魔物、襲撃
馬車の車輪が土の道を軋ませ、セシリアとレノーラ、騎士のガレンを乗せてダックス辺境伯領へと進んでいた。
ガレンは辺境伯領に行く予定があり、目的地が同じだからと乗合馬車へと乗せられていた。
つまりは、ギルドマスターの計らいだった。
窓の外には、荒々しい岩場とまばらな木々が広がり、遠くに薄暗い森の輪郭が見える。
セシリアは膝の上で祖母メリダの手紙を握りしめ、胸の内でざわめく不安と向き合っていた。ダックス辺境伯領は、魔物が跋扈する危険な地と聞いていた。それなのに、祖母はなぜこの選択肢を彼女に示したのか。
手紙の言葉が頭を巡る。「貴族たるもの、自分で判断し、自分で責任を持つ」。
その言葉が、セシリアを奮い立たせると同時に、未知の試練への恐怖を煽った。
レノーラは馬車の隅でリュートを膝に置き、軽く弦を爪弾いていた。
彼女の赤い瞳は窓の外を眺め、どこか遠くを見ているようだった。
リュートに宿る精霊のルートは、
「フム、ワガハイの勘では、そろそろ何か面白いことが起きそうじゃな」
と偉そうに呟いていた。
レノーラがふと口を開いた。
「お嬢様、ビクビクしてるわね。辺境伯領は確かに魔物が出るけど、怖がってても始まらないわよ。準備はできてる?」
彼女の声はそっけなく、しかしどこか試すような響きがあった。
「準備って…何を?」
セシリアは眉をひそめた。レノーラはニヤリと笑った。
「まあ、生きてれば分かるわよ」とだけ答えた。
その軽い態度に、セシリアは内心ムッとしたが、反論する余裕はなかった。
馬車はすでに辺境伯領の境界に近づいており、空気には何か異様な緊張感が漂い始めていた。
突然、馬車がガタンと大きく揺れた。
「何!?」
セシリアが声を上げると、馬車の外から低いうなり声が響いた。
御者が慌てて叫んだ。
「魔物だ!ワイルドボアとビッグラットが群れで来てるぞ!」
セシリアの心臓が跳ね上がり、窓から外を見ると、巨大なイノシシのような魔物ワイルドボアが突進してくるのが見えた。その背後には、異様に大きなネズミの魔物ビッグラットが十数匹、鋭い牙を剥き出しにして這うように迫っていた。
ワイルドボアの剛毛は鋼のように硬く、突進の勢いは馬車を簡単にひっくり返しかねなかった。
ビッグラットは素早く動き、鋭い爪で辺りを引っ掻く音が耳障りだった。
「ひっ…!」
セシリアは思わず悲鳴を上げ、手紙を握り潰しそうになった。
レノーラは冷静にリュートを手に取り、
「お嬢様、騒がないで。耳を塞いでなさい」
と一喝。
彼女の赤いドレスが馬車の狭い空間でひるがえり、窓から身を乗り出した。
だが、その前に、馬車に同乗していたもう一人の人物が動いた。
革鎧に身を包んだ若い剣士、ガレンだった。
彼は無骨な剣を手に、馬車の扉を開けて飛び出した。
「俺が時間を稼ぐ!吟遊詩人、援護を頼む!」
彼の声は力強く、辺境伯領出身らしい粗野な訛りが混じっていた。
「へえ、なかなか頼もしいじゃない」
とレノーラが呟き、リュートを構えた。
彼女の指が弦を弾くと、荘厳で重い旋律が響き渡った。「退魔の歌」だった。
低く、魂を揺さぶるような音色が空気を震わせ、ワイルドボアの突進が一瞬鈍った。ビッグラットも動きを止め、虚ろな目でその場に立ち尽くす。
剣士はそれを見逃さなかった。
「今だ!」
彼は剣を振り上げ、ワイルドボアの脇腹に深く斬り込んだ。魔物が咆哮を上げ、血を撒き散らしながら倒れる。
セシリアは馬車の中で震えながらも、レノーラの歌に引き込まれていた。その旋律は、まるで魔物の魂を縛り付ける鎖のようだった。
ルートが
「フム、ワガハイの相棒の歌はいつも見事じゃ!」
と得意げに言うが、レノーラは
「黙ってなさい、爺さん」
と一蹴。
剣士はビッグラットを次々に斬り倒し、レノーラの歌が魔物の動きを封じる間に、群れを一掃した。
戦闘は短く、しかし激しかった。
馬車の周りは魔物の血と土埃で汚れ、剣士の革鎧には新たな傷が刻まれていた。
「…終わったか?」
剣士が息を切らしながら馬車に戻ってきた。彼の顔は汗と血で汚れていたが、どこか満足げだった。
「お前、吟遊詩人だろ?噂通りの実力だな。俺はガレン、辺境伯領の冒険者だ。よろしくな」
彼はレノーラに軽く手を差し出し、セシリアにも視線を向けた。
「お嬢さん、大丈夫か?顔が真っ青だぞ」
セシリアはまだ震えていたが、プライドが彼女を奮い立たせた。
「だ、大丈夫よ!クレイモア家の令嬢が、こんなことで怯むわけないわ!」
彼女の声は震えていたが、ガレンはくすりと笑い、
「へえ、気概はあるな。辺境伯領まであと少しだ。もう魔物は出ねえよ」
と答えた。
辺境伯領まで、あと少し。セシリアの胸が高鳴った。




