ひと時
真っ直ぐに生えた柱に、ぴったりと背筋を添わせる。
好奇心と若干の期待に満ちた琥珀の瞳が、上目づかいに自分の頭の上で動く二本の手の様子を伺っていた。
「どうだ、どうだ?」
「あんま動かないでね、陛下。ん、これで、よし!」
動く許可をもらってから、今は子供姿の魔王は添わしていた背を柱から離す。
ちょうど魔王の頭程度の高さに、魔王が今まで背をくっつけていた柱の面にはひっかき傷がついていた。
「それで? どうなんだ、緋晶?」
「えーっと、……前回とあんまり変わってないね」
「そんな!!」
かなりの衝撃を受けた表情の魔王に、緋晶は苦笑する。
「陛下。背の高さっていうのは、一朝一夕……一月で変わる様な物じゃないよ。陛下もそうだったでしょ?」
「そうなのか? オレは生まれた時からああだったからな。そう言われてもわからんのだが」
心底不思議そうに首を傾げている。
見た目の幼い言動とは裏腹に当たり前に告げられた言葉に、緋晶はかすかに緋色の瞳を険しくした。
この世界に生を受けた者は、例え強大な力を持っていた神族であっても非力な赤子姿で生まれてくる。
魔王の言葉が事実であれば、それが意味するのはどういうことなのだろうか。
「――ま、いっか。陛下が何であれ陛下は陛下だし」
「なんか言ったか、緋晶?」
「んー、別に」
警戒とでも称すべき色が緋色の瞳をよぎるが、すぐさま霧散した。
常のお茶らけた雰囲気を取り戻した側近に魔王は再度首を傾げたが、特に言及する事はなかった。
「あのさぁ、陛下。前々から聞きたいことがあったんだけど」
「なんだ?」
「陛下ってさぁ、男? 女? どっちなの?」
「……どっちに見える?」
愉快そうに悪戯を考えている子供の顔になった魔王が、椅子の上に器用に胡坐をかく。
その姿を頭から足先までじっくりと眺めた後、緋晶は口を開いた。
「俺からは……男に見えるね」
「ほぅ、そうか。ではそれでいいのではないか?」
光を吸い込む黒髪が音を立てて揺れる。
金色がかった琥珀の瞳が猫のように細められた。
「でもさぁ。前に藍玉に尋ねたらあいつは“女”に見えるって言ってたし、蒼氷のじい様と朱炎の姐さんは“男”って言ってたよ」
「ふうん。藍玉の目にはオレは女に映るのか。……なるほどね」
軽く目を眇めて、魔王は行儀悪く組んだ脚の上に肘をつく。
琥珀の瞳が緋晶の方へと向けられた。
「これはオレ自身が国を興してから気付いた事なのだが、オレを男とみるか女とみるかは、見る者がオレをどのような対象として見ているのかに関係するようだ」
「つまり?」
「オレに自身の父や兄、または異性としての男を求める者であればオレは“男”。
逆に、母や姉、同性の友人といった対象を願う者であればオレは“女”として映る。
――例えばの話だが、灰砂の妻である青蘭嬢はオレをこの国での頼りになる友人として見たために、オレは“女”としてしか彼女の眼には映らない。
逆に、夫の灰砂はオレに死んだ父親のイメージを長年投影して見ていたのもあって、オレの事が“男”としか思えないそうだ」
その言葉に緋晶の脳裏に古い思い出が過る。
火の精霊族の男と人間の女の混血児である彼は、魔王の手で保護された時には既に、自分の父親にあたる男の姿を知らなかった。
そのため幼かった彼は、全ての魔族達に等しく父であり母である魔王に対し、いまだ見ぬ父親の影を求め、そして見出したのだ。
「なるほど……。俺にとって父親は陛下だからね。だから俺の目には陛下は男に映るのか」
「納得いだたけたようで何よりだ」
「でもさ、それって結局、陛下が男なのか女なのかについての根本的な答えになってないんじゃない?」
「…………」
――――鋭すぎる突っ込みに、魔王はただただ沈黙を貫いただけであった。