絶対の信頼
展開少しばかり早め?
長いです。
この世界には三つの種族と七つの国が存在する。
一つは人間族の王国。
――堅牢たる城壁と鉄壁の守りを誇る白亜の王城を拠点とした、西の大国。
二つは魔族の王国。
――夜空色の魔王城を中心とした、魔王治める最果ての東の大国。
最後は精霊族の国々。
広大なる深い森の奥で暮らす、木の精霊族
溶岩を抱いた火山群にて番で生きる、火の精霊族
無数の技巧が施された地下集落にて、腕を振るう土の精霊族
大陸中を一族だけで気ままにさすらう、風の精霊族
透き通った湖水をたたえる水底にて、たゆたう水の精霊族
国と称するには纏まりがなく、かといって野方図と侮るには彼らの結束は固い。
それが世間一般の認識で、決して間違いではない。
同じ精霊族であっても、同じ元素を宿す者同士でない限りは、滅多な事では干渉をしないのが精霊族。
そんな彼らが、五つの種族の内のどれもが欠ける事なく人間族の国に集ったのには訳がある。
――ニ大国の双璧を為す魔族の国。
『最果ての国』『無名の王国』と言われている王国の、統治者たる魔王。
精霊族のみならず、人間族の最大の障壁と伝えられていた彼の王が、異世界出身の勇者の手によって討ち滅ぼされて後、それまで魔王の強大な力によって危うい均衡が保たれていた大陸の平穏が崩れ去るのは必定とされていた。
魔王討伐の混乱の隙を突いて、人間族は魔族の国の広大な領土と豊富な資源を求めて王国を蹂躙し、精霊族は長年の悩みの種であった『混ざり者』達を駆逐する好機とばかりに王国へと攻め込む筈であったのだが――大半の予想を裏切って、そのような事は起こらなかったのには意味がある。
――何故なら、王を失って呆然とする筈の魔族達がその様な隙を他国に見せる事無く、不気味とも言える沈黙を保ち続けていたからだ。
混乱の渦に突き落とされている筈の魔族の、思いがけない冷淡な沈黙は王国を狙う者達に猜疑と不安の種を植え込んだ。
――――それは則ち、魔王が生存しているのではないのかという疑いである。
彼の王の<力>を知る者達は、そこで躊躇いを抱かざるを得ない。
もし魔王が存命であるならば、攻め込んだのと同時に返り討ちに合うのは間違いないからだ。
気にはなるが、それ以上踏み込むには代償が高くつく。
その事実に、誰もが二の足を踏んでいた。
魔王が崩御したと人間族の王が発表してから約一月。
それまでの沈黙を破り、内々のうちに魔族が人間族の王国に申し入れていた会談の日取りも決まり、つい昨日には全権大使ともいえる魔族の使者もやって来た。
沈黙を貫いていた魔族がようやく、その重たいベールを剥ぐ。
普段は相互不干渉などと嘯くことが出来ても、大陸史に残る大事件の前では誰もがそのような余裕を抱く事など出来なかったのもまた必定であった。
* * * *
軍事行為による、お互いの国境の不可侵。
商業の発展に繋がる流通の強化。
相手の国に逃げ込んだ犯罪者の交換。
――上の三つを始めとする、あくまでも堅実な、国と国との会合。
しかしながら、それを交わす者達を薄い氷の面を歩くのにも似た不穏な感覚が襲っていた。
そんな危うい均衡に包まれていた室内の空気を塗り替える様に、歌う様に軽やかな声が木霊する。
「――では皆様、我々の話に移っても構いませぬか?」
茜色の斜陽に染め上げられる室内の中に、向かい合う様にして複数の人影がある。
その中の一人、左右に分たれた卓の間に佇んでいた人影の一人が発言者であった。
「……始めるのに異存はありませんが、何故精霊族が仕切るのですか?」
「我らとて穢らわしい『混ざり者』の側に寄りたくなどないが、今回ばかりは話は別だ」
「……!」
無愛想に告げられた言葉に、ざわり、と左側の卓に座っていた人々が沸き立つ。
各々異なる背格好の彼らの間に共通する感情の名は“怒り”。
感情のままに今にも剣を持って襲いかかりそうな者達を、代表として席に着いていた朱色の髪の女・朱炎が制することで冷静さを取り戻させる。
「あたくしとしては、誇り高い木の精霊族がこの様に卑怯な真似を行うとは意外でしたわ。このことに関しての連絡が事前になかったことも」
「『混ざり者』風情が、我らを……!」
「そう怒らないで欲しいな、お嬢さん。俺達とて君達の今後には非常に気になるんだよ。……魔王の生存も含めてね」
褐色の肌に緑の髪と瞳を持つ木の精霊族の青年が声を荒げるが、その横に立っていた日に焼けた肌と鮮やかな赤い髪を持つ火の精霊族の偉丈夫が青年を抑える。
「……人間族の王はあたくし達の陛下の崩御を伝えている筈ですけど?」
「精霊族の俺が言うのも何だけど、あのお綺麗な魔王が勇者とはいえ、ただの人間にやられるとは俄には信じ難くてね。同じ精霊族の血を引く者同士、少しばかり融通を利かしてもらえないかね」
「同じ血を引く者同士ですって……?」
それまでどのような無理難題を吹っかけられても涼しい顔を崩さなかった朱炎が、初めて表情を変える。
嘲る様に、蔑む様に。
驚く様に、疎う様に。
様々な感情が、朱炎の顔を過っては、泡沫の様に弾けて消える。
「これはおかしなことを告げられますわね。昔から木の精霊族を始めとする精霊族の方々は、我々が同族の血を引くと言うことを認めなかったのでは?」
「しかし、その見事な朱色の髪と身に纏っている火の元素を見る限り、お嬢さんが俺と同じ血を引くのは間違いないだろう」
「……かもしれませんね。ですが、それが何か?」
婉然と微笑む朱炎に、その場にいた誰もが目を奪われる。
誰よりも誇らしげに、誰よりも鮮やかに、誰よりも烈しい微笑みを浮かべた彼女に、自らを、引いては自分達を恥じる要素は一つもない。
「精霊族? 人間族? そんな者はあたくし達には関係ありませんわ。我らは元より、唯一なる我が君である魔王陛下の忠実なる僕にして、恐れ多くも至高の君たるあの方の娘であり息子であるのです。そんな陛下の元で慈しまれて来たあたくし達が、今更精霊族の甘言ごときで同族たる魔族を裏切るとでも? 魔族を侮るのも大概にして欲しいですわ」
「そんな余裕を持てるのかしら? 魔王はいなくなっちゃったんでしょう?」
朱炎の言葉に反応したのは、いつの間にか室内に紛れ込んでいた風の精霊族の少女であった。
気付かぬ内に開かれた窓の側で、純白の髪を風に靡かせながら鈴が鳴る様な笑声を上げる。
少女が身に纏っていた長い薄衣が吹き抜ける風に翻った。
「ねぇ、違うの? アタシは魔法使いさんからそう聞いたのだけども」
「――ええ。我々は彼の王を勇者と共に討ち滅ぼしました。勇者の聖剣が魔王の心臓を穿ち、魔王の体が灰になるのを見届けました」
会合の間中、じっと室内の片隅で魔族の様子を見つめていた女魔法使い・ラピスが風の精霊族の言葉に首肯する。
朱炎の明るい若葉色の瞳と、ラピスの瑠璃色の瞳がかち合って火花を鳴らした。
「だから、何なのです? それが我らに何か問題がございますか?」
「は? 何を言っている! 貴様らの最も頼りとする王が崩じたのだぞ!」
訳が分からないと言わんばかりの木の精霊族の青年の怒声に、臆することなく朱炎は艶麗な微笑を浮かべてみせた。
「元より我らの王は風よりも気まぐれな御方。陛下が我らの元より離れ、何処かへとお出かけになられることは長い歴史の中でも度々ございましたわ」
明るい若葉色の瞳にどこか懐かしむ様な色が走る。
それは幼い頃に伝え聞いた王の武勇伝か、実際に王に従う官吏として体験した魔王の破天荒な行動を思い起こしているせいなのかもしれない。
「すると、お嬢さんは魔王がいなくなったのではないと言いたいのか?」
「さて。ここであたくしが明らかにしてよろしくて? 最も、人間族の王の言うことが信じられないのであらば仕方ありませんことですわね」
「無礼者! 魔族が我らを侮蔑するのか!!」
挑発の響きを宿した朱炎の言葉に、今まで押し黙っていた人間族の官吏の一人が耐え切れなくなった様に叫ぶ。
その叫び声に、言われた側の魔族ではなく、隣で小さくなっていた土の精霊族の少年がびくりと震えた。
「はっ! では貴様らは、魔王は討たれたのではなく、どこぞで傷を癒しているだけだと言いたいのか。ならば、我らの刃が貴様らの喉元にかかった時にも同じ事が言えるのか?」
「――――当然です。何を当たり前のことを言っているのやら」
木の精霊族の青年の言葉に不思議そうな表情を浮かべたのは、朱炎に限らなかった。
彼女の側で彼女の背を守る様にして佇んでいた灰砂を始めとした使節団の魔族達も皆、心底不思議そうな顔をしている。
“――何故、そのようなことを言うのだろう?”
そう告げんばかりの表情に、精霊族のみならず人間族の者達の肌に鳥肌が立った。
「陛下は、我々があの方を必要とした時には必ず来て下さいます。それが絶対の事実であると、あたくし達は知っていますわ」
「――朱炎様の仰る通りです」
そう言って莞爾として笑う魔族達。
彼らに取っては至極当然な答えであるからこそ、他の者達がどうして訝しむのかが分からない。
「陛下はいつでもあたくし達のことを見守って下さいますもの。昔も、今も」
陶然と朱炎が言葉を紡ぐ。
――その瞬間、窓から吹き抜ける風に紛れて、すらりとした人影が室内に足を踏み入れる。
薄いカーテンと共にうねる、光を吸い込む長い黒髪。
老成した光を内に秘めた、最高級の琥珀色の双眸。
新雪を思わせる白い肌に、妖しく映える真紅の唇。
軽やかに歩を進ませて、部屋の奥の卓の者達を見つけて、愛おし気に微笑む。
年代物の趣を宿した卓に足を高々と組んで優雅な動きで腰掛ける。
結わずに垂らされていた朱炎の燃え立つ様な朱髪の一房をそっとその繊手で掬い上げると、甘い仕草で口づける。
魔族達を背にしながらこちらを見据える琥珀の瞳が、悪戯っぽく瞬いた――……そんな光景を、幻視する。
「……迂闊でしたわ。まさか幻覚などを視てしまうなど」
悔し気に水の精霊族の女がそう呟き、幻想に捕われていた者達が我に返る。
中でも木の精霊族の青年などは、親の仇でも見る様な凄まじい視線で魔族達を睨みつけていた。
室内を見渡した所で、どこにも魔王の姿を見ることはない。
否、元より魔王はこの部屋を訪れてなどいない。先程の不可思議な光景はただの錯覚に過ぎない。
そう思って、なんとか自身を納得させても、ついさっき視た魔性の美貌の持ち主の姿を脳裏から消え去る事など叶わなかった。
更新、久しぶりです。
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