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エルフ、砂に生きる  作者: 初荷(ウイニィ)
隣国にて~災難〜
148/196

報告・真相・潜伏


明けましておめでとうございます。






離宮の一室。


一命をとりとめたヴィリュークの昏睡状態は続いている。


………

……


今までどんな危機があろうとも、どんなに時間がかかろうとも、彼は五体満足で帰還した。それがつい先ほど剣を携えて魔熊を追ったと思ったら、左腕は欠損し失血で意識も無い状態で戻って来た。


天幕前でじゅうたんを飛び降りた二人。


ついよろめいてしまうエステルであったが、両手で頬を挟み込むように叩くと、自身のポーチから道具を取り出して彼の止血を開始した。


ナスリーンは彼の傍にそのまま膝をついてしまうが、エステルが水術で傷口を清め、針に細い絹糸を通すのを見ると少し悩み考え込む。


しかし決断は早かった。


首から細い鎖で下げられたペンダントを引っ張り出す。


中央には磨き上げられた透明な石が嵌め込まれ、ナスリーンは軽く唇に押し当てると杖を両手で握り締め、地面に突き立てるといつもより長く集中し始めた。


そして───


■■(はら) ■■(たま) ■■(きよ) ■■(たま)    彼の者を癒せ」


それは貴重な触媒だったのだろう。


詠唱を合図に石は中央から細かい粒子となって拡散すると、周囲は清浄な空気に包まれたが、それはヴィリュークに集まっていく。


すると彼の衣服や身体からは汚れが無くなり、見えていた細かい傷は一つ残らず無くなっている所を見ると、服の下も癒されているのだろう。


だが左頬の一本の傷は塞がったが跡となって残った。それでも心なしか彼の頬にも赤みが差したようにも見える。


しかし、肝心の左腕の開放(そう)には効果が薄い。


いや効果が無かったわけではない。


エステルが目につく血管の止血を終え、剥き出しになっている傷口に取り掛かろうとした時にナスリーンの呪文が発動したのだ。


傷口は薄い膜で覆われる。膜は傷口を保護するための物なのかもしれない。


ナスリーンの呪文は、それが精一杯であった。




二人の応急処置に見入っていた周囲であったが、我に返った皇帝イグライツが喝を入れた。


「すぐに城へ運べ!」


それを合図に騎士団長が矢継ぎ早に指示を繰り出す。


「搬送準備を整えろ!それから早馬を出して向こう側の受け入れ態勢の準備、医師の手配だ。それから───」


騎士団長の頭を思考が駆け巡る。


一緒に戦っていたヴィクターはどうなったのか。

魔熊は倒せたのか。

一人で戻って来たのはなぜか。


などなど。


情報不足に苛立つ騎士団長であったが魔熊討伐の一報が届いたのは、負傷者搬送と共にラスタハール一行が出発した後であった。






現場には確かに二頭の魔熊が倒されていた。


一頭は多数の槍が突き立った状態で。


もう一頭は片方の前脚が切り落とされ、致命傷は心臓への一突きで間違いないだろう。


斥候による発見当時の様子は、地面はあちこち水浸しで争った跡があり、ヴィクターの物と思しき鎧が脱ぎ棄てられていたとのこと。


その鎧も一部(ひしゃ)げており、おそらくは攻撃を鎧で防いだものの、行動に支障があった為脱ぎ去ったと思われる。


しかしその装備者の行方が知れない。


さらには魔熊の物ではない血痕があり、いくつかは件のエルフの物と推察されたが、もういくつかは彼の物ではない所を見るに、ヴィクターも負傷している事は確実である。


しかしその当人がいないのだ。


天幕へ帰って来なければ、街の門をくぐった様子もなく、騎士団にも連絡がない。


三日に亘って捜索が続けられたが、ヴィクターの安否は杳として知れなかった。




討伐した魔熊も処理せねばならない。


結果として、騎士団は最初に倒した魔熊の一頭をもって凱旋した。


市民からは、帝都周辺の安全が為されたと歓迎されたのだが、それらを誇るはずの騎士団の面々の笑顔はどこかぎこちないものだった。


もう一頭の魔熊はどうなったかというと、極秘裏に呼び出された業者の手によって現地で解体され、同様に呼び出された商人たちに売却された。


つまり、金で解決は為されないだろうが、ラスタハール側への慰謝料にあてられたのである。




ヴィクターの行方が分からないのも、この一件が解決に至らぬ要因の一つである。


第一騎士団の隊長であり、随一の実力者。


二匹目の魔熊が出た際に撤退を指示し、件のエルフと殿を務めた男。


状況から見るに彼の負傷は明らかなのだ。


様々な仮説が立てられ、検討された。


魔熊に後れを取ったことを恥じ身を隠した、とか。

新たな魔獣が現れた、とか。

その魔獣に連れ去られた、とか。

自身の腕に匹敵する腕前のエルフに嫉妬し襲い掛かった、とか。

さらには返り討ちに遭い、罪を咎められる事をきらい逃げ出した、とか。


何れも憶測の域を出ない物ばかりで、検討に値しない物ばかりであった。


しかし進展がない以上、その様なものでも可能性を否定する為に動かざるを得なかった。


森には再度人が送り込まれ、新たな脅威が無いか確かめられた。

 

そして自室の調査は勿論、交友関係も洗われたのであった。




深夜、ルーカス・イグライツは己の書斎で報告書を読んでいた。


「褒められた私生活ではないな」


提出したのはいつぞやグリフォンの件で報告を上げた男である。


「宮廷内で浮名を流すばかりでなく娼館通い。女好きだけではなく金も無心していた、と。派手に使っていたかと思えばそうではなく、自室にあったのは一般的な騎士クラスの私物ばかり」


正確には、関係を結んでも巧妙に隠していたのだが、いちいち男は訂正しない。


報告書をめくり、独白は続く。


「どこかに別邸や別室も借りてもいない。この男は一体何を目的にしていたのだ」


そうなのだ。生活が派手でもなく、宝飾品などを溜め込んでもいない。あったのは分不相応な量の金が入った金庫のみである。


「ふむ、剣……装備には金をかけていたのか」


報告書には有名どころの刀匠の剣を所有していたとあった。私物の鎧も“見た目より性能を重視した物”と一筆添えられている


さらに報告書をめくると、見知った名前が出てきた。それは弟の息子、甥であるニコラスの名前だ。


「……何をしたかったのだ、こやつは」


ニコラスはヴィクターを騎士団から引き抜くわけでもなく、強いて言えば己の派閥の末席に据えていただけなのだ。


腕の立つ実力者と良好な関係を保っていただけ。ヴィクターからしてみれば“皇帝の弟の息子”という、大きな権力を持っているとは言えない者の後ろ盾を得ている程度なのだ。


それでも持たざる者からすれば、皇弟───公爵の息子というのは十分な地位である。


「そういえばグリフォンの件はどうなった?」


「はっ。自供によると金目当ての犯行との事。どうやら捕獲して売り飛ばそうと画策していたようです」


平然と答える男に、ルーカスは鋭い視線を向けた。


「供述をそのまま信じたわけではあるまいな?」


一気に報告すればよいものの、男は勿体を付ける。


「はい。離宮に忍び込んで盗みを働き、その筋の商人に売り飛ばすなど、少々都合の良い言い訳でしょう」


「それからどうした」


男の報告を要約するとこうである。


見張りを付けて泳がせていた所ニコラスの元に現れたと、ニコラス付きの密偵から報告が上がって来た。

1・どうやら先日の騒動は、グリフォンを入手して王位継承権を得ようと目論んだのだが、返り討ちになった結果とのこと。

2・飼い主のエルフに対して逆恨みの感情は抱いていたが、意趣返しの指示はまだ出していないとのこと。

3・意趣返しに関してはヴィクターも同意を示していたが、具体的な方策等々ニコラスへ提案もなされていない。


つまり今回の一件において、ニコラスは関与していない。


「王位を欲するあの目は嫌いではなかったのだがなぁ。俺の息子はどうも大人しすぎる。いずれにせよグリフォンの件は、ニコラスに釘を刺さねばなるまい」


「釘を刺すまでも無いかと。仄めかすだけであの方は態度を改める筈です」


“本当か?“ルーカスが片眉を上げて見やると、男は“本当です”とばかりに首肯した。


「いずれにせよ実行犯には罰を与えねば向こう(ラスタハール側)にも示しがつかん。捕らえて犯罪奴隷として、鉱山なりどこへなりと送り込め」


一礼をしてかしこまるが話は尽きぬようで、“最後にまだ確認が取れていないのですが”と男は前置きをして言葉を続ける。


「どうやらヴィクターは犯罪組織と関わっている痕跡があります。この件はニコラス様も存じ上げてないようです」


どうやら真相究明の糸口が見つかったようである。


ルーカス・イグライツは引き続き調査を命じた。




★☆★☆




気が付くと薄暗い部屋に寝かされていた。


どうやら薄いカーテンで日をさえぎっているようだ。


身体を起こそうと手をつこうとしたが、あるべきものが無く、左肘をベッドについて身を支えた。


瞬間、肘から走る痛みに声が漏れ、力が抜けてしまう。


すると隣室から複数の足音が聞こえると同時に扉が開くと数人の人影が雪崩れ込む。


「目が覚めたか!」

「おぉ……」

「ヴィ…リュ…」

「う、うぅぅくぅ」


オルセン伯爵をはじめ使節団の面々の安堵した表情が見え、その中には泣き顔の二人もいた。


「水を───」


言葉を最後まで発しないうちに、口元には吸い飲みがあてがわれる。


一口、二口。半分ほど飲み口を離した。


「ふぅ」


横を見ると心配そうな顔ばかり。なので、安心させるように言葉を継ぐ。


「少し、眠る、よ」


そういって口角を上げたつもりなのだが、うまく笑えただろうか。


目をつむると直ぐに意識は沈んでいった。




大きな声ではなかったが、ヒトの話し声で目が覚めた。


身動ぎすると、足元の布団の重みが上がって来る。


“にゃぅん”


足元でサミィが寝ていたようだ。顔に額を摺りつけてくると、毛が鼻元をくすぐって来る。


バドも一緒にいたようで、サミィの真似をして頭を摺りつけてきた。鼻元に羽も加わってくすぐられる。


“へ、ぷしっ”


「いま、どれくらいだ?」


“なうーん”(さっき日が沈んだわ)

“Kyuuuu”


“コンコン、カチャ”


ノックの音と共にノブの音がし、ゆっくりと扉が開いていく。


「ヴィリューク、起きた?」


「あぁ……おきたよ」


寝起きで声が掠れる。


「みんなヴィリュークの目が覚めるのを待っていたのよ。部屋に入ってもらってもいい?」


エステルとナスリーンが声を抑えて訊ねる。


「あぁ、うん」


「こんな時になんだけど、寝起きで無防備なヴィリュークって珍しいわね」


「ふふ。そうね。ちょっと身綺麗にしてあげましょ」


ナスリーンが隣の部屋に“身支度をしますので少しお待ちを”と声をかけ、エステルが濡れた手拭いで俺の顔を拭いていく。




「こんな感じかしら」

「そうね」


二人に甲斐甲斐しく世話を焼かれてさっぱりとしたが、まだ頭が働かない。


「昼間に一回目が覚めたでしょ?無事を知らせたら、皇帝陛下が直々にお見舞いにいらしているのよ」


一国の王の来訪をナスリーンから知らされたが、口から出たのは“恐れ多いな”という言葉だけだった。


横になったままではいけないと思いせめて上体を起こし、背中と腰にクッションをあてがって貰って身体を預ける。


途中でエステルが、肩が冷えないようにストールをかけてくれた。


「ありがとう」


二人に礼を言うと、彼女たちは眉を下げて何とも言えない表情になる。


それでも大丈夫だと頷くと、ナスリーンが隣の部屋へ“どうぞお入りください”と(いざな)った。




★☆★☆




騒動があっても仕事は遠慮なく積み上がっていく。


「陛下、朗報が」


午前の執務中に、かのエルフの意識が戻ったと一報が入った。片腕を失いながらも魔熊を討伐したエルフだ。


通常ならば皇帝の名代として誰かを見舞いに向かわせるのだが、事情もそうだし何より当時の状況を直接聞きたかったこともあり、直接出向くことにした。


離宮への侵入者はこちらの落ち度だが、彼の負傷は討伐への助太刀時においての負傷となる。


しかも撤退時に殿(しんがり)を買って出て、我が騎士団の損害を防ぐばかりか討伐までやってのけたのである。


他国の者が帝国の脅威を排除したとあっては、それに報いねばなるまい。


とにもかくにも仕事に区切りをつけて向かった時には日もとっぷりと暮れていた。




実務レベルの話は担当官に任せてあり、貿易交渉においては当初の計画よりも譲歩を許可してある。


国家間において詫びを入れるとしたら譲歩はやむを得ない。不利な条件を飲まずに済んでいるだけマシというものだ。


使節団団長のオルセン伯爵によると、かのエルフの容体は落ち着いているとのこと。


離宮への搬送時も、我が国最高の医者と術師を派遣したのだが、初期治療が優秀だったため新たな施術は微々たるものだった。


それでも緊急時に備えて彼らを常時待機させ、考えられる全ての状況を考慮して人員を手配してある。


止血等応急処置を行ったエステル嬢の腕もさることながら、ナスリーン嬢の治癒魔法も刮目に値する。特別な触媒を使用して治癒効果を高めたことは、その場に居合わせたので明らかだ。問題はそれがどれだけ稀少なものなのか、である。


「皇帝陛下、数々のご厚意、感謝の念に堪えません」


「なんの。当然のことだ」


ラスタハール側には、誠意を受け入れてもらった。同じものは無理でも、同等の触媒を贈らねばなるまい。場合によっては宝物庫を開かねば。




「どうぞお入りください」


歓談していると、準備が整ったようだ。


誘われるままに扉をくぐると、ベッドの上にはクッションに身を預けた男がこちらを見て口を開いた。


「足をお運びいただき、恐悦至極に存じます」


「なんの。順調に回復しているようで何よりだ」


飽くまでもそれは体調であって、失った部位は戻ってこない。それは向こうも分かっている。口にしても詮無き事だ。それでも聞かねばならない。


「意識を回復したばかりなのは分かっているのだが、二頭目の魔熊を前にして、貴公の身に何があったのか教えて貰えるだろうか」


性急すぎる私の問い掛けに、誰も非難の声を上げない。


誰しも事の真相を知りたいのだ。




「何があったか思い出せる?」


寄り添うナスリーン嬢の問い掛けに、覇気の無い目をしながら彼はぽつぽつと話し始めた。


“一頭目は槍衾にして倒した。そこに無傷の二頭目が現れたが、討伐するには損耗が激しいと撤退を指示”


“部隊を逃がすためヴィクターと殿(しんがり)を務めていたが、思いのほか連携がとれて魔熊を追い詰めた”


“奴が振り下ろされる前脚を斬り飛ばし、俺が心臓を一突きしして決着がついた───”


ぶわりと漏れだす殺気。


「油断?一瞬気が抜けたのは確かだ。しっかりと残心していれば不覚を取ったりはしなかった」


室内の緊張が一気に高まるのも束の間、殺気が治まるのも一瞬であった。


しっかりと言葉を発した彼の目には怒りがあふれていた。あまりにも刹那であった為、護衛達も身構えた姿で固まってしまっている。


「何があった?」


それでも問わずにはいられない。


「ヴィクターが俺に斬りかかって来た。殺気には気付いたが、初撃を避けられず左腕をやられた───」


予想外の告白に室内の者たちは固まってしまっている。まさかあのヴィクターが……俄かには信じがたい。


「返す刀で左眼へ切り上げられたが……頬を少し切っただけで済んだ。あぁ……エステル、眼帯、だめにしちまった。すまん」


そう言いながら左頬に触れようと、左腕を持ち上げたがその先に手はなく、中身のない長袖が肘先から“くたり”と折れ曲がっていた。


彼が言う傷は少しではない。左の頬には治癒魔法によって塞がってはいるが、しっかりと一本の傷跡が走っている。


「直せばいいのよ!必要なら何枚でも作るわ!ぅぐ……ふぅ……」


暗い雰囲気を払拭しようとエステル嬢が気勢を上げるが、それは失敗に終わってしまう。




「あいつの殺意は間違いなく俺に対してだった。だが依頼を受けての事だったらしい。二人とも国境付近の村の占拠、覚えているか?」


「村を占領してお茶になる草ばかり作らせていたあれね」


「俺達があそこを開放したせいで、その材料が入って来なくなったといっていた。その草が無いせいで組織の売上が減ったのだろう。奴は組織の報復の為に雇われたんだ」


まさかの告発にその場の空気が固まったが、従者に軽く頷いて走らせる。これは裏付けを取って犯罪組織の摘発に乗り出さねばなるまい。


面倒なことになった。匙加減を間違えると、裏社会が荒れて表までに影響を及ぼしかねないからだ。


だが王獣の尾を踏んだことは知らしめねばならない。しかし話はそれだけでは終わらなかった。




「それと奴とは別に、俺に魔法をかけた者がいる。発動の気配を悟らせなかったから相当の手練れだ」


騎士団の中に裏組織の者が紛れているというのだ。どうしてこう我が国の不祥事が次から次へと明らかになるのだ。


「ええい、この際だ。膿は徹底的に出してしまえ!」


軽くめまいを起こしている横では、ラスタハールの者たちが聞き取りを続けている。




ヴィクターの正体に、騎士団内に潜り込んでいる犯罪組織。これ以上、我が国の不祥事が他国から明らかにされたくはない。正直頭が痛い。


だがお構いなしにエルフたちの話は続く。


「麻痺魔法を左にかけられた。最初は左手の違和感だけだったが、それも時間差で効果が現れたせいで、二頭目とやり合っている最中から左半身の感覚がおかしくなってきた」


「えっ、遅延術式を組み込んだ阻害魔法?通常時間差で発動するだけであって、効果が少しずつ進行するものではないはずだけど……独自の術式かな?」


「毒が徐々に回って来るイメージかしら?私の知っている術式は指定した部位に直接働きかけるけど、ヴィリュークがかけられたものはその部位を基点に、徐々に広がるものなのかもしれない。よく動かせたわね」


「……身体強化で無理矢理動かしていた」


事もなげにのたまうエルフのセリフに、居合わせた者たちはそれぞれ渋い顔になった。




★☆★☆




歓楽街のはずれにある、とある屋敷の奥まった一室にヴィクターは匿われていた。




ヴィクターはあの後、戻って来た組織の盾兵の手を借りて森を脱出したのであった。直ぐにその場で応急処置を施されたものの、逃亡しようにも足の怪我は小さくなかったからである。


よしんば馬車などの足を確保しても、追跡から逃れることは困難であると判断した二人は、帝都に戻り潜伏することを決断。


夜陰に紛れて帝都の外壁まで辿り着いたものの、馬鹿正直に門から入ることは出来ないし。荷馬車の荷物に紛れて潜入するにも、手筈を整える時間も惜しまれる。


となると組織の稼業を利用するしかない。


いわゆる“裏口”である。


どこにも脛に傷を持つ者はいるもので、正規の手順で街に出入りできない者がこの裏口を利用する。


その形態も様々で、下水道を利用したもの、地下にトンネルを掘る手間暇がかかったもの、借金漬けにした石工(いしく)を使って石の外壁に抜け穴を造らせたもの、と多岐にわたる。


何れも手の込んだ偽装が施されているのだが、今回は歓楽街に一番近い抜け穴を使って潜入したのだが、その様子は割愛する。




ヴィクターの傷口は、闇医者によって丁寧に縫い合わされた。


大凡(おおよそ)その居場所に似合わぬほどの腕前であったが、このような場所に居を構える以上訳ありで、詮索するのはここではマナー違反である。


「ヴィクターさま、お加減いかがですか?」


「……」


遠慮がちに扉を開けて入って来たのは、やつれた顔をした女であった。


その正体はいつぞやヴィクターに結婚を迫った娼婦である。顔や体が資本の娼婦故に、あの後痕が残らぬくすぐりの刑が執行されたのだが、刑の凄惨さについては触れないでおこう。


ともあれ、彼からは返事も無いのだが、どこか嬉しそうなのはヴィクターに尽くせるからなのか。


足の傷の治癒如何によっては、今後の剣士の実力に多大な影響を及ぼすため、ヴィクターも大人しくしているのだが、世話係としてやってきた彼女には言い知れぬものを感じていた。


「ふふ……早く良くなるように、今日のお昼も腕によりをかけてきましたわ。たくさん食べてくださいね」


「変なものは入れてないだろうな」


「まぁ酷い!私がヴィクター様に変なものを食べさせるはずがないじゃないですか!」


女の料理は控えめに言っても美味い部類に入るのだが、ここに潜伏してすぐの頃合いにヤモリの串焼きを出されたことがある。


単純にそのまま出されたのであれば拒否していた。


だが串焼きの盛り合わせに紛れ込ませ、ヤモリと分からぬように形を整え、特製ソースをかけられると正体には気付けなかった。


気付いたのは二回目のお替りの時だ。


一本の串焼きを咀嚼して飲み込んだが、口の中に残る物体がある。なんだろうと口元からつまんでみると、食材の正体の小さな手であった。


ヴィクターの様子に気付いた女は悪びれもせずこう言った。


「あら気付いちゃいました?でもおいしかったでしょ?」


ヤモリの黒焼き。効果云々は別として、惚れ薬の材料として世間一般に広く知られている。




その後も彼の知識にない食材が使われた料理が出てくるたび女に問いただすのだが、理路整然と名称や効能を説明されると渋々ながらも腹に収めていった。


見た目は普通。食材は得体の知れないものを出され、ヴィクターは彼女に塩対応に徹する。


「うまい……うまいンだが……」


ヴィクターは内容物を確かめるように口へ運んでいくのだが、事情を知らぬものが見れば、それは熱心に味わって食事している光景に見えたのだった。






この魔熊戦の公式記録には、死者0、重傷者1、軽傷者多数と記され、取ってつけたように行方不明者1と追加されている。







明日も8時に更新ですよ。


お読みいただきありがとうございました。


一言、評価、お待ちしております。



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