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魔王陛下、お仕事ですよ  作者: 鈍色満月
魔王城の新たなる日常・壱
21/51

その頃の彼女

少し前の話。


 ――――時は少しばかり遡る。

 夫の灰砂かいさが魔王の叱責を受けていたのとほぼ同時刻。

 元・村娘で今は灰砂の妻である青蘭せいらんは、養母の屋敷を辞去した帰りに市場へと向かっていた。


* * * *


 貴族のお嬢様のように十分な教育を受けてきたわけでも、周囲の目を見張らせるような優れた容姿など持っていない青蘭。

 彼女は夫となった灰砂に連れられて魔族の国へ来た際に、当然の事ながらその事に関しての不安を抱いていた。

 魔族の国に来るまでに抱いていた不安、つまり、単なる村娘に過ぎない自分の存在を魔族の人々が受け入れてくれるのか、という恐れは灰砂の同族達が彼女の存在を快く受け入れてくれた事で杞憂に終わった。

 不安も解消し、これから心から愛している人とこれからの一生の苦楽を共に生きていこうと誓った矢先に彼女に起こったのは、不審な出来事の数々で、目的も判らない不気味な出来事に彼女は怯えた。


 誰にも言えず、抱え込むしか出来なかった青蘭が出来たのは書状を送る事だけだった。

 そして、半ばダメ元で送ったそれに答えてやって来てくれた二人の役人のおかげで、ここ暫く無かったほど青蘭の心は軽やかになっていた。



 ――――晴れやかな気持ちで街を出歩くのも、本当に久しぶりの事であった。

 人間の国との境目に最も近いこの街は、人間族である青蘭にとっても見慣れた物が多く立ち並ぶ街だ。

 有事の際は国境に近いということで戦火に見舞われる事もあったらしいが、ここ三百年ばかりそんな話は無く、街は豊かさを余す事なく享受していた。

 街を歩いている人々の中には、わざわざ他所から品物を売りに来ている人間族の姿もあって、青蘭は知り合いの姿を見れるかもしれないと思ったが、すぐに頭を振った。


 青蘭がサフィアとして暮らしていた村は、人間族の国に数多ある村の中でも特に魔族蔑視の風潮の強い村であった。

 時折村を訪れる魔族を『半端者』『混ざり者』と言って影で嘲笑し、そのくせ彼らの持ち込む商品を目の色を変えて欲がる人々が多く住んでいる村であった。

 そして、そんな大人たちの姿を見ていたら、子供達も自然とそう育つ。


 そんな中で魔族を蔑んだりすることなく、あまつさえ魔族と結婚した青蘭という存在は、村の中でもかなり異質であった。

 青蘭の親が村人の中でも裕福な人間であったおかげで、村の教室ではなく隣町の大きな学校に行かしてもらえた事と学校の先生たちの中でも特に懐いていた教師が魔族贔屓であったせいもあって、青蘭は村の他の子供たちのようにはならなかった事も原因であったことだろう。


 ――――だからこそ、魔族である灰砂と一生を添い遂げることを決心する事が出来たのだが。

 その結果、人間のサフィアとして培って来たものを悉く捨て去る羽目になったが、そのことに関して青蘭は後悔していない。


 駆け落ちしてから、青蘭は生まれて初めて広大な魔族の領土に足を踏み入れた。

 魔王の住まう魔王城を中心に、蜘蛛の巣状に張り巡らされた街道とそこに寄り添う形で建てられた魔族の人々が住まう城下町。

 最も城より遠い国外れに位置するこの街にさえ、綺麗に整備された石畳が敷かれており、魔王という絶対者の庇護の元で魔族がいかに高水準な暮らしを維持しているのかが一目でわかる。

 魔族の誰もが尊敬し、第二の父母として慕う彼の王が数週間前に現れた勇者によって倒されたなどという噂も伝わっているが、街に住まう者達の間に流れる空気は長閑そのものだ。


 顔なじみとなった生鮮食品を扱うお店の女店主と挨拶を交わし、はしゃぎながら走りゆく魔族の子供達に笑顔を向ける。

 青蘭が持ってきた買い物籠がずっしりとした重みに変じた時には、中天にかかっていた太陽は大分斜めに傾いでいた。


「気を付けて帰りなよ、青蘭ちゃん。ここ最近、馬鹿な噂を本気にとった輩が多いからね。用心に越したことはないよ」

「変な噂っていうと、魔王様の事ですか?」

「そうさ。なんでも異世界から召喚された勇者に魔王様が討たれたとかいう言ってさ。全く、わたしたちの魔王陛下がそんな子供に討たれる訳がないだろうに」


 噂に振り回されている人々を馬鹿にするように鼻を鳴らし、仲良くなった三軒隣の奥様が胸を張る。

 この国に住まう魔族として自分達の王を誇りに思っているのが一目でわかるその姿に、青蘭が表情を緩ませる。


「いつか会ってみたいですね、魔王陛下に。皆様に話を聞く限り、とっても素敵な方みたいですし」

「そうだねぇ。今度旦那にでも頼んでごらんよ」

「うふふ、そうします」

「そうしなよ。それじゃあ、わたしはここだから。また明日ね、青蘭ちゃん」


 笑顔で手を振って立ち去っていく相手を見送ると、そのまままっすぐ我が家へと足を向ける。

 赤みの強い橙色の斜光に町が染まる中、穏やかな気分で足を進めていた青蘭が不意に立ち止まった。


「…………?」


 恐る恐る、青蘭は振り向く。

 路地の向こうで子供達が家の中に飛び込んでいく姿が見える、何気ない日常の風景そのもの。

 だが、日常の中には決して含まれない異質な何かを青蘭は感じ取っていた。

 カチカチ、と歯と歯が擦れ合う耳障りな音が青蘭の耳に入ってくる。


 ――――いる。

 昨日今日と感じなかったせいで浮かれていたが、この絡み付く様な視線を青蘭が忘れる訳が無い。

 はしゃいで、警戒を怠ったせいだ。念のために、もう少し日が高いうちに青蘭は家に帰るべきだった。

 後悔ばかりが青蘭の頭に浮かぶ。家まであと少しの距離なのに、彼女の両足は石になったかのように動かない。


『――……サフィア?』


 ――――金縛りが解けた。

 するり、と手から買い物籠が滑り落ちたが、青蘭が気にする余裕もなかった。 


 次の瞬間には、青蘭は勢い良くその場から駆け出した。


ちょっと長めになりました。

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