魔王暗躍・1
漸く、魔王様のターンです。
「勇者、還っちゃったんだね……」
「ああ。そのようだな」
僅かに涙ぐんでいるらしい盗賊と弓使いの言葉に尻目に、藍玉は未だ明滅を繰り返す視界を必死に凝らして、大広間を見渡した。
すっかり輝きを失った円陣に、それを囲む様にして立っている五人の魔法使い達。
一際高い所に設置された壇上の玉座には国王が座したままで、その脇には宰相が控えている。
そして彼らの前に置かれた細長いガラスケースの中には、大粒の琥珀が象嵌された漆黒の剣が深沈たる輝きを宿したまま鎮座していた。
「勇者殿は御還りになられた! 皆の者、再度我が国の英雄達に感謝の拍手をしようではないか!!」
壇上の国王が何かを叫んでいるが、どうでもいい。
藍玉はただ一人を探して、視線を彷徨わせ続けた。
――――そして。
「おい、僧侶殿。どうしたんだ、さっきからぼんやりして」
「…………いえ、何でもございませんよ」
横から弓使いが心配そうに声をかけて来るが、適当に受け流す。
彼の眼差しは、ただ一人に釘付けだった。
勇者の事にとても拘っていたから来ているだろうと思ってはいたが、本当に来ていたとは。
見慣れない姿だが、強い既視感を覚えた相手。
十歳前後の背格好に、白のヘッドドレスを被った後姿。
地味な色合いの茶色の給仕服に白のエプロンドレスという格好だが、自分が見間違える筈が無い。
唯じっと見つめていると、相手が自然な動作で振り返る。
――――一瞬だけ向けられた琥珀色の輝きと藍玉の視線が交錯する。
直ぐさまそれは反らされたが、藍玉にはそれだけで充分だった。
「――――後は貴方の思うがままに、我らが魔王陛下」
口中で呟いた言葉は誰の耳にも届く事無く、ゆっくりと大広間のざわめきの中に沈んでいった。
* * * *
――――宴は大成功としか言いようが無かった。
その晩、いい具合にほろ酔い加減となった国王は、上機嫌な気分のまま自室へと戻った。
長年の頭痛の種であり、人間族に取っては建国の時からの目の上のたんこぶであった魔王が漸く滅ぼされたのだ。
――――この夜は国王に取って、まさに人生最良の日であった。
人はとっくの昔に下がらせており、国王の自室には彼しかいない。
寝室のサイドテーブルに保管しておいた秘蔵の美酒を取り出して、瑠璃の盃にたっぷりと注ぐ。
このまま眠ってしまうには非常に持ったいないと国王が思った程、彼の気分は良かったのだ。
微かな甘みのある酒を口に含んで、ゆっくりと飲み干す。
強いアルコールが喉を焼いた。
――さて、これからあの忌々しい魔王を失った魔族共をどうしてくれようか。
精霊族のいずれかと盟約を結び、このまま一気に軍を進めて、魔王を失って混乱している魔族共を一息に蹴散らすも良し。
あの魔族の広大な領土を併合し、大陸一の大国として周囲に覇を唱えるも良し。
あの厄介な魔王さえいなければ、魔王に寄生していた魔族共など恐るるにたらず。
どうとでも、それこそ国王の思うがままに料理出来るというものだ。
抑え切れない笑いが、唇を割って外に零れる。
低い笑声が空気を振るわす中、過去に数度目にした魔王の姿が国王の脳裏に描き出された。
何度、あの魔王を自らの足下に跪かせたいと思った事か。
何度、あの太々しい笑みを浮かべる王の顔を屈辱で歪ませてやりたいと思った事か。
光を吸い込む様な長い黒髪に、不思議な輝きを宿す琥珀色の瞳。
男とも女とも判別出来ぬ魔性の美貌を持った麗しき魔王。
あの姿を今後見られぬと思うと、それはそれで勿体無い様な気がしたが、建国当初からの人間族の積年の相手を葬る事に成功したのだ、これ以上を望めば罰当たりになるだろう。
火照った頭でそんな事を考えていた国王の頬を、柔らかな風がくすぐった。
風に頬を撫でられ、あまり回らぬ頭でぼんやりと考える。
……自分が部屋に入る前に、窓を開けただろうか。
――――国王がそう思った途端、室内の明かりが一斉に落され、周囲が闇に染まった。
なんか国王がヤンデレ化しそうな予感……。