帰還
当初に比べて遅筆になってますね。
ともあれ、更新です。「魔王城の新たなる日常・弐」はこれで終わりです。
――――燃え盛る灼熱の光球が、門へと疾走している馬車へと放たれた。
朱炎を始めとする文官達を乗せた馬車とその周囲にて並走する護衛の者達を、諸共に焼き付くさんとばかりに空に生まれた光球。
――そしてそれを全速力で走っていた一団が避ける術は、ない。
遠ざけられていた民間人達の誰もが息を飲み、国境に配されていた魔族の兵士達が慌てて飛び出していった不届き者を押え付けたが、もう遅い。
兇悪に輝く光球は、そのまま突っ込んでくる馬車を跡形もなく喰らい付かんとばかりに明度を増し、人混みの中に無害を装って紛れ込んでいた襲撃者達は魔族の使者の末路を確信して歪んだ笑みを浮かべる。
誰もがその末路を想像し顔を伏せる中、朱炎は最後まで毅然と顔を持ち上げて抵抗の意思を宿す瞳で前を見据えていた。
『――……貴女のその気構えは賞賛に値しますがね、戸を閉める方が正解ですよ』
瞬き一つなく迫り来る光球を睨みつけていた朱炎の耳に、聞き覚えのある冷淡な声が木霊する。
同時に疾走する一団を包み込む様に、膨大な量の水と風の元素の奔流が馬車の周囲に荒れ狂った。
「――教えるのが遅くてよ!」
声が響いたのと同時に、朱炎は咄嗟の判断に従い、大きく開かれたままの扉を閉める。
直後、それが間違いではない事を証明する様に、烈しい雨だれの音が馬車の屋根を叩いた。
『――――さっすが姐さん。惚れ惚れする程、見事な手際だね』
邪気も何もない、賞賛の音色だけで構成された軽やかな声が聞こえたのと同時に、水音が途切れた屋根の上に何か重さを持った物が乗った鈍い音が響く。
馬車の轍が泥を跳ねる音を立てながら、ようやく止まった。
「しっかりなさい、お前達。どうやら黒焦げになる事なく故国に戻れた様よ?」
「助かったんですか、俺達……」
「でも、どうして……?」
安堵の溜め息を吐きながらも、馬車の中で身を竦めていた文官達が恐る恐る身を起こす。
互いに互いの無事を喜び合っている部下達を尻目に、朱炎は固く閉められていた扉を勢い良く開け放った。
「わわっ! 姐さん、俺の頭をかち割る気!?」
「あらいたの、緋晶。ごめんなさいね、気付かなかったわ」
そう言って婉然と微笑んでみせた朱炎に、開け放たれた扉を紙一重で躱してみせた緋晶は引き攣った微笑みを浮かべるしかなかった。
朱炎の燃え立つ様な朱髪とはまた違った趣の鮮やかな緋色の瞳が、馬車の中にいる文官達の安否を確認する様に動く。
「随分と手際が良かった事ね? あたくし達を囮にしたのだから、勿論成果は上がったんでしょうね?」
「顔が恐いよ、姐さん……。そ、そんなに怒らなくても……」
「――ええ。朱炎を始めとする皆様のお蔭で、勿論成果は出ましたとも。当然ですよ」
「あら、藍玉。随分とお久しぶりね」
問いつめられて窮地に陥った緋晶を結果的に助けたのは、先程の朱炎の耳を掠めた声の主である藍玉に他ならない。
肩までもない切り揃えられた銀糸混じりの灰髪を風に揺らし、冴え冴えとした藍色の双眸には冷たい光が宿っている。
風と水の精霊族の間に生まれたこの魔族の青年こそ、先程局地的な大雨を降らせて、瞬く間に火球を消し去ってみせた凄腕の魔法使いでもあった。
「クソッ! さすがは卑しい生まれの魔族なだけあるな。他は劣っていても、生き延びる術は一人前――へぶっ!」
「うるさいわね。生きたまま火だるまにされたくなければお黙りなさいな」
「……なぁ、藍玉。アレ、本当にただの扇なの? 実は鉄で出来てるんじゃない?」
傲然と腕を組んで、減らず口を叩いた襲撃者達を睥睨する朱炎の背後で、そっと緋晶が隣の藍玉に耳打ちする。
朱炎の持つレースの扇が見目の軽やかさとは裏腹に、何とも形容し難い音を立てて暴言を吐き捨てようとした男の後頭部に高速で叩き込まれたのを目撃したせいで、緋晶の顔は青ざめていた。
「それで? この不届き者達はどうするの?」
「ああ。そいつらなんだけど、う〜ん、なんというか心底同情する末路を迎える事になりそうだよー」
「……それって」
「筆頭判官・蒼氷の預かりになりました。……同情しますよ」
軽く眼鏡を押さえて淡々と言い捨てた藍玉の言葉に、朱炎を始めとする文官達並びに護衛の役目に就いていた魔族の兵士達が、つまるところその場にいる全員が揃って、哀れな者を見つめる目を数名の襲撃者達へと向ける。
自分達に向けられる視線の種類に気付いたのか、先程朱炎に沈められたリーダー格らしき襲撃犯の男が勢い良く下げていた頭を振り上げた。
「卑しい『混ざり者』風情が何を抜かすか! 我らは貴様らを根絶するために人生を捧げた戦士だ! どのような辱めを受けようと、決して……!」
「――……皆さん、そう言って最後は再起不能になって帰ってくるんですよ」
「藍玉の言う通りだわ」
ぼそり、と呟かれた一言に筆頭判官・蒼氷の優しい微笑みの裏を知る者達が何度も頷いてみせる。
冗談でもなんでもない、心底本音で言われている事を察した襲撃者の頬を冷たい汗が伝う。
「ま。こんな小物の事は放っといて。どう? 姐さん達の後を追いかけていた奴らは?」
「――はっ! どうやら国境に差掛かる前に退散したようです」
「奴らとしても深追いする気はなかったって事か。それだけこいつらに期待していたのか、それとも……」
緋色の瞳に浮かぶ瞳孔が縦に細長くなり、磨かれた刃にも似た輝きが瞳を過る。
しかし、緋晶はそれ以上何かを口にする事なく、左右に頭を振って物騒な空気を霧散させるに留まった。
何かが始まったのか、それとも何かはもう始まっているのか。
今まで息を潜めていた魔族根絶を謳う過激派の襲撃を契機に、それまでの薄氷の上の平和がゆっくりと崩れ始めた事だけは確かであった。
偽りとはいえ、魔王崩御の知らせから一月は平和でしたものね。
さて、藍玉、朱炎と続きまして、次は緋晶と陛下の話になります。
透夜も出しますけど……一応。