攫われたポーチ
アザミさんと店番の女性との値切り交渉がやっと終わったと思いきや、最後の足掻きとばかりに店の女性は有料配達を勧めてきた。
しかしアザミさんも強かで、俺に向かってニッコリと。
俺はため息交じりに小樽を抱え上げる。
うぅ、生臭い。
これでまた好奇の視線にさらされるのか。近くにいた子供なんかは、先程から目を真ん丸にして俺の事を上から下まで何度も視線を移動させている。
ようやっと区切りがついて帰ろうかと胸をなでおろしたのも束の間、事態は急変。店の女性が産気づいてしまったのだ。
市場は人波でごった返している。迅速な搬送は難しいと容易に推察される。
出産は病気や怪我ではないが、緊急事態であることに変わりはない。エルフ以外をじゅうたんに乗せるには十分な理由だ。
空いている手でポーチの魔力錠を開けて叩く。それを合図に巻かれたじゅうたんが飛び出すと、空中で広がって地面から数センチの高さで静止した。
素早く収納魔法陣を広げ、小樽を落とし込みつつ毛布を取り出す。
「産婆はどこだ」
俺の言葉に、泡食っていたその場の者達がこちらを注視する。特に突然現れたじゅうたんに驚きを隠せないばかりか固まってしまっていたが、いち早く我に返ったのは俺をガン見していた子供だった。
「お、おれ!案内できる!」
「よし、じゅうたんの前に乗って案内してくれ」
次に毛布を広げると、うずくまっている彼女を毛布で包み、抱きかかえるとじゅうたんに横たえた。
「では、ちょっと行ってくる。二人とも先に帰っていてくれ」
「分かりました。けれども彼女の旦那さんにも伝えねばなりませんから、それを済ませてからですね」
いいところの大奥様の筈なのに、彼女の気配りは安心して頼れる。
そしてコロンさんの見送りの言葉を背に、じゅうたんをするりと飛翔させた。
「なんだありゃ?」
「じゅうたんが飛んでる!」
「ヒトが乗ってるぞ!」
五メートルほどの高さで、混雑している市場の上を飛んでいると、あちこちから驚きの声が上がる。
もっと高度を上げても良いのだが、道案内をさせる為にもあまり高くは飛ばせない。
「あっ、いまのとこ右!」
緊張しているのか、指示しそこなった子供から声が上がる。だがそれを叱責などはせず、身体に負荷がかからない様に旋回し、正しい道を辿っていく。
旋回途中で目に入るのは、物珍し気に見つめる視線の束。過去何度か体験した状況だが、一々気にしていられない。
「速い!もう見えて来た!あそこの家だよ!」
子供の指示に、俺は産婆の家の前にじゅうたんを降下させた。
「ひうっ」
じゅうたんを着陸させるのと、家の扉が開いたのはほぼ同時だった。
「なんだい、なにごとだい!?」
戸を開けた老婆が奇声を上げ、かみついてくるのも仕方ないだろう。
「妊婦を連れて来た。店先で産気づいてしまったんだ」
その一言で老婆は背筋を伸ばし、じゅうたんに横たわっている妊婦の顔を確かめた。
「あんたかい。臨月なんだから店に立つなって言っただろうに」
「……そう言ったって、稼がにゃガキどももこの子も食わせられないだろ」
「馬鹿だねぇ、そのときゃ旦那の尻ぃ蹴とばして働かせるんだよ。あんた、ぼやっとしてないで中に運んどくれ」
何とも理不尽な物言いだが、ここは堪えよう。
彼女を抱きかかえ、じゅうたんを蹴とばして丸めて腰のポーチを向けると、屹立して勝手に中に納まった。うん、便利だ。集まりつつあるヒトの視線なぞ気にしていられない。
「どこへ運んだらいい?」
脂汗を流している妊婦を抱き上げ、産婆に続いて扉をくぐった。
指示されるが儘に、彼女を寝台に横たえるやいなや、すぐさま産婆に追い立てられてしまう。
なんとも理不尽な。
などと思いながら産院を出ると、俺の目の前に待ち構えていたのは野次馬の群衆だった。
「おおぉぉ」
「出て来たぞ」
「じゅうたんが飛ぶって本当か?」
「じゅうたんが飛ぶわけないだろ!」
「じゅうたん乗せてぇぇ」
群衆の声に、俺は慌ててポーチの魔力鍵をかけ直す。危ない。さっき仕舞う時、かける余裕はなかったからな。
「通してくれ!」
周りはしっかりと囲まれているので、否が応でも突っ切るしかない。じゅうたんを出そうものなら大混乱になるだろう。
群衆の隙間に押し入ると、一応彼らも身体の角度を変えて通してくれようとはする。しかし人が多すぎて思うように進めず、どさくさに紛れて服を引っ張る者もいる。
懐に金目の物は入れていないから、スられる心配はないが、思うように進めず不快が募ってしかたない。
「キャー、エッチー!」
「痛い痛い」
「どこを弄っている!?」
「尻を触るな!」
「押すなー!」
まさに阿鼻叫喚なのだが、先程の子供と俺の目の前のヒトが連なって外に向けて進んでいくので、これ幸いと隙間を空けずに追従していく。
揉みくちゃにされながらも、あともう少しで群衆から逃れられる所まできて異変は起こった。
腰回りが軽くなるのと同時に、前の二人の足並みが早まったのだ。
まさか!と腰に手を当てるが、そこにあるはずのポーチが無い。心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じながら、慌てて辺りを見渡す。
ポーチのベルトの防刃性は折紙付きだ。ベルトのバックルは腹側にあり、俺の正面にいたのは人混みを先導していた二人……
「と、通してくれ!!」
先を進む二人は振り返りもしないので、その後頭部を必死に追いかける。
人混みを脱出した子供の手にあるのは、紛れもなく俺の付与ポーチ。くそっ。その人相をしっかり頭に焼き付ける。
だが子供は、前を走る男にポーチを手渡す。ほぅ、逃げ足はそいつの方が優れているのか?じゃあお前の顔も……う?こいつの顔は……なんだ?せめて服を……って、これという特徴がない!
俺の困惑なぞお構いなしに、二人は十字路を左右に散った。
何はさておき、ポーチを追わねば。
ポーチを持った中年普人が曲がった角に立つが、人通りはあるもののそれらしき人物が見当たらない。
走っている姿があれば目立つのだが、それすらも無いとはどうしたことだ。
立ち止まってもいられず歩み始めるが、小さな路地すらないのだからこの先にいるのは間違いない。
途中の家の中に逃げ込む可能性もタイミング的に難しいし、そうであれば少なくとも戸を閉める姿は目に入る。
こんな時こそエステル頼みだ。
例の砂嵐での遭難時、俺の捜索が困難だったのを受けて、後日エステルが追加でポーチにマーカー付与をしたのだ。
腕を伸ばして手のひらを外に向ける。
本来は改造を施されたマーカー用の指輪を使用するが(そのマーカーも街用でありポーチにつけるシロモノではない)、今の俺には必要ない。いや、肝心の指輪はポーチの中なのだが……
……遠くは無い。左右の家屋内でもなさそうだ。
段々近くなっていく。
え?追い抜いた?
衣擦れがするほどの勢いで振り返ると、ぎょっとした中年の男が目を見開き、上着の内側にはまごうことなき俺のポーチが顔を覗かしている。
「お前かっ!」
存在感が薄すぎる。
手を伸ばすが相手の方が速かった。
身体強化をかけて追いかけるが、人混みで小回りが利かず逆に足枷になるので、すぐさま発動を止める羽目になる。
それでも四苦八苦しながら追跡していくと、物陰や見分けのつきにくい小路に入られたりし、普通にしていれば確実に撒かれているのだろうが、このマーカー頼りの追跡のお陰で何度も再発見に至っている。
しかし追跡の舞台が、下町から繁華街さらにはスラムに移ると、マーカーの方向が確認できてもそれを運んでいる人物の発見が難しくなってきている。
いや、あの無個性の男を、俺は認識出来てはいない。目には映っているのだろうが、確信が持てないのだ。
敵もさるもの、追いすがる俺を視界の端に捕らえているはずなのに、絶対視線をこちらに向けないし、迂闊に速度を上げて逃げたりもしない。
対象を視認できない状態で、俺は感じ取ったマーカーをひたすら追いかけているのだ。
ポーチと相手が見つからない俺も苦しいが、俺の追跡を振り切れない相手も苦しいはず。
どこか追い詰められればよいのだが、土地勘は相手の方が上である以上それを望むべくもない。
結構な時間を費やした。
日は傾き始め、もはや自分がどこを彷徨っているかも分からない。しまいには追いかけていた得体のしれない男どころか人の姿すらない。
顔の印象が薄く、身に付けている衣服もありきたり。意識して特徴を失くしているのだろう。付き従っていた子供の方の特徴に頭がいってしまい、思い出そうとすればするほど男の顔つきが分からなくなる。
しかしポーチのマーカーを、まだ感じることは出来る。
現在、そのマーカー頼りにスラムの路地をうろついている。指し示す方向は壁の向こうで、そちらに向かいたのだが、いかんせんそちらへ向かう道がなく彷徨っているのだ。
道を聞こうにも人っ子一人おらず、この手のスラムならば道端で無気力に座り込んでいる者がいそうなものだが、それすらも見当たらない。
たまたまなのか、それとも避けられている理由があるのか、いずれにせよ足を動かすしかない。
“バタン”
何かが閉じる音がした。
そして瓦礫の山の陰から人影がひとつ出てくる。瓦礫の向こうに扉があるのだろう。
出てきた男は俺の顔を見るが、興味なさげにプイっとそっぽを向くと俺とは反対側へ歩いていく。
「ジジイ、置いてくなって」
もう一人いたのか。
何の気なしに眺めていたが、そのもう一人の正体が分かった瞬間、全身に魔力が駆け巡った。
“疾駆招来”
出てきたスリの子供の胸ぐらを掴むと地面に叩きつける。だが頭を地面にぶつけないよう気を付けた投げ方だ。
怪我をさせるつもりはないが、かと言って背中から地面に落としたので、呼吸困難をおこしている。ポーチを盗った報いだ。
次はジジイと呼ばれた男だ。子供の人相からの紐付けで、奴が目当ての男と確信したのだ。子供が一緒に出てこなかったら、きっと見逃していただろう。
当の本人はそれなりに遠くを逃走中だが、疾駆招来の前では十分手の届く距離である。
前傾姿勢になり、足の指でしっかり地面を掴んで蹴り出すとあっという間に追い越し、軽く首をねじって男を確認、突くように背後に蹴りを放つ。
咄嗟に反応できなかった男はもろに腹に蹴りを食らい、今来た道を転がりながら戻っていった。
「俺のポーチをどこへやった?」
男の胸ぐらをつかみ壁に押し付けながら尋問を始める。
「知らねえ、何のことだ?」
「今更シラを切っても無駄だ。その顔で赤の他人と主張するもりなんだろうが、そこの小僧とセットな時点で誤魔化しはきかん」
「ジジイを離せっ!」
もう回復したのか。歯向かうならば、殴りかかって来る小僧の顔に向かって、拳大の水球を作ってぶつけてやる。
「ぶふっ」
また邪魔されるのも面倒なので、水柱を作り出して中に入れてしまえば、赤子の手をひねるが如く拘束できる。
「なんだこれ!?ちくしょー、だしやがれ!」
ああ、うるさい。口まで水位を上げて喋られなくする。暴れなければ鼻呼吸出来るから、溺れはしない。
はじめは口元から泡を吹いていた小僧だったが、鼻呼吸が出来ると気付くとそれも大人しくなる。いや、口呼吸が出来ないことが不安なのか、鼻息が荒い。
「ぐ、ぐぐ……」
おっと、今度は男への力が入り過ぎてしまった。
手を放すと呻き声から荒い呼吸音に変わるので、ついでとばかりに男も水柱で拘束する。
「獲物の懐にまんまと入り込めて、胸の内でほくそ笑んでいたのか?俺もまさか興味津々の目つきの子供がスリとは思わなかったよ。……俺のポーチをどこへやった?あの中身がエルフにとってどれだけ大事か……正直に吐け。今ならまだ手荒なことはしない」
「けっ、地面に叩きつけといて何言ってやがる」
喋れるように水位を下げると、途端にガキが罵り始めるので三秒ほど頭まで水浸しにして元に戻す。
「自分がしでかした事、自分の立場が分かっていないようだな」
水位を口元まで上げて黙らせ、相手を替える。
子供→小僧→ガキと、ぞんざいな扱いをしている間も、男は静かに佇んでいた。
男を目の前にし、その人相を確かめるが、特徴が無いのが特徴と言える顔つきだった。
丸と四角の間くらいの輪郭。長くも短くもない髪。大きくも小さくもない瞳。高くも低くもない鼻。薄くも厚くもない唇。
中肉中背。身体的特徴を上げようにも、これぞというものが無い。
「不気味なまでに特徴に欠けるな」
投げナイフを手に取り、刃を耳の上に乗せる。
「片耳でも削げば特徴が出来ていいか」
男は俺と目を合わせようとはせず、一言も発しない。
「それとも二つか三つに切り裂くのも珍しいな」
外耳に刃を立ててこするとチリチリと産毛が剃れ、刃についた産毛を一息に吹き飛ばすと刃先で耳珠(耳孔の入り口にある出っ張り)をこする。
剣呑な言葉を発しているが、男の血を一滴もこぼしてはいない。
だからなのか、男は何食わぬ顔。
ならばと俺は滅多に発しない殺気を全開でぶつけると、ようやっと男は視線を合わせて来た。
あぁ~小僧め……掌握している水柱の中に、領域を犯す温かい液体が拡がっていくのを感じる。鼻水をすする音が聞こえるとなると、呼吸もままならないだろうから、水位を下げてやる。
男はチラと小僧を見やり、ようやっと言葉を発した。
「俺の負けだ。そんなに脅さないでくれ。隣が今にも気絶しそうだ」
「ポーチの在り処が先だ」
「依頼主に渡し済だ」
こいつは実行犯に過ぎず、企んだ大本が別にいるのか。───膨れ上がる怒りを治めるべく、深呼吸を何度も繰り返す。
「そこへ───」
「分かっている。案内する」
男は身震いをし、小僧は涙目で歯を打ち鳴らしていた。
俺は水柱を解除し、代わりに両腕を水で作った大振りな枷で拘束し直す。
勿論小僧から出た液体は使用していないし、小僧の下半身はしっかりと水流で撹拌しておいたので綺麗になっていること受け合いだ。
ちびったのを隠ぺいしてやったのだから、礼くらい言って欲しいものだ。
お読みいただきありがとうございました。