三角関係
徐々に「魔王陛下」を気に入ってくださっている方々が増えてくださって、とても嬉しいです。
「人の領土に潜り込んだ挙句、オレの大事な息子の可愛いお嫁さんを追い回すだと? 貴様、覚悟は出来ているんだろうなぁ、あぁ!?」
「……魔王陛下、どうぞその辺で。ただでさえ貴方は怪力なのですから、それ以上なさったらその男が死にます」
青蘭相手に殴り掛かろうとした相手を思い切り蹴っ飛ばし、相手の襟首を締め上げて揺さぶる魔王に、付いて来た藍玉が冷静な口調でストップをかける。
兇悪な光を宿した琥珀の瞳が一瞬金色に輝くが、締め上げていた手から力が抜ける。
どさり、と低い音がして相手の体が石畳に叩き付けられた。
「――――かっは。何者だ、貴様……」
「一秒でも長く呼吸を続けたいのであれば、口を慎め人間」
無遠慮に魔王を見据えてなにかを口にしようとした男を藍玉が遮る。
冷酷な光を宿した藍色の瞳に睨みつけられ、男は気圧された様に押し黙った。
しかし、相手の血走った両眼は直ぐさま、離れた所で灰砂に守られる様に抱きしめられている青蘭へと向けられた。
「汚らわしい魔族めが……! サフィアからその手を放せ!」
「ストーカー風情が何を偉そうな事をほざいていやがる」
明らかに蔑みの感情で持って吐き捨てた男に、呆れた様に魔王が口を動かす。
金色がかった冷たい琥珀の瞳が、青蘭と灰砂に向けられた途端、柔らかな光を浮かべた。
「済まなかったな、青蘭嬢。今回はオレ達の方が遅くなってしまった」
「いえ、いいえ! そんな事は……! でも、なんで夫が、灰砂がここに? まだ帰って来れない時間じゃ……」
「奥さんのピンチに颯爽と現れるのが旦那の務め、って言われてね……」
「あなた……」
不思議そうに目を瞬かせる青蘭に向けて、へにゃりとした苦笑を浮かべる灰砂。
頬を真っ赤に染めた青蘭が先程とはまた別の感情で目を潤ませ、夫の姿を上目遣いに見つめる。
そのまま新婚夫婦が甘い空気に突入しそうになった途端、自分の存在を忘れるなとばかりに男が騒ぎ立て始めた。
「なにが旦那に妻だ! そんなこと認められるものか!!」
「いい加減うるさいぞ、ストーカー。第一、なんだってば貴様に二人の仲を認めてもらわなきゃならんのだ」
無関係だろうが、と大仰な溜め息を吐いた魔王の言葉に、男は声を荒げた。
「無関係じゃないっ! 俺はその女の夫だ!」
“その女”のところで青蘭を指差した男の言葉に、そこに居た誰もが沈黙する。
ややあって、不機嫌そうに眉根を寄せた藍玉がぽつり、と呟いた。
「――――つまり、青蘭嬢は二重結婚をしていると?」
「んなっ! そんな訳ありません!!」
顔を怒りで真っ赤に染めた青蘭が、未だに自分の事を指差す男に向かって吠えた。
「何勝手な事言ってるのよ!! ――この男と私が夫婦だなんて、断じてありえませんっ!!」
「じゃあ、何だったんですか?」
台詞の前半は男に向けて、後半は藍玉を見つめて叫んだ青蘭に、至極冷静な質問が入る。
「…………元、許嫁です」
「あ、そういえば。その男、青蘭の村に住んでいた人だ」
青蘭の言葉を受けて、灰砂がポン! と掌を打つ。
今思い出した、と言わんばかりのその態度に肩を軽くすくめ、魔王が男へと訊ねる。
「――と、言っているが、そうなのか?」
「……そうだ」
「許嫁なら夫婦ではありませんよね」
「確かにな」
うんうん、と何度も魔王が頷く。
そして説明を求める様に青蘭と灰砂に琥珀の視線を寄越した。
「それで? このストーカーと青蘭嬢との関係はただの許嫁でそれ以上でもそれ以下でもないのか?」
「当然です。許嫁と言っても、私がその男に心を動かされた事は一度たりともありません! 単なる村長の息子と村娘な関係でした!!」
鼻息も荒く断言してのけた青蘭の姿に、村長の息子がショックを受けた様な表情になる。
一人納得がいった藍玉が腕を組んだ。
「成る程。ストーカーが村長の息子で、村に暮らしていた頃の青蘭嬢と許嫁の関係にあったのならば、この手紙の内容にも納得が行きますね。
彼にしてみれば、青蘭嬢の駆け落ちは裏切りにしか思えないでしょうから」
昨日会った時に受け取った、差出人不明の手紙を脳裏に思い起こす。
受取人の名前の所に『青蘭』ではなく『サフィア』と書かれていたからおそらく人間族関係の者だろうと思っていたが、その通りだった。
「つまり、貴方はわざわざ青蘭嬢、いえサフィア嬢を連れ戻しに来た訳ですか」
「そうに決まっているだろうが! でなきゃ、誰が薄汚い『混ざり者』の国になんか来るかよ!」
「――――!」
灰砂と藍玉の表情が凍る。
様々な要因でこの世界に生まれ落ちた混血児の血を引く魔族達に取っての最大の侮蔑の言葉。
それを敬愛する魔王の前で吐かれ、頭が真っ赤に染まる。
――他の誰かの前で口にされても構わないが、この人の前でだけは許さない。
――忌避される傾向にあった混血児達を慈しみ、守り続けてくれた魔王の前だけでは、その様な言葉は許さない。
風が渦を巻き、大地が不穏に揺れる。
二人の魔族の怒りに呼応した様に元素が蠢いて、男へと牙を剥く――その前に。
焦げ茶色の瞳を吊り上げ顔を真っ赤に染めた青蘭が、男に渾身の力を込めた平手打ちを喰らわせた。