依存
前話が短いとのコメントを受け、加筆修正をしました。
加筆分を読んでいなかった方は前話を読み直される事をお勧めします。
絨毯の上に崩れ落ちた朱炎の体がぶるぶると震え始め、引き攣った声が血の気の失せた唇から零れた。
「透夜様が次代の王になられたら、そうしたら、陛下はどうなさるのですか? 何処ぞへと旅立たれるのですか?
我々を捨てて? 嫌です、そんなの!!」
「朱炎、落ち着け!」
「嫌です、嫌です! 他の何が無くなっても良い、だけど陛下だけはいなくならないで!!」
――――見捨てないで、置いていかないで。
魂の奥底から響いてくる嘆願を聞いて、魔王の表情が泣きそうに歪む。
普段は明るく陽気な魔族達。幾度もの迫害を乗り越えて来た魔族達は、自分達の弱さを隠して微笑む術を知っている。
そんな彼らが脆くなるのは、ただ一つ――……魔王に関する事だけだ。
魔族を守る最大の盾にして最強の剣である魔王だが、その一方で魔族達の唯一にして最大の弱点にもなりえる。
朱炎だけに限られた事ではない。この反応は魔族全体に共通するものでもあった。
「あたくし達は、陛下さえいてくだされば他の何も望みません。だから陛下、どうか、どうか」
「朱炎、朱炎。泣かないでおくれよ、オレの愛しい娘。さっき言ったのは今の所仮定の話に過ぎないんだ……だから、泣くな」
さり気なく放たれていた人の国王の言葉の矢は、間違いなく朱炎の心の脆い所を打ち抜いていた。
それをひた隠して、平然として条約を結んだのは偏に朱炎の矜持の高さ故だろう。
魔族として、魔王に使える官吏として、心許せぬ相手の居城で弱さを見せる事を彼女の自尊心は良しとしなかった。
「矢は矢でも、毒が塗られていたと言う事か。……やってくれるな、人の王」
魔王の眉間の間の皺が深くなる。
人の国王の言葉。
朱炎自身が疑問に思っていた魔王の言動。
そして『透夜』という今までにいなかった不確定要素の出現。
射抜かれた箇所から言葉の毒はじわじわと広がって、朱炎を苛んでいて――先の一言で亀裂が走った。
暫くの間、執務室内には朱炎がすすり泣く音のみが響いていた。
* * * *
「――――ごめんなさい、陛下。お見苦しい所をお見せ致しましたわ……。本当にみっともない」
「なに、娘に縋り付かれて悪い思いをする親はいないよ。少なくともオレはそうだね」
じっとしながら魔王に抱きしめられていた朱炎だったが、ややあって小さな呟きを零した。
その言葉に、優しい手つきで朱炎の背を撫でながら、魔王が柔く苦笑する。
胸元に寄せられた朱色の頭が小刻みに震えて、笑っていた。
「陛下に取っては、あたくしは今でも陛下の娘なのですね」
「そりゃなぁ、赤ん坊の時から知ってるんだ。お前が子供の頃は一緒に飯事だってやったしな」
「まあ、恥ずかしい」
くすくすと笑いながら、朱炎が魔王の胸元に置いていた手を床へと垂らす。
額だけをくっ付けた状態で、朱炎は大きく息を吐いた。
「陛下」
「ん。なんだい?」
「正直、あたくしは陛下が何をなさろうとしているのかは分かりませんわ。おまけに先程喚いた言葉は全て真実です」
「そう、か」
置いていかないで、見捨てないで、どこにも行かないで――ずっと側に居て欲しい。
泣き叫んで、喚いて、身も蓋も無く告げられた言葉の数々。
冷静になってみれば、なんて恥ずかしい事をしてしまったのだろうと朱炎は唇を噛む。
朱炎だけではない。もしも朱炎と同じ結論に至ったのであれば、魔族の誰もが同じ行動をとってしまうと確信出来る。
――――それだけ魔族達は、魔王と言う存在に依存している。
「陛下が、あたくし達の前からいなくなると考えただけで……本音を言わせて頂くのなら、死にたくなるほど怖くなります」
「…………朱炎」
「――陛下」
強い意思の輝きを宿した声音が、凛と魔王の耳を打つ。
「人の王の言葉を素直に聞き届けるのは腹立たしいのですが、いつまでもおんぶにだっこな状態では、いくら陛下と言えど潰れてしまいますわね」
「朱炎、お前……」
琥珀の瞳が眼下の形の良い朱色の旋毛を見下ろす。
ほんの微かに、普段は泰然として揺らぐ事のない魔王の双眸が、揺れた。
「みっともない姿を晒すのも陛下に泣き言を言うのもこれで最後です。ですが……これだけはお心にお留めくださいませ」
泣き腫らして赤くなった目元。
固く握りしめられた両手。
噛み締められた赤い唇。
血の気の引いた肌。
涙が伝った頬。
――普段の姿が嘘の様に、あまりにも弱々しすぎる姿を朱炎は晒していた。
「陛下……残念ながらこれが魔族の現状ですわ。陛下の御側近くで筆頭文官としての任を受けたあたくしでさえこうなのですもの。
他の魔族達が同じ事をお聞きしたら、最低でも暴動が起こります」
とつとつ、と下を向いたまま朱炎は言葉を続ける。
「……随分と物騒な予想だな」
「それだけ、陛下の存在が我々には大きすぎるのです。人の王の言葉を聞いて……今までの我々について考え直してみて、実際に陛下がいなくなるという事を想像して……結論しました」
信憑性のある未来予想として想像しただけであの様だ、と朱炎は唇を噛む。
依存と罵られるだけ、度の過ぎた執着と敬遠されるだけある、とも。
「今までなら、それでも良かった……ですが、陛下。陛下はこれから『何か』をなそうとなさっているのでしょう?
それなのに、陛下の臣であるあたくしどもがこのままでは……」
「ああ……わかってる、つもりだ」
朱炎の背中に回された両腕に込められていた力が増す。
幼いながらも造作の整った魔王の顔が、哀しそうに曇った。
自覚系ヤンデレ(?)の朱炎。彼女は直そうとしている分だけマシ。
泣いたらすっきりしました。