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1000回死んだ最強聖女、今世は無能のフリをして騎士団の昼寝係に就職します

作者: 唯乃
掲載日:2026/03/10

「アリシア・ローウェル! 貴様との婚約を破棄する!」


 王都、白亜の夜会。シャンデリアの光が、網膜を刺すように眩しい。


 ああ、またこれだ。1000回目の、聞き飽きたファンファーレ。


 第一王子のエリオットは、いかにも「正義を執行する英雄」といった顔で、隣に寄り添う男爵令嬢……今世の聖女(予定)のカレンの肩を抱き寄せている。


 周囲の貴族たちは、まるで台本があるかのように一斉に息を呑み、憐れみと嘲笑の視線を私に投げた。


(……前回のループより、3分早い。王子、せっかちになったかしら?)


 私は手元のシャンパングラスを静かに置き、ドレスの裾を整えた。


 昨日まで一千年の人生を必死に書き換えてきた身としては、この茶番に付き合う体力すら惜しい。


「承知いたしました、殿下。婚約破棄、謹んでお受けいたします」


「……は?」


 エリオット王子の口が、間抜けに開いた。


 本来ならここで私が泣き崩れ、罪状を否定し、彼がそれを冷酷に論破する……という「見せ場」が続くはずだったのだ。


「待て! まだ罪状を読み上げていないぞ! 貴様がカレンに嫌がらせをし、階段から突き落とそうとした件について――」


「ああ、それですね。はいはい。私がやりました。もう良いですか?」


「なっ……認め、認めるのか!? 往々にして、悪女というのは見苦しく……」


「お言葉ですが殿下。認めた以上、これ以上の問答は無用かと。夜も更けておりますし、私は明日から『無能』として追放される準備がございますので、これにて」


 私は完璧なカーテシーを見せ、王子の横をすり抜けた。


 すれ違いざま、カレンの耳元でだけ聞こえる声で囁く。


「おめでとう。その椅子、座り心地は最悪だけど、頑張ってね」


「ひっ……!?」


 短い悲鳴。私は振り返ることなく、大広間を後にした。


 背後で「不敬だぞ!」「逃げるのか!」という声が響くが、今の私には心地よい子守唄にすら聞こえなかった。





 翌日。私の魔力測定結果は「5」と発表された。


 一般市民の平均が「50」、宮廷魔導師が「500」の世界において、それは「歩く粗大ゴミ」と同義だ。


「聖女の面汚しめ。辺境で野垂れ死ぬがいい」


 投げ渡されたのは、王都の最果てにある「第三騎士団」への配属命令書。


 そこは、戦傷者や素行不良者が集められ、王宮の誰もがその存在を忘れている「ゴミ捨て場」だった。


 重い鉄の門を潜ると、そこには手入れのされていない中庭と、錆びついた武器が転がっていた。


 そして、その奥の執務室。


 山のような書類の影から、一人の男が顔を出した。


「……誰だ。うちは今、死ぬほど忙しい。勧誘なら他を当たれ」


 団長のガイル。かつて「一振りで山を割る」と謳われた伝説の剣聖。


 しかし今、私の前にいるのは、目の下にどす黒い隈を刻み、三日は風呂に入っていないであろう、ただのやつれたオジさんだった。


「新しく配属されました、アリシア・ローウェルです。無能の聖女として、こちらで『何もしないこと』を命じられました」


「聖女……? ああ、あの婚約破棄されたっていう令嬢か。笑えねえな」


 ガイルは冷めたコーヒーを啜り、力なく書類の山を指差した。


「見ての通り、ここは地獄だ。予算は削られ、装備はボロボロ、書類仕事は減らねえ。お前に構ってる暇はねえから、適当にその辺の草でも毟ってろ」


「……団長さん。その書類、少し拝見しても?」


「あ? 素人が見たって……」


 私は彼が言い切る前に、一枚の報告書を手に取った。


 1000回のループで、私はあらゆる言語、あらゆる行政システムをマスターしている。


 私の瞳が、わずかに銀色に光る。

 概念魔法【最適化オプティマイズ】。


「この予算申請書、3ページ目の計算が合っていません。それと、この遠征計画はルートが非効率です。こちらに変更すれば、移動時間は半分、食費は3割削れます」


「…………は?」


 ガイルがペンを落とした。


 私は流れるような動作で、机の上の書類を「処理済み」と「ゴミ」と「緊急」の三つに分断していく。


「あ、それから団長さん。そのコーヒー、酸化して毒に近い味になっていますよ。今、美味しいのを淹れますから、一度椅子から離れてください」


「おい、待て。お前、魔力『5』じゃなかったのか……?」


「ええ、測定器がそう言っていましたから、そうなんじゃないでしょうか。ただの、無能の趣味ですよ」


 私は微笑み、彼を強引にソファへ押し込んだ。


 私の「概念魔法」は、もはや魔力という枠組みすら超えている。


 私が「美味しい」と定義すれば、泥水だって極上の雫に変わるのだ。





 一週間も経つと、第三騎士団の空気は一変した。


「なあ、知ってるか? アリシア様が庭を歩いた後、雑草が全部『ハーブ』に変わってたんだぜ」


「俺の折れた剣、アリシア様が『あら、かわいそうに』って撫でただけで、伝説の魔剣みたいな切れ味になっちまった……」


 騎士たちは、当初の警戒心をどこへやら、今では私を「生ける癒やしの女神」として崇拝し始めていた。


 だが、私はあくまで「サボるため」にやっているだけだ。


 効率化すれば、仕事が終わる。


 仕事が終われば、寝られる。


 至極、単純なロジックである。


「アリシア、お前……本当は何者なんだ」


 執務室のテラス。


 かつて死んだ目をしていたガイル団長が、今では艶の戻った顔で、私に尋ねた。


 彼の隣には、私が魔法(という名の概念改変)で用意した、最高級の寝椅子。


「ただの、疲れた元令嬢ですよ。団長さんこそ、最近よく眠れているようで何よりです」


「ああ、お前が来てから、悪夢を見なくなった。……不思議だな、お前のそばにいると、世界が正しく回っているような気がする」


「それは、私がいかに『手を抜くか』に全力を注いでいるからです。……あ、来ましたね」


 私の視線の先。


 騎士団の門を乱暴に叩き、煌びやかな鎧に身を包んだ一団がやってくる。


「ガイル団長! そこの無能な聖女を引き渡せ! 」


 第三騎士団の腐りかけた門を蹴破る勢いで、エリオット王子が踏み込んできた。


 背後には、最新の白銀鎧に身を包んだ第一騎士団の精鋭たちが並んでいる。

 かつてなら、この威圧感だけで第三騎士団の面々は平伏していただろう。


 だが、今の彼らは違う。


 アリシアが「ついでに」磨き上げた鎧は鏡のように輝き、彼女が「ついでに」調整した呼吸法によって、その立ち姿は山のように揺るがない。


「殿下、当団に『無能な聖女』はおりません。ここにいるのは、我々の平穏を守る大切な『事務員』だけです」


 ガイル団長が、片手で書類を弄りながら冷淡に言い放つ。


 その手には、アリシアが淹れた最高級のハーブティーが握られていた。


「黙れ! 街では『第三騎士団の装備が神話級に化けた』だの『枯れた庭に黄金のリンゴが実った』だの、出鱈目な噂が流れている! それが彼女の仕業でないとでも言うのか!」


 王子が私を指差す。その指先が、わずかに震えているのを私は見逃さなかった。


 1000回見てきた。彼は、理解できない強者を前にすると、いつもこうして虚勢を張る。


「……あら、殿下。お久しぶりですわね。一週間ぶりかしら?」


 私はハンモックから優雅に降り、一歩、王子の方へ歩み寄った。


「貴様……! 魔力値『5』などという嘘を吐きおって! その力を王家のために使えば、貴様の罪を許してやろうと言っているのだ。さあ、来い。カレンの教育係として、その奇妙な魔法の理論をすべて書き出せ」


「理論、ですか。……困りましたわ。私の力は『理屈ロジック』ではなく、『結論コンセプト』なのですから」


 私はふぅ、と小さく溜息を吐いた。


 せっかくの昼寝を邪魔された不快感が、私の周囲の空気を歪ませる。


「殿下。一つ、実験をしてみませんか?」


「じ、実験だと……?」


「ええ。あなたが信じて疑わない『物理法則』という名の物語が、どれほど脆いものか」


 私は、指先で空中に小さな円を描いた。

 概念魔法【物語の校正スクリプト・エディット】。


「――今、この場所において、『重力』という設定を削除します」


「なっ……!?」


 次の瞬間、王子の体が、そして彼が連れてきた精鋭たちの体が、ふわりと地面から浮き上がった。


悲鳴が上がる。鎧の重さも、剣の重さも、すべてが「ゼロ」になった空間で、彼らはまるで宇宙を漂うゴミのように手足をバタつかせた。


「な、何だこれは! 魔法陣も、詠唱もなしに……!? 離せ! 降ろせ!」


「お静かに。まだ『校正』の途中ですわ」


 私は浮かび上がった王子の目の前まで、空中を歩いて近づいた。


 1000回の人生で、私は重力に逆らう方法など、呼吸をするより簡単に覚えてしまった。


「殿下。あなたは私を『道具』として、あるいは『悪女』として、自分の都合のいいように定義してきましたわね。でも、残念。今の私は、あなたの物語の登場人物ではないのです」


 私は王子の額に、冷たい指先を当てた。


「私の前で、二度と『命令』を口にしないで。さもないと……あなたの存在そのものを、この世界の歴史から消去して差し上げますわよ?」


 王子の瞳が、恐怖で白濁する。


 かつて私が壊した、あのループの中の王子と同じ顔。


 だが、今世の私は優しい。壊す前に、ちゃんと「ゴミ捨て場」へ返してあげる。


「――再定義。重力、復元。ただし、王子一行のみ『摩擦係数ゼロ』」


 パチン、と指を鳴らした瞬間。


 王子たちは地面に叩きつけられ、そのまま止まることができずに氷の上を滑るように、騎士団の門の外へと凄まじい勢いで射出されていった。


「うわあああぁぁぁ……!?」


 遠ざかっていく悲鳴。


 後に残ったのは、静まり返った第三騎士団の庭と、呆然と私を見つめる団員たちだった。





「……やりすぎたんじゃないか、アリシア」


ガイル団長が、ようやく再起動したように口を開いた。その顔には、呆れ半分、感心半分といった表情が浮かんでいる。


「あら、掃除の手間が省けたと思ってくださいな。あの方たちがいると、空気が澱みますもの」


 私は何事もなかったかのように、再びハンモックに身を沈めた。


 だが、今度は団長が私の隣までやってきて、ひょいと私を抱き上げた。


「ちょ、ちょっと、団長さん!? 何を……」


「働きすぎだ。いや、暴れすぎか。とにかく、今日はお前の『事務仕事』は禁止だ。俺が飯を作る。お前はただ、黙って食って寝てろ」


「……団長さんが、料理を?」


「ああ。これでも昔は、野営で部下に振る舞っていたんだ。……お前が言う『高級な味』は出せないがな」


 連れて行かれたのは、騎士団の小さな食堂。


 そこには、騒ぎを聞きつけた団員たちが、なぜかそわそわしながら集まっていた。


「アリシア様、これ、実家から送ってきた林檎です! 食べてください!」


「こっちは、俺が市場で仕入れてきた一番いい肉だ!」


 皆、私に、何かを返したくて仕方ないようだった。


 1000回のループ。私はいつも、誰かのために「完璧な聖女」でいようとして、最後には裏切られてきた。


 けれど、今。私の目の前にあるのは、不器用で、泥臭くて、けれど混じり気のない「感謝」だった。


「……ふふ。変な人たち」


 私は、ガイル団長が差し出してきた、少し焦げた厚切りトーストを一口齧った。


 概念魔法で味を変えるまでもない。


 小麦の香ばしさと、バターの塩気。そして、誰かが自分のために作ってくれたという事実。


「美味しいです。団長さん」


「……そうか。なら、明日も作ってやる」


 窓の外には、穏やかな夕日が差し込んでいた。


 王宮では今頃、摩擦のない地面を滑り続ける王子が大騒ぎになっているだろうが、そんなことは知ったことではない。


 私は、ようやく手に入れたのだ。


 「世界を救う」という重荷を脱ぎ捨て、「ただの私」として愛される場所を。


「団長さん。私、明日もサボりますわよ? 徹底的に」


「ああ、許可してやる。その代わり、昼寝の時は俺の隣にいろ。……お前のそばは、よく眠れるからな」





 王都のメインストリートは、未曾有のパニックに陥っていた。


「ど、退け! どけと言っている! 止まらんのだぁぁぁ!」


 第一王子エリオットは、時速四十キロほどの絶妙に速いスピードで、石畳の上を滑り続けていた。


 アリシアに「摩擦係数ゼロ」を定義された彼の体は、空気抵抗すら無視しているかのように、つるつると、しかし確実に、王都の坂道を滑走していた。


「殿下! お掴まりください!」


 忠誠心の高い騎士が彼を止めようと手を伸ばすが、指先が触れた瞬間に、氷の上の石鹸のようにエリオットの体は「シュルリ」と加速して逃げていく。


「触るな! 加速する! 触れるたびにベクトルが狂うのだ!」


 彼は叫びながら、噴水の周りを三周し、そのまま八百屋の屋台へと突っ込んでいった。


 ガシャーンという派手な音とともに、色とりどりの野菜が宙を舞う。


 しかし、エリオットは止まらない。


 トマトの汁でさらに滑らかさを増した彼は、もはや「高貴な王子」ではなく、「赤く染まった不審な回転体」と化していた。


「……あれが、次期国王陛下?」


「アリシア様を追放したバチが当たったんじゃない?」


 民衆の冷ややかな視線が突き刺さる。


 かつて彼が「正義」の名の下にアリシアを断罪した時、彼女が浴びていた視線よりも、それは遥かに残酷で、滑稽なものだった。


 その頃、王宮の奥。


 カレンは震える手で、アリシアが残していった「聖女の執務机」に向かっていた。


「な、なによこれ……文字が、読めない……!?」


 アリシアがいなくなった瞬間、王宮の結界を維持していた複雑な術式が、本来の「解読不能な古文書」の姿に戻ってしまったのだ。


 アリシアは1000回のループの中で、これらすべてを「自分が読みやすいフォント」に書き換えて運用していたのである。


「アリシア様なら、一瞬で終わらせていた仕事ですわよ? カレン様」


 侍女たちの冷たい声。


 これまでアリシアの「超効率化」の恩恵にあずかり、定時で帰れていた職員たちは、今や山積みの書類(それも解読不能なもの)を前に、カレンへのヘイトを募らせていた。


「いやあああ! 私、こんなの知らない! 王子! 王子を呼んで!」


「王子なら、今さっき市場の裏のドブ板を三往復ほど滑っていかれましたわ。当分、戻られないかと」


 数日後。


 ようやくアリシアの魔法が解けた時、エリオット王子は王都から三十キロ離れた、肥溜めの真ん中で止まっていた。


「……は、離せ……私は、王子だ……」


 泥と悪臭にまみれ、見る影もなくなった彼は、救助に来た騎士たちに震える声で命じた。


 だが、その瞳には光がない。


 彼は、自分が滑り続けていた数日間、一度も「摩擦」という世界の恩恵を受けられなかった恐怖が、骨の髄まで染み付いてしまったのだ。


 今や彼は、ツルツルした床を見るだけで「ひっ……!」と短い悲鳴を上げて失禁し、絨毯の上でなければ一歩も歩けない体になっていた。


 当然、そんな「歩行すらままならない臆病者」に、王位を継ぐ資格などない。


 今や王都の語り草は、「聖女アリシアの奇跡」と「肥溜めに突っ込んだ滑る王子」の二択である。


 彼のこれまでの輝かしい実績(その大半はアリシアの代筆によるものだったが)は、たった数日の「スライディング」によって、綺麗さっぱり、世間の記憶から上書き消去されてしまったのだ。


 一方その頃。


 第三騎士団の暖かいテラスで、アリシアはガイル団長の膝を枕に、幸せそうな寝息を立てていた。


「……ん、団長さん……。事務処理の続きは…明日…します……」


「……寝言でまでサボりの交渉か。お前らしいな」


 団長は苦笑しながら、彼女の髪を優しく撫でる。


 そこには、物語の一行目も、最後の一行も存在しない。


 ただ、永遠に続くような、穏やかな「中休み」があるだけだった。



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