魔法使いの見解
「不味いですね……」
「不味いわね……」
蝋燭の微かな明かりしか灯っていない石造りの部屋の中に、大小二つの影がある。
金茶の髪に瑠璃色の双眸の魔法使い・ラピスとその弟子のディアンが、向かい合う様にして座っていた。
「今日の会談での魔族の様子からして、魔王が死んでいないのは間違いないようね」
「ええ。まさか魔族があんなにも魔王に依存していただなんて……予想の範疇だったけど」
疲れた様にディアンが肩を落とす。護衛と威嚇を兼ねて使者達と同室していたラピスに従って、ディアンもまた魔族達の話を聞いていた。
「――参ったわ。人間族初の快挙に、私も浮かれてたって事ね……まだまだね」
「世間では魔王は勇者に討伐されたって事になってますからね」
「あー、もう! 勇者が元の世界に還ってしまったからには、責任が私達に押し付けられるのも時間の問題でしょうね」
異世界送還の陣を使用して元の世界に還ってしまった勇者。
もし彼が未だこの世界に残っていたならば、魔王生存説が有力となった際には間違いなく最大の責任者として糾弾されていたにちがいない。
「だけど、魔族の方も表立って魔王生存を告げて来ないのはなんでかしら? 魔王が勇者に滅ぼされていない方が魔族にとっても都合のいい展開になったでしょうに」
ディアンに聞かせると言うよりも、口に出すことで自身の考えを纏めるのを目的とした独り言。
唐突にラピスがディアンの方へと振り返った。
「そもそも、魔王とは一体何なのかしらね? 考えたことはない、ディアン?」
「魔王が一体何なのか、ですか? 魔族の王様な訳だから、やっぱり魔族なんじゃないですか? この国の王が人間で、精霊族を束ねるのが精霊族である様に」
「そう考えるのが一般的よね……。でもね、これは私の考えに過ぎないのだけど――」
一旦言葉を区切ると、ラピスは本棚に収納されている沢山の本の中から一際分厚い茶色い革表紙の本を取り出して、慣れた手つきでページを捲る。
「アルマース・シュタインベルツの『人から見た魔族に対する一考察』によると、彼は魔王がこの世界に居る筈の無い第五種族説を打ち出しているわ。著者自身、突拍子もない考えだと一笑しているし、この説を支持する人間も少ないけど……私としては正しい答えだと思うのよ」
「つまり、ラピス様は魔王が精霊族にも神族にも人間族にも属さない、果てには混血種である魔族でもないと言いたい訳ですね」
「そうなるわ。元々、私が勇者のパーティに志願したのも研究の対象である魔王を出来るだけ近くで見定めるためだったもの」
研究って……、と呆れた様な声を出したディアンを、むっとした表情でラピスは睨む。
それに軽く肩をすくめたディアンは、ずり落ちて来た眼鏡を指で支えると、その位置を元に戻した。
「如何に師匠が命知らずだったのかがよく解りました……。それで? 成果はあったのですか?」
「まあね。今まで伝説として受け継がれてきた突拍子もない話が嘘でなかったと知れたのは良かったわ。最後に魔王が灰になって消えたりしなければもっと調べられたでしょうに」
「うわぁ……」
心底辟易した様な声をディアンが上げる。この言分だと、魔王が遺体を残していたら、真っ先に連れて行かれた先は解剖室に違いない。
「心外ね……。私が敵であったとしても仮にも王である相手にそんな不敬を犯す訳ないでしょう。……国王陛下や、その他の方々とは違って」
「ええ!? それって、どういう……」
「……話を戻すわよ。今回の旅で分かったのは、如何に魔王と言う存在が規格外であったかという事よ。例えば、人間族や魔族であっても基本は最高で三元素しか扱えない筈の元素をあの魔王は私達の前で全ての元素を操って見せたわ。こんなの唯人に出来るわけないじゃないの。世界の摂理に反していると言ってもいい事例よ」
「でも、何代か前の勇者は五つの元素を使役してみせたって書いてありましたけど……」
「三代前の勇者ね。確かに彼も五つの元素を使役する才能を開花した様だけど、実際の戦闘で使えたのは三元素が精一杯で質もあまり良くなかったらしいわ。おまけに、一度に五つの元素を使役しようとしたら、元素同士の反発にあって内側から爆発しかねないのよ?」
高濃度で純粋な元素程、扱い難く得難い物はない。
数は人間族に劣る精霊族が一度も国を侵されなかったのは、彼らが一元素に特化しているとはいえ、人間族の身では得難い良質の元素を生まれながらに一族全員が宿しているせいだ。
「だけど、あれなに? あの魔王、私達との戦いの間に五つの元素を全て使役してのけたのよ? しかも高濃度で純度の高い元素を!」
思い出して腹を立てて来たのか、茶色の革表紙が軋む程の圧力で本を握りしめている。
そうした後、ラピスはわざとらしく咳払いをすると抱えていた本を棚に戻した。
「研究者の中には魔王は神族か、あるいは神族の血を引く混血種ではないのかという説が最も有効なのだけど……だとしたら三千年前に魔王も他の神族と共にこの世界からいなくなっていなきゃ可笑しいのよ」
「……この世界に残りたかっただけじゃないですか? その当時は既に魔族の王だったらしいですし」
「甘いわね。神族は強大な力を持っていた分、自分達の力を抑える規則と神族の王であった神帝の命令に基本的に逆らえなかったのよ? 同士討ちが禁じられているのに“軍神”と戦ったり、一人だけ世界に残ったりとか出来るわけないじゃない」
疲れた様に髪を掻きむしる師匠の姿に、ディアンは面白そうな顔になる。
そんな弟子の表情に気付くことなく、ラピスは一度溜め息を吐くと室内の椅子の一つに腰を下ろした。
「ラピス様が魔王の正体について、どう考えているのか聞いてもいいですか?」
「神族にも匹敵する寿命と<力>の持ち主であるのは間違いないわ。悔しいけど、神々の去ったこの世界で最強の存在であるのもね。詳しいことはまた地下に行って調べるしかないけど……」
「そういえば、昨晩も地下に潜ってましたよね。大丈夫なんですか? ラピス様」
「何がよ? こう見えても、魔王討伐の英雄の一人なのよ?」
茶化す様な言い草に、ディアンは言葉を濁す。
暫し俯いたまま黙っていると、意を決した様にディアンは頭を持ち上げた。
「だって、皆が言っています。“<ダアトの塔>の地下に足を踏み入れたらいけない”って。“地下には怪物がいて、降りてくる人間を食べてしまう”って」
「……馬鹿ね。怪物は大昔に神々に討滅されたのよ。今の世界に残っている筈がないじゃない」
――――そう言って笑った彼女の浮かべた笑みは、誰が見ても歪な物であった。
* * * *
人間族のありとあらゆる知識の蔵にして、国中の魔法使いや魔術師達の羨望の視線を一心に浴びる<ダアトの塔>。
光があれば影も存在する様に、栄光と名誉によって装飾されているこの白亜の<塔>にも暗部は存在する。その証拠に<塔>には数多の複雑怪奇な噂話が存在し、影に日向に囁かれている。
――<塔>のどこかに古の神々に知識が封じられた聖遺物がある、とか。
――どこぞの貴族が政敵を蹴落とすためにあの部屋で呪いを行った、とか。
――はたまた、謀殺された魔法使いの亡霊が夜な夜な廊下を歩き回っている、とか。
その才能を認められ、<塔>へと招かれた魔術師や魔法使い達の間で囁かれている噂話で最も有名なのは『地下に眠る怪物』の話だ。
――出所も、詳しい情報元もはっきりとしない。
噂は噂に過ぎないのに、何故か人の心を震わせる『地下の怪物』の話は、百年以上<塔>の人々の間で途絶えることなく受け継がれてきた。
――……人々は物陰でこっそりと囁き合う。
『<塔>の地下に一人で行ってはいけない』
『何故なら地下には怪物が眠っていて、弱い人間が近付くのを待っている』
『心得のない弱い人間であったら、瞬く間に怪物に食い殺されてしまうのだ』と。
その噂話の真実は、地下に降りることが許された大賢者を含んだ極一握りの魔法使いと魔術師のみが知っている。
私の中ではチートは「最強かつ無敵」でバグは「規格外」です。
間違っていませんよね?