恋のできない身体
「人が天から心を授かっているのは、人を愛するためである。」
― ボワロー
「聞いたよ」
夕日に照らされた放課後の教室。
帰り支度をしていると、不意に後ろから声をかけられる。
振り返ると、教室の入り口の扉にもたれている男が一人。
目が合うとにかっと笑い、もたれていた扉から体を起こし、すたすたと歩いてくると、許可もしてないのに目の前の席の椅子にどかっと座り私と向き合う。
「私は誰も好きにならない。だから、あなたとは付き合えない、だって?」
それは数分前、告白してきた同級生(名前は忘れたが)の男に言った断りの言葉。
それをなぜこの男が知ってるのか。
「断り文句としてはイマイチだな。そういうときは、私には既に心に決めた人がいるの!、とはっきり言うべきだよ」
「…そんな人いないわよ」
視線を合わせず帰り支度をしながら、冷たく言い放つと、
「いるじゃないか。目の前に」
目の前の男は自分を指差し笑う。
ふう、と私は諦めにも似たため息を吐くと、手を止めて、
「あなたもしつこいわね」
男に向き合う。
「理由は言ったはずよ」
そう、誰とも付き合わない本当の理由を。
この男も告白してきた男の一人。
はっきりと断ったはずなのに、それでもしつこくつきまとってくる男に嫌気がさして、本当の理由をぶちまけた。
さすがに、それで引くだろうと考えていた。
だが、それは甘かった。
本当の理由を話してからも、この男はしつこくつきまとってきている。
遠慮とか気遣いとか、そういうのに全く気にしない図々しい男。
それが目の前の男に対する私の評価だ。
こんな事なら、本当の理由を話さなければよかった、と思ってしまっても、それはもう後の祭り。
「子供が生めない身体なんて、そんなのオレは気にしない」
「あなたが気にしなくても、あたしが気にするのよ」
目を真っ直ぐ見て、はっきりと拒絶。
「どうして?」
それなのに、目の前のこの男は心底わからないといった風に首を傾げる。
むかつく男だ。
「男のあなたにはわからないわよ…この気持ち」
「養子とか代理出産とかいう手もあるよ」
いつの間にか笑みを消した男が真剣な瞳。
いつもヘラヘラと笑っている
「…そうね」
確かにそういう方法もある。
別にそれを否定するつもりはない。
でも、と私は窓に視線を向ける。
赤に染まった空が濃い藍色へと姿を変えようとしていた。
「あたしは自分で生みたいの」
「子供を生むのは大変だよ」
鼻からスイカが出てくるって言うし、と彼は笑う。
「子供って、そんなに欲しいものなの」
「ええ。男には永遠にわからないわね、きっとこの気持ちは…」
自分でお腹を痛めてでも生みたいと願う、自分と愛する人の血を引く愛しい子供。
それができない体だと聞かされたとき、私は泣いた。
一日中泣いたけど、それでも私の体は何も変わるわけが無く。
それがわかったとき私は泣くのを止めた。
そして、代わりに一つの決意をした。
子供ができないなら、誰も愛さない。
愛してしまったら、その人の子供を欲しがるから。
だから、私は誰も愛さない。
愚かな決意だと思う。
それでも、愛してしまってから後悔するよりはずっといい。
今も、これからも、私は誰も愛さない。
「待つよ。君がオレを好きになってくれるその日まで」
「そんな日はこないわよ」
「きっとくるよ」
「きっとこないわよ」
その自信はどこから来るのか。
でも、もしも。
もしも、そんな日が。
目の前のこの男を好きになる日が来たら、そのとき…私は、どうするんだろう?