Ep-01
大帝国アルカディア。今や世界を統治する巨大国家となった。
半世紀前までは、名もない小さな村であったのに、たった一人の少年によって瞬く間に英雄的国家と成った。
少年の名は、メルカ・オメガ。別の世界から召喚された人間であり、天に選ばれし勇者であった。片手には剣、片手には盾を持ち、傍らには美女剣士、魔獣召喚士、妖精、悪魔といった幅広い面子が並び、悪の権化であった魔王を倒し、見事世界を平和に導いた。
村にお世話になった勇者はその近辺に城を建て、同時に村の発展もはかった。見事村は一つの国家となり、それはすぐさま大帝国となる。
魔王討伐の件や、国興しの件も、全ては勇者メルカの才能のおかげであった。
彼には、いわゆる「チート」と呼ばれる、森羅万象を超越する力を有していた。
『思念読帯』と呼ばれる力である。あらゆるものの思念を読み取り、そこに潜在する秘めた力を自分に写す。この世の全てを我が物に出来る彼の力は、強大かつ危険であったが、彼の人間性はそれらをはるかに凌駕し、自律性と同時に世界平和を手に入れた。
帝国暦八九年。恒久的に不老不死の力を手にした勇者メルカは、今日もまた帝国の城の中で、美女と戯れ、剣士と口げんかをし、危機に陥る人々を助ける、そんな慌ただしい日々を送っていた。
***
アルカディア城正門前で、門番をする二人の騎士は、連日の出勤のせいかあくびが絶えなかった。
垂れ下がった目を持つ門番騎士サズタは、大きなあくびをすると、もう一人の門番騎士であり、右目に眼帯を付けているエレッソに声を掛けた。
「エレッソ、そういえば明日、お前の娘が学院に出るそうだな」
それを聞いたエレッソは少し照れ笑いを見せた。
「ああ、そうなんだ。うちの娘ももう六歳だよ。早いもんだな」
「いいねぇ。俺も早く、嫁さん見つけないと」
「おや? 噂によれば、毎晩きれいな女と宿に入ってるって聞いたが?」
「げ! 誰から聞いたそれ!?」
サズタの動揺に、エレッソは笑いを隠せなかった。
「やっぱりそうなのか! はは、お前ももう三〇過ぎてるんだし、本腰入れないとまずいんじゃないか? ましてや城の騎士なんだから、女房がいないと体裁が悪いぜ?」
「っけ。これだから騎士の固いかたーい騎士道精神は嫌いなんだ」
「門番騎士がいったらお終いだよ」
二人は門番騎士という役割を、この時は忘れていた。少しでも疲れを流そうとしたつもりだった。
しかし、しばらくして一人の来訪者がやってきた。
門番騎士の二人は談笑をやめ、歩み寄るその男をじっと凝視した。あと数メートルでも近づけば声を掛けようとしていた。
男は背が高く、そして見慣れない服装をしていた。城下町やその近辺を歩く住人の着る服装ではなかった。黒いコートを羽織り、すらっとした格好でいる。鎧や武具といったものを何一つ付けてはいない。騎士でもなければ、ここらの住人でもない。二人はすぐに悟ったが、しかし相手の正体がつかめずにいた。
「何者だ!」
サズタが手に持っていた長槍を、門をふさぐように構えた。
「どこのものだ!」
エレッソもそれに続けた。
男は足を止め、ゆっくりと口を開いた。
「メルカ・オメガ国王と、ぜひ謁見をお願いしたい」
それを聞き、サズタはすぐに応えた。
「まず貴様の名を名乗れ! 話はそれからだ!」
「キテモ・マイといいます。隣国メゾットから歩いて来ました。話も事前に通してはいません。突然のこと、誠に勝手ではございますが、ぜひとも王に会わせていただきたい」
「無理な話だ。メルカ国王は多忙である。それに、話も通さずに会おうなどと無礼千万。隣国から来たものとなると、なおさらだ」
サズタが言うと、キテモと名乗る男は頭を下げた。
「どうかお願いします!」
その様子を見て、エレッソが口を開く。
「今日はダメだ。話が通っていないならな。……だが、貴様のことはお伝えしておこう。王から許可がおりたら、また来なさい」
「……ありがとうございます」
男は頭を上げ、また頭を下げた。
そうして、男はその場から立ち去っていった。
その背中を、サズタはじっと見ていた。
「見たこともない服だったな」
「隣国のファッションなんだよきっと」
エレッソが言うと、サズタは「軽装すぎやしないか」とすぐに応えた。
「貧民ならば無理もないさ」
「……そうだな」
突然の来訪者への対処に、少し疲労が生じた二人だった。
***
アルカディアの城下町は商業の街でもある。
いろんな国から輸入されてきた商品を扱いお店が多々あり、また同じ商品であっても値段の高い安いに差がある。市場ではオークションも開かれたり、時には無料で商品を配るセールもある。
なかでも観光名所としても人気なのが、およそ三キロも続く出店の道である。並木通りのように、横にはいろんなお店が連なり、静寂が訪れる隙は全くない。
食品を扱い出店のゾーンには、人が多い。立ち食いの出来る店が多いことが人気の理由の一つでもある。
世界各国のパンを扱うお店・ブレッドパークで生を営むマスカ・イードは、今年でもう七〇になる。それでも老いを見せない溌剌さと、陰りを見せない笑顔がある所以は、彼が毎日食べるパンに要因がある。珍しいパンを扱う彼だからこその特権なのだ。
今日もまた、客の人気は絶えなかった。列が出来るほどの人気店であるブレッドパークを、さすがに一人で切り盛りするのは厳しい。彼は五人のアルバイトを雇っているが、誰しもがもとは有名なレストランで働いていたシェフであった。味が落ちない理由もそこにある。
レジを務めるマスカのもとに、小柄で、赤毛をポニーテールにまとめた少女がやってきた。真っ白なコートを羽織っていた。あまり見覚えのない、いわば奇抜な格好であった。
「お嬢ちゃん、珍しい格好をしてるね? どこからきたんだい?」
「教えられないわ」
淡々と答える少女に、マスカは「そうかい、残念だなぁ」と笑って返した。
「このお店で一番美味しいパンを頂戴」
と注文する少女に、マスカは張り切って応えた。
数十秒の後に、煙を巻いた紙袋が少女に手渡された。少女がそれを握ると、中は熱かった。
「当店自慢のメルニカチーズパンだ。大自然に囲まれた国・メルニカでとれたチーズが、パンに染み込んでる。わしが世界に自慢できる代物だ」
「ありがとう。はい、これ」
少女は小さなの手のひらを広げ、そのパンを買うには余分な金額を示すコインを見せた。
「ありがとさん」
マスカはそれを手に取り、お釣り分のコインを少女に渡した。
大金を持っていることを、疑いはしなかった。ただ、忠告はしておこうと思った。
「お嬢ちゃん、気をつけなよ」
「うん、大丈夫」
少女は手に持ったパンを早速口に頬張り、その場を後にした。
赤毛の少女は人々が歩く方向とは逆を歩き、出店の通りを抜けた。近くの木陰に寄って、パンをゆっくりと味わった。
その近くを、黒いコートを羽織った男が通りかかった。
男は少女の姿を視認すると声を掛けた。
「おい、なにやってんだハヤギ」
男は少女のもとへ寄り、彼女が食べているパンを凝視した。
「うまそうだなぁ」
「だめ。あげない」
「とらねぇよ」
「食べそうな顔してた」
「してねぇよ!」
男は腕を組み、木にもたれかかって、周囲を見渡した。右方にある出店通りの出入口を見ながら言う。
「すごい人の数だな。……世界中の人間が集まってるんじゃないか?」
「…………」
少女はひたすらパンを口にしていた。
「見ろよ、あいつらの顔。幸せに満ち満ちてるな」
「……うん。皆、良い人」
「これはちと悪者にならなきゃいけないかもな。慈悲を捨てて」
「ヤヨイは悪者だよ」
「そんなストレートに言わんでもいいだろうが!」
「私も悪者だもん」
少女がそう言うと、男は口角を緩めた。
少女の頭に手を載せて、軽くぽんと叩く。
「なぁ、お願いがあるんだが」
「なに?」
「俺にも、そのパン食べさせて」
「イヤ」少女は即座に答えた。
「即答かよ!」
「買ってくればいいじゃない」
「買うつっても、こんなに人が並んでちゃ、何時間待てばいいのやら……」
「私は待った。三時間も」
「三時間!? お前よく我慢出来たな!」
「こいつのためなら……ぐふふ」
少女は食べかけのパンを目線に持って行き、みせつけるようにした。
男はそれを見て、「テメェ……」と悔しさが身体からにじみ出ていた。
「ま、どうせ暇だし、三時間ぐらいくれてやらあッ!」
男はずかずかと出店通りへと乗り込んだ。
ブレッドパークの行列の最後尾につくと、すぐにその後ろに人が並んだ。
その様子を知ってか、男はすぐに落胆する。この列の最先端が見えず、また自分の後ろも奥の奥まで続いていることを知り、道のりの長さを悟った。
***
列に並んでからもう二時間経つ。未だに店が見えずにいた。
立つことも疲れてきた男は、近くにあった出店の柱にもたれかかった。
「ちょっと兄ちゃん、そこ邪魔だよ!」
出店の主人が注意したので、男はすぐに謝罪し、退いた。
――ハヤギのやろう、よくもまぁ耐えたな……。
先の見えない現状にため息を吐いた男の耳に、歓声が入った。
「勇者様だ!」
「国王だぞ! メルカ国王だ!」
「王様! 王様!」
群衆はそれらを口にし、列の後方に目を向けていた。
男も目をやると、そこには金の鎧を身に纏った男と、その傍らに三人の美女が並んでいた。
「あれがメルカ・オメガか……」
男は目を細め、小さな声で確認するように呟いた。
道を開けろ! という誰かの叫びに従い、その場にいた全員が腰をかがめ、勇者一行に道を開けた。
勇者は照れながら、且つ頭を下げつつ、民衆の前を歩く。その横を三人の美女が並んで歩く。
男も民衆と同様に腰を低くして、その様子を見ていた。
勇者一行は、ブレッドパークの前に立つと、店主に注文を促した。
――勇者はフリーパスってか!? ふざけんじゃねーぞコルァ!
男は黙って勇者の様子を見ていたが、顔には勇者への不満が出ていた。
二時間も待ち続けていた店へと、難なく足を運ぶ勇者に対し、男はいらだちを覚えた。が、男はすぐに冷静になった。
――善意の権力ってわけだ……。
勇者一行が用事を済ませると、勇者は民衆にお辞儀をし、優雅にその場を去っていった。
祭りのあとと言わんばかりに、静けさのある空間が生まれたが、すぐに群集は湧き上がった。
また、列に並んでいなかった他の客が、勇者の買ったパンを食べたいと、列に加わっていった。
***
ようやく順番が回ってきた。男はポケットからコインを取り出し、店主に向かって言った。
「パンください」
「やあお兄さん。どのパンが食べたいんだい? うちにはいろんなパンがあるからね」
「えっと……」
と、ここで男は大事な事に気づいた。
少女が食べていたパンの名前を聞くことを忘れていたのだ。パンの見た目はわかっても、名前がわからなければ、注文が出来ない。
「あー、えっと、こう、ふんわりとした感じの……とろけそうな……あー、ええと……」
「ふんわりとしてとろけそうなパンかぁ……うまく絞れないなぁ。そこにメニュー表があるだろ? そこから選んでくれないか」
店主が指をさすと、そこには数多くのパンの写真と名前が示されていた。
男は少女の食べていたパンを見つけると、それを指した。
「これだよこれ。これください」
「あいよ」
男は四時間待って、ようやくパンを手にした。
***
出店通りを出て、さきほどの木陰によると、少女はじっと座っていた。
よくみると、寝ているようだった。
男は少女の隣に座ると、パンを一口頬張った。
少女の寝息が聞こえてくる。男は目をやり、慈しむように見た。
「……こんなに苦労させちまって、悪いな」
「大丈夫」と少女は口にした。
「起きてたのかよ!」
「今起きた。ヤヨイの体臭は、眠りを妨げる」
「マジかよ!」と、男は自分の脇をにおいはじめる。
「冗談」
「冗談か、良かった。安心したぜ……」
「パンの匂いがしたから、起きた」
「ああ、そうか。確かに、いい匂いがするよな、これ」
男は口にパンを運びながら言った。
「ヤヨイ」
少女は男の名を呼んだ。
「どうしたハヤギ」
男は少女の名を言った。
「この世界――力のバランスが崩れかけてる。もう時間がない。早めに対処しないと、あとになってからでは面倒」
「わかってるよ。でも慎重にいかねえと、“後の世界”が大変だ」
「口についてる」
ハヤギは、ヤヨイの口元に付着しているパンの欠片を手にとった。
「あ、わりぃな」ヤヨイが礼を言うと、
「うん」とハヤギは答えて、その欠片をぽいっと捨てた。
「……捨てるのね」
「うん。汚いから」
ヤヨイは肩を落とす。
パンをまた口に運ぶと、出店通りの出入口にいる人物に目を向けた。
「……あれ、あいつ」
ヤヨイの視界の中心にいた人物は、背中に布をかぶせた大きな何かを背負う男だった。緑の服をまとい、素足でいた。
ヤヨイが気にかけたのは、見た目からではない。
「ハヤギ、あの出入口の前に立ってる男……」
「……エナジーの流れが異常。なんらかの能力を持ってる……」
「だよな」
その男の身体から流れ出る妙な感覚に、違和感を覚えたからだ。
「この世界には、『チーター』は四人いたんだっけか」ヤヨイが問いかけると、
「うん。王様含めて四人いる」とハヤギが答える。
続けてハヤギが言う。
「あの男も、チーターと思われる」
「……様子見しとくか」
出店通りの出入口に佇む男は、辺りをきょろきょろと見ていた。
その挙動不審を、ヤヨイはパンを頬張りながら観察している。