違い、鞘に納めた剣を片手で抜き放つというものだった。
いつからやっているのか、着ているシャツは汗で身体に張り付いて、その下にある筋肉を浮き立たせている。
背中から肩、そして上腕までしっかりと鍛えられている中、目に入るものがある。
左前腕の義手と、それの装着具一式だ。
水使いでもある彼。それは水に関しては誰にも負けない強みであると同時に、それ以外に関してはあまり使えないという弱みでもある。
しかし彼はそれを感じさせぬほどの、卓越した業を身に付けていた。
そして鍛え上げられた身体能力。五体満足であれば彼に敵う者はまずおるまい。
それが何という事。
作り上げたものを奪われた彼の気持ちを思うと可哀相でならない。
だが彼は新たな物を積み上げようとしている。
抜剣の速度は、遠目からで追えるか追えないかのとても速いものだったが、鞘に納める動きは少しぎこちない。
それでも彼は剣を振り続ける。
どれくらい時が過ぎたのか、彼は剣を納めて頭を巡らせると、私と目が合ってしまった。
「やだな。声、かけてくれたらよかったのに」
はにかみながら“おはようございます”と続けるので、私も“おはよう”と返す。
「集中していたようだから見てたのよ。抜剣?凄い速さね」
「正しくは抜剣でなくて抜刀……まぁどうでもいいか。前と同じようにとはいかなくてね。もっと練習しないといけない」
「根を詰め過ぎないようにね。何もかも元通りにはいかないわ」
彼は眉尻を下げながら“わかっている”と答えてくれた。
そこへ夫のエルネストが、昨日のアルマンゾさんとラルスさんを伴ってやって来た。
「おはよ~う。朝も早くから来てたから連れて来たよ。気になって仕方なかったんだってさ」
お互いに朝の挨拶を交わすが、ヴィリュークは汗だくの身体を気にしてか“すっ”と距離を空ける。
「すまない、日課を終えたばかりで。ちょっと失礼」
断りを入れたと思うや否や、ヴィリュークの全身が水に包まれ渦を巻く。十数秒も経たぬうちに、水が彼から分離するとあっという間に中庭の地面に染みていき、服を含めた全身から水気が無くなりパリッと乾燥した。
けれども髪は手拭いで拭きとっている。一緒にできない訳でもあるのだろうか。
横の男たちは“凄い凄い”と声を上げているだが、少しくらいは疑問を感じて欲しいものである。
★☆★☆
剣の日課をこなしていたら、ナフルさんにしっかりと見られてしまった。
特に面白いものでも無かろうに。
雑談を交わしていると、朝もはよからアルマンゾ氏とラルスがやって来るので、慌てて水流を纏って汗を流すと身体もさっぱり、汗の染みた服もきれいになる。髪の脱水はやり過ぎると痛むので程々に済ませる。
身綺麗にすると鼻が利き始めたのか、ほのかに甘い香りが感じられる。
「甘い匂いがしないか?」
「マルバオが咲き始めたのよ」
言われて五つの鉢を見ると、昨晩は固く閉じていた蕾がやわらかく緩んでいる。
「咲き始めているわね、そのうち満開になるわ。さあ、準備しないと」
何の準備をするのかナフルさんを見守る。すると中庭に据え置かれている縦に長い木箱に近寄り、撫でさするさまは大変愛おし気だ。
「おはよう、あなたたち。少し手伝ってくれるかしら」
“プーン”
羽音で応答したのはミツバチである。
巣箱から飛び立つミツバチは次第に数を増し、周囲は羽音で一杯になる。
「紹介するわ。この子がわたしの使い魔で、この群れの女王なの」
ナフルさんの左腕には何匹ものミツバチが止まり、左手の甲には一匹の少し大きい蜂が羽を震わせていた。
手の甲を顔に近付けふんふんと頷くと、女王蜂は人差し指の先まで登り飛び立った。
「じゃ頼んだわよ」
最後にナフルさんは手のひら大の小ぶりな壺を木箱に置くと、女王蜂は壺の周りをグルグル回り、他の蜂も同調したかと思うと一斉に飛び立った。
もう女王蜂がどこにいるか分からない。しかし蜂の群れはマルバオの鉢の花に群がった。
「あとは待つだけよ。花が咲くのもすぐだし、一時間もすれば受粉は終わるから、私の出番はそれからね」
それは分かったが、小壺は何故置いたのだろう。
「あの壺にマルバオの蜜を集めて貰うの。巣箱に集めちゃうと、他の蜜と混ざってしまうからね」
「蜜蜂の名前は伊達じゃあない、ってね」
笑うナフルさんに自慢気に語るエルネスト。いや、確かに自慢の嫁なのだろうが。
“伊達”と聞いて左頬の傷がむず痒くなる。この傷が伊達では無くなるようにせねばならない。
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