利害の一致
今回は三人称にてお届けします
ここに来た時と同じ状況で相手と対峙する。
違うのは剣を交える相手。そして手元の得物だ。
開始の合図はなされたが動きはない。
既に互いに刀を抜き、切っ先は触れ合いそうでいながら接触していないのは、微妙な間合いを計っているからだ。
緊張が高まる。
周囲の者たちは固唾をのみ、いつもなら庭木で囀る小鳥たちも羽音一つ立てない。
動きが止まり、そしてどちらが動いたかは定かでない。
だが、微かではあるが“確かに”刀の切っ先が“チ”と鳴った。
張りつめていた気が弾け、鍔迫り合いが始まると同時に“ぶわり”と周囲の湿度が上昇する。
片や刀身の表面を循環してゆく水刃。
片や刀身の表面を薄く覆う水刃。
そしてどちらが仕掛けたのか分からぬが、弾けるように間合いが空き、すぐさま詰められる。
“バンバンバン”
立て続けに三合。
金属音ではなく、水を叩くような音だ。
刀同士で打ち合う音では無い。水刃同士が切り結ぶ音だ。
仕切られた枠を最大限に使い、切り合いはさらに続く。
剣撃で水刃の領域から逃れた水は足元の地面を濡らし、今や地面は大きく黒く変色している。
するとヴィリュークの方から間合いを取った。
隙を窺うエルナルドであったが、何かに気付き空いた間合いを詰める───が、遅きに失した。
“とぷん”
水位が十五から二十センチ上がり、軽く飛び上がった二人は水面に足を降ろす。
接近するエルナルド目掛け、ヴィリュークは切っ先を水に浸し数度切り上げる。
“水弾”
一回の切り上げで水弾が二・三発。合計十数発の水弾がエルナルドの逃げ道を塞ぐように飛んでいく。
しかし彼もさる者。
確実に当たるものだけ切り払いながらも、その接近速度は落ちず態勢も崩れてもいない。
ヴィリュークはとにかく水弾で迎撃せんとばかりに、足元の水を相手へ切り上げる。
“隙あり”
とばかりにエルナルドは一足飛びで袈裟に斬りかかる。
誰しも“決まった”と思った刹那、ヴィリュークは踏みしめるように身体を低くすると─────
二人の間に水壁が立ちはだかる。
水壁は左右からエルナルドを巻き込むように広がっていく。
逆転か!?
しかし周囲の予想を裏切り、エルナルドはつま先を水壁に食い込ませると、一歩目で水壁の上に、二歩目でヴィリュークの頭上を越えていった。
勝負は振出しに戻った。
“はぁぁぁ”
周囲は溜め息を漏らした。
「魔力感知だけではないな」
「えっ!ではどうやって?」
「エルナルドめ、ヴィリュークの水の気配も読んでいますね」
「大先生、そんなことが出来るのですか!」
「実際やっています。私もやっていますが、最近は魔力感知に偏重してしまっているので、気配であそこまで動くには少し思い出さないといけないでしょう。うーん、なかなかに見事」
“わたしも鈍りましたね”と苦笑するイトゥサであったが、周囲は先代の称賛に驚愕する。
“敵わねぇ”って思ってしまった。
あいつと俺の操れる水術は似たり寄ったりだ。剣術の腕だって引けを取りゃしない。
けれど、あのエルフの洪水のような水のうねり───
エルナルドはあの圧倒的な規模の水術に対して、刀一本で渡り合っていやがる。
俺にあれが出来るのか?
実力伯仲と思っていたヤツが、実は遥か高みに居ただなんて……
確かに侮っていたかもしれないが、俺だって鍛錬をさぼっていたわけじゃねぇ。
だのに何処でこんなに差が付いちまったんだ……
それでも俺はあいつらの仕合から目を離せないでいた。
その後も攻防は続いているのだが、攻めるのは専らヴィリュークで、受けるのはエルナルドであった。
時折攻守が入れ替わるも、エルナルドの攻撃はヴィリュークに己の隙を指摘するような攻撃であった。
けして不用意な攻撃を繰り出した訳ではなく、残心が出来ていない訳でもない。その証拠にエルナルドの攻撃に彼はしっかりと対応している。
それはあたかも仕合ではなく、実戦形式でのオガティディ流剣術の稽古であった。
「とんでもない体力ですね」
ヴィリュークの剣筋にイトゥサが呟く。
「受けに回って消耗を抑えているとはいえ、エルナルドもここらで切り返さねば……」
ディーゴも父へ呟き返す。
もう何発目かも分からぬ水弾を放つヴィリューク。
剣では攻め切れぬと思ったのか、水術にシフトするのだが結果は変わらない。
エルナルドは避け切れないものだけ刀で撃ち落としていく。
“水蛇!”
ヴィリュークが自身の左右の水を切り上げると、二匹の水の蛇が鎌首を上げて踊りかかる。
しかし水の蛇はその大きさが故に動きを見切られてしまう。
エルナルドは回避しながら水蛇の頭を切り落とすが、水蛇は切り口から頭を再生させ、飲み込まんとばかりに大口を開けて飛び掛かる。
ヴィリュークは足を止め必死に水蛇を操り、エルナルドは細かなステップを踏みながら水蛇を迎撃する。
“ざんざんざん”
エルナルドが片方の水蛇を数回輪切りにすると、それは形を維持できなくなったのか音をたてて足元の水に落下する。
たて続けに刀を振るったせいで、遂に足が止まってしまうエルナルド。
そして、ここぞとばかりに背後から水蛇が一息に飲み込まんと飛び掛かる。飲み込まれてしまえば、水で拘束したヴィリュークの勝ちだ。
しかしそんな心配は無用とばかりに、エルナルドは横へ軽くワンステップしつつ背を向けながら回転。
その勢いのまま横薙ぎすると、水蛇は飛び掛かった勢いで顎を上下二枚の開きにされた。
“ざあぁぁぁ……”
「ふぅ」
「ぜいぜいぜい……」
息の仕方も対極的な二人。一息ついたのはエルナルドで、繰り返し息を整えているのはヴィリュークだ。
“すうぅぅ……ん゛っ”
ヴィリュークは大きく一つ息を吸い、止めた。
まだ終わりでなかった。
エルナルドの周囲からは、包み込まんと水が勢いよく吹き上がる。
その速度はここ一番だ。
撃ち落とされた水弾も、輪切りにされた水蛇も、二枚におろされた水蛇も、足元の水に混じっていったが、ヴィリュークの支配下に置かれたままだったのだ。
馬鹿げた魔力量の彼だから出来る。そして染め上げるタイムラグが無ければ、水のドームへ相手を封じ込めるのも最速で出来よう。
“今度こそ!“
ヴィリュークは水越しにエルナルドの姿を見ながら、完成したドームの内部を水で満たしていく。
息を止めて、ドームに封じ、水を満たす。
ここまで数瞬。
決して遅くない。
相手に何もさせやしない、最速の水の檻。
誰しも決まった!と思った瞬間、檻は斜めに切れ目がつくと崩壊。
中からは崩壊した水でずぶ濡れになったエルナルドが、刀片手に跳躍。
得物を手に大きく振りかぶった狙いは勿論ヴィリューク。
“ざぱぁ~”
鍛錬場を覆っていた水が制御を離れ、勢いよく外周の排水溝へ流れ出る。
観客たちも水術が使えるのだから水避けをすればよいものの、結末から目を離せずに服の裾が濡れるがままになっている。
そこには全身から水を滴らせ刀を振り下すエルナルドと、金色の粒子を放出し刀で受け止めるヴィリュークの姿があった。
鍔迫り合いをしながら呟く声が聞こえるが何を言っているかは分からない。
“剛力招来”
呟きが止まると同時にヴィリュークは放出していた粒子を身に纏う。
“ん゛ん゛ん゛!!!”
ヴィリュークが鍔迫り合いで相手を無理矢理弾き飛ばすと、力を失ったかのように纏っていた粒子も霧散していった。
「参った」
「「「おおおお!!!」」」
歓声が上がり、相手を大きく弾き飛ばしたほうが尻もちをついて、仕合の決着がついた。
上昇していた湿度が元に戻る。
水たまりの水は排水溝へ。濡れた服の裾から絞られた水気の行先も一緒だ。
エルナルドは髪の水気を手で絞り落とし、水術で衣服を乾燥させると、抜きだした水をまとめて排水溝へ放り投げる。
「ふう」
乾いた服をつまんでパタパタと空気を送り一息ついた。
興奮と熱気は未だ冷めやらず、門弟たちは今の仕合について話が止まらない。
「あのエルフ、なかなか筋がいいじゃないか?」
「いや、剣の立ち回りとしては変なくせがないか?」
「そうか?入門して日が浅いにしては十分だろう」
と、剣について話している者がいれば───
「あの圧倒的水術、よく気絶しなかったな」
「くそっ、あんな水術一辺倒、認められん!」
「それよりも師範のあの一振りはなんだ?!」
と、水術について話している者がいると、今度はエルナルドの最後の一閃に話題が移る。
「あれはどうやったんだ?」
「水術の檻だぞ。水弾や水蛇を切り払うのとは訳が違う!」
「水術の領域を奪ったのでは?」
「馬鹿な。あの量の水の檻に閉じ込められて、どれだけの領域を奪えば脱出できるのだ」
「その通りだ。あのエルフだって相当力を込めていたはずだ」
門弟たちの会話が聞こえてくる。
結果は予想以上のものであった。
実際目の当たりにしてみると、先代から一本取ったというヴィリュークの水術には目を見張るものが有るし、それよりもエルナルドの剣の冴えは大会で優勝した時以上のものであった。
ディーゴは悩んでしまう。
結果だけを見ればヴィリュークに目録を与えればよい。しかしここで簡単に与えてしまっても良いものであろうか。
そもそもディーゴが目をかけていたのはエルナルドである。熟練の免許の免状持ちで、今回の大会でも優勝をしたエルナルド。彼ならば娘のコロンを任せても良いと思っていた。
優勝を契機に、両親たちは二人の関係を進めようとした矢先、まさか母アザミからの新たな候補者の推薦。
決定権は自分にあるが、母の発言は無視できぬほど重い。
「ディーゴ」
「はい」
「エルナルドの最後の一閃を見ましたね。あとは自分を信じなさい。当主はお前です」
その言葉に、ディーゴの瞳に決意が現れるのを見てイトゥサはさらに促した。
「場所を改めますか?」
「この場で伝えましょう」
そう言ってディーゴは一歩踏み出した。
「静かに!」
場は水を打ったように静まる。
「二人とも見事であった。この仕合、我が水鳥流剣術の名に恥じない、いや、名に相応しい立ち回りであった。片や入門間もない身でありながら一歩も引かないその姿。片や圧倒的水術を前に冷静かつ鋭い剣捌き。このまま驕ることなく精進すれば、秘伝の会得も叶うであろう」
「「「おぉう」」」
当主の手放しの賛辞に門弟たちからはどよめきが走る。
「エルナルド」
「はい」
そもそもヴィリュークの実力を測るための仕合である。皆、エルナルドから寸評が行われるとばかり思っていた。
「正式なものは後日となるが、“印可”を与える」
当主ディーゴからの言葉に、当の本人も含め場は緊張した空気に包まれるが、それは決して重たいものではなく、むしろ高揚したものだ。
「道場での実績、大会での結果を鑑み、さらには先程の術に対抗する技、印可を得るに十分と判断した次第である」
実の所ディーゴに伝授の決断させたのは、試合の最後でヴィリュークの水から脱出した一振りであった。印可伝授の暁には、その一振りを元にした秘伝が授けられるのだが、それはまだ先の話。
「さて、ヴィリューク」
「はい」
「目録を伝授する。エルナルドと十二分にわたり合えた実力、誰も不十分とは言うまい」
「───いえ、足りていないでしょう」
誰の声だ?
間髪入れぬ異議に、場は先程の高揚から一気に凍り付いた。同席していた門弟たちは誰しも、あの仕合は一線を画すものと肌身に感じ、自身では到底及ばないと理解してしまっていたにもかかわらず、この中に反対した者がいる。
「足りておりません」
再度否定の言葉が発せられると、その声が誰のものか明らかになった。
「何が足りていないと?ヴィリューク」
否定の声を上げたのは、伝授を受ける当の本人であった。
「現状、自分は水鳥流剣術の基礎を習ったに過ぎません。身に付けたとは言えないのです」
「免許持ちのエルナルドと十分立ち合えたではないか。資格は十分ある」
ヴィリュークとディーゴの視線が絡む。
「止めてください。分かってらっしゃるのでしょう?……私が基礎をなぞっているだけに過ぎないと」
つまり彼はこう言いたいのだ。“身体能力で水鳥流の剣を振るっている。真の意味で身に付けたとは言えない”と。
「基礎をようやっと覚えた者に目録は過大評価です。太刀打ち出来たとおっしゃられますが、ここは水鳥流“剣術”道場でしょう?水術も必要でしょうが、私の剣は目録の水準に達しておりません。いずれ再びこの場に戻って参りますので、今回はどうか───」
しかしヴィリュークの弁明に返答はない。
「それに」
まだあるのか、とディーゴの頬が軽くひきつく。
「咄嗟とは言え、身体強化を使って失敗した未熟者ですので」
彼の自己申告に初めて、“そういえば”と気付く周囲。
水鳥流剣士ならば、剣術・水術と二つ同時に使えるのは当たり前である。決して身体強化を使ってはならない訳ではない。だが、剣を取りながら水術を行使し、常時身体強化を維持させるには熟練を要するのだ。
身体強化を修めている者も多数いるが、実際行使するのは水術であり、そこに身体強化も加わるとなるといずれかに偏り、立ち合いも覚束なくなるのであまり推奨はされていない。
改めていうが同時発動は禁止されておらず、名だたる剣士は全て三種同時発動できる者ばかりだ。
それに憧れ、稽古する者は多数いるし、咎められはしないが、仕合で試し失敗して負けることは恥ずかしい事なのだ。
だが待って欲しい。
ヴィリュークは、詭弁を弄し、誤魔化し、言い訳をしているに過ぎない。
あの場面で水術と身体強化を同時に行使する必要はない。それどころか、瞬時に切換えられたからこそエルナルドの一撃を受け止められたのだ。
そもそも破られた水の檻に対して、維持もひったくれもない。それを剣術・水術・身体強化の同時行使が出来なかったと話をすり替えている。
当然それに気付かぬディーゴではない、が───
「自身に厳しい事はいい事だが……此度は切紙を与えるが、目録までそう時間もかかるまい。更なる、鍛錬を、期待するっ」
思いかけず自身の意図に沿う結果になったのだ。ヴィリュークという将来有望な剣士を迎え入れられたのは僥倖であったが、娘婿にするとなると昔から知っているエルナルドの方が一日の長がある。
ましてや皆伝内定ともなれば、いくら母であっても覆すことは出来やしない。
「ありがとうございます」
「「「おおお!」」」
門下生たちの歓声を背に、ディーゴは肩の荷が下りたとばかりに息を一つ吐いた。
お読みいただきありがとうございました。
「免許」の次は「皆伝」ではなく「印可」でした(*ノωノ)
2019/07/24修正済