経緯
この次から時間軸は元に戻ります。
明かされた謎と深まる疑問といったところです。
「手荒な真似はあまりしたくないのでな。さっさと話してもらえたら助かる」
破砕された牢の残骸が転がる室内で意識を保っている者は三人。
光を吸い込む黒髪に琥珀の瞳の魔王。
くすんだ長い髪で顔を隠した元囚われ人。
金茶の髪に瑠璃の双眸を持つ魔法使い・ラピス。
やんわりとした動きで自分の体に縋り付いている同族の手を解きながら、視線だけは反らす事なくラピスを睨む。
殺意と冷たい怒りに満たされた琥珀の視線に、怯えた様にラピスが体を震わせるが、それでも毅然とした態度で相対する。
「……申し訳ないけれど、それは言えないわ。口にする事は禁止されているもの」
「――――ほぅ」
言い切った途端、立っている事すら困難な重圧がラピスの体にかかる。
見つめられているだけで凍えそうな眼差しが彼女の体を射抜いた――瞬間、ラピスは突如として自らを襲った猛烈な衝撃に空気を吐く。
「っ!?」
「もう一度だけ言うぞ――話せ」
何時の間に側に居たのか。
一瞬にして彼女の目の前へと移動した魔王は、反応する機会も与える事なく素早い動きで足払いをかけると、ラピスの胸元を掴んで瓦礫の転がる床へと叩き付けた。
背中を強打され痛みに喘ぐラピスの瑠璃色の双眸が冷徹な琥珀と交差する。
「ここで、私が話さなかったらどうす、るのか、参考までに聞いても?」
「何。幸いな事に事実を知っていそうな人間はお前の他にもいるからな。そいつの前でお前を嬲れば、喜んで教えてくれるだろうさ」
鮮やかな紅唇が吊り上がる。
胸元を押え付ける力が増して、ラピスは苦し気に呻いた。
「お前と違って先の二人はあまり痛みに耐性が無さそうだったからな。目の前で仲間が拷問にかけられれば素直にならざるを得ないだろうよ」
「人の性質を見抜くの、が、お上手な事……」
痛みを知らない人間、あるいは忘れた人間は痛みに弱い。
勇者の仲間として幾度もの実戦を越えて来たラピスであれば兎も角、碌に<塔>から出る事なく研究ばかりして来た魔法使いである相手なら、先程の恫喝だけで大人しく彼らは喋っただろう。
その事が簡単に予想出来て、ラピスはほんの少しだけ小さく笑った。
「それで? 話すのか、話さないのか?」
「……話すわ。どのみち、私がここで話すのも彼らが後で話すのもそう大差がないもの」
苦しそうに表情を歪めながらも、彼女がそう宣言すると、胸にかかっている力が少しだけ弱まる。
ラピスに多い被さる様な体勢を取っていた魔王が、左手をラピスの肩へと動かした。
「……少しでも変な真似をしてみろ。その瞬間、お前の左の肩の骨を砕くぞ」
「――――っ!」
低い声の恫喝に、ラピスの体が小刻みに震え出す。
それを何とか意思の力で無視して、彼女は唇を動かした。
「ソレが見つかったのは、大体百年程前、と言われているわ。当時、外に派遣されていた<塔>の魔法使いが国境の森の中に異常な元素の乱れを観測して、そこに、向かい、ソレは発見された」
無言で続きを促され、ラピスは緊張で乾いた唇を舌で濡らす。
「訪れた魔法使い達との間でどんなやり取りが行われたのかは、知らない。ただ結果として<塔>の面々は多大な犠牲を出したものの、ソレを捕える事に成功した。魔術による、眠りに就かせ……夜分遅くに<塔>へと運び込み、幾十にも封がなされた牢の中に閉じ込めた、と」
「……神族用の牢があったのが、ここだったからか? つまり、お前達は最初はこいつを神族だと考えたのか?」
「わからない。でも、強大な力をもつソレを封じる様な場所を他に知らなかったから、仕方なくここに運んだのだ、と」
瑠璃色の瞳が、ちらりとこちらを見つめ続けている人影へと視線を移す。
過去の先達が多大なる犠牲を払って捕え、古の技術を使用したにも関わらずあっさりと解き放たれてしまったモノを見つめて、苦々し気な光が瑠璃色の瞳に過った。
「そうした後、地下へと潜る事を許された者は幹部だけ限られた。それは幹部級の腕を持つ者でなければ扱えない程ここの術式は高度な物ばかりだったのもあるし、封じられたモノの危険性のせいでもあった……」
ラピスの脳裏に地下に出入りする事が許される様になって初めて閲覧を許された禁書の内容が甦る。
古の魔法使いや魔術師達は、始めは見つけ出したソレの力の強大さに歓喜した。
そうして何とかしてその力を自分達の欲を叶えるために使わせようと様々な事を行って、次第にその存在に恐怖する様になったと言う。
曰く、牢に閉じ込め何十に封をし枷を嵌めてみたものの力を完全に抑える事が叶わなかった事。
曰く、餓死させようとして食事も水も与えなかったのにソレが生き続けた事。
曰く、魔術による洗脳を行おうとしてもその都度失敗した事。
――――それでも、この<塔>の地下にソレを留めておけたのは、偏にソレが外界に対して何の興味も抱かなかったからだ。
「強制的な眠りに落されて尚、ソレは時々目覚めては時代時代の<塔>の者達を殺して来た……そう教わったわ」
「はん! 大方、コイツの体を弄ってその力の源を探ろうとしたんだろう。自業自得だな、同情の欠片すら存在しない」
「耳が……痛いわね」
嘲る様な口調の魔王に、ラピスが苦笑いを浮かべる。
事実、魔王の言う通り手っ取り早くその力を解明しようと手を出したり、または戯れに嬲ろうとした者から、この『地下の怪物』の逆鱗に触れて殺されて来た。
「手は出せない、が、力だけは無尽蔵にある。……その事に気付いた<塔>の者達は何とかして、その力を利用出来ないかと長い時間をかけて術式を編んできた。その結果が、先の勇者召還」
「成る程『転換』と『蓄積』を目的とした術式か。昨今の魔術は随分と汎用化したものだな。無尽蔵に湧き出るこいつの<力>を別の物に留め、それを使って大魔術を行使する……見事なものじゃないか」
砕かれた床石の破片に刻まれていた無数の術式の内、比較的新しく刻まれていた術式の用途を思い浮かべて、納得がいった様に魔王が頷く。
「成る程分かりやすい説明だった……だが、お前は全部を話してない。そこんとこも漏らさず教えてもらおうじゃないか」
「何の、事かしら?」
「認識阻害用の術式が組み込まれた扉に封じられてからは判るが、それ以前、つまりコイツが間抜けにも百年前の魔法使い共に捕まって<塔>へと運ばれるまでの間に、何故オレが気付けなかった? 犠牲者が出るような戦いがあったというのなら、コイツの力の行使にオレが気付かない筈がないからな」
勇者との茶番を経て魔王の力は弱体化した反面、危険察知の一端である探知能力が向上して、幾重にも封を掛けられ隠し込まれていた同族を見つけ出せたのだが、それにしては納得のいかない事が多すぎる。
不機嫌そうな魔王に、初めてその可能性に気付いたと言わんばかりの表情をラピスが浮かべた。
「それは……考えてもいなかったわね。でも、当時の一流の魔法使い達がそれを出来たとは考えないのかしら?」
「満足に頭を働かせようともしないコイツを捕まえるのに死者を出す様な奴らなのに?」
砕いた牢の欠片を面白そうに弄っている同族の方へと魔王が視線を送る。
同じ方向に視線を向けたラピスは不満そうに表情を歪ませた。
「碌に戦い方も知らない様な奴だぞ? 大方<塔>の奴らと戦った時には魔法の大放出でも行ったんだろうよ。――というか、そう言う戦い方しか知らんだろ」
確かに、とラピスも納得する。
今までに読み解いた書物にも危険性は明示されていたが、人間らしい戦い方をしていたという記述は一切なく、その強大な力を振るっての蹂躙ばかりであったように思われた。
「つまり、誰かがいたんだ。オレを欺き、ものの見事にこいつの存在を隠し通してみせた“誰か”が、な」
そしてその“誰か”は人間族ではない。
遥かな時代に世界より去った神族でもない。
となると――――。
「――……精霊族か」
やれやれ、と頭を振って魔王はラピスの体を押し付けていた腕を放す。
放された方のラピスはそれまでずっと胸を圧迫していた重圧からようやく解放されて、仰向けに倒れたまま咳き込んだ。
傍目には非力そのものである細い腕であったのに、押し付けられた側からしてみれば胸の上に巨岩を乗せられた様なものだった。
ラピスから距離を取った魔王に、魔王の同族がくっつく。
長い髪を透かして、何色かも判らない瞳がどうでも良さそうにラピスを見つめていた。
「ま、これぐらいにしとくか」
「……ん」
精霊族に関してひとまず後回しだ、と面倒くさそうに告げると、離れ難そうにしている同族の手を引いて魔王は部屋の外へと足を進める。
その後姿に、上体を起こしたラピスは声をかけようとして口を開いたが、何も言う事なくそのまま口を閉ざした。
「…………ディアン」
二人の姿が消え去った後、ラピスの口から弟子だった子供の名が零れ落ち、闇へと霧散した。
* * * *
「……うあ」
「同調は上手くいっているみたいだが、言葉を喋れる様になるまで回復するのはまだ先の様だな」
繋いでいない方の手を喉元に当てて、試す様に声を出している同族の姿に魔王は目を細める。
<塔>より抜け出した二人は、今、白亜の王城の中にある無人の庭園にいた。
「さて、と。確かこの辺りに隠しておいたのだが……どこに置いたかな」
繋いでいた手を放して、魔王は辺りを探索する。そうして、お目当ての物を見つけ出してにんまりと笑った。
「仮にも他所の王と会うのだから夜着のままじゃ不味いからな」
昼間のうちに仕込んであった変装用の衣服を隠し場所から取り出して、さっさと着替え始める。
そうした後、面白そうに庭園内を見渡していた同族にこの場で待っているように告げてから、白亜の王城内で最も高い位置にある国王の部屋へと向かったのであった。