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9 井戸川家

 1945年10月1日月曜日


 平太は先週お世話になった「親方」から仕事をもらえることになっており、本日から本格的に宮崎市へ出勤が始まった。それを見越して親方は平太に自転車を譲ったのだ。徒歩での移動よりもはるかに時間の短縮になった。


 朝はもう随分と冷える。

 ミカは朝起きて、土間の釜戸に火をつけることが最近の楽しみになっていた。

 焚き付けに細い枝を敷き、少し太めの枝をその上に乗せる。細い枝の間に紙切れを軽く丸めて差し込む。マッチに火を灯して紙切れにその火を移す。パチパチと音を立てて火が広がっていく。

 その音を聞いて、平太が目を覚ましてくるのが朝の流れだ。


 囲炉裏には炭化したものを火種として置く。そこによく乾燥させた太くて短い薪を置くとじわじわと火種の火が薪に移り、静かに燃えるため燃焼時間が長くなる。立ち上る煙も少ない。


 からいもの収穫が最盛期となる。

 ミカは小屋に住みだしてすぐ、小屋の横に畑を作りそこにからいもの蔓を植えた。小さい畑なので少量だが、日々の食事に困らない程の量は獲れそうだ。

 田代家は大々的にからいも畑を作っており、今日からミカも収穫の手伝いに行く。


 山はすっかり秋だ。

 見上げる空には鰯雲がかかり、青くて高い空に木々の紅葉や黄葉が映える。

 少しずつ日が短くなってきた。

 平太が帰る頃にはもう辺りは薄暗くなっている。

 

 

 10月11日木曜日 18時頃

 

 「ただいま」

 仕事を終え、平太が帰宅した。ミカは夕飯の支度中だ。

 

 「おかえり平太。お風呂沸いちょるよ」

 いつもと変わらないミカに相対して、平太は浮かない顔をしている。

 

 「ミカ・・・」

 といつになく真剣な表情でミカを呼ぶ平太。

 

 「ん?」

 振り返って平太の事を見るミカ。ミカは気付いた。

 

 ──平太私の顔やなくて傷を見ちょる・・・

 

 何かを話し出そうとした平太は

 

 「・・・いや、何でもない。お風呂、先にいただくね」

 やはり話すのをやめた。

 

 「・・・うん」

 少し暗い表情の平太を見て、ミカは何かを感じ取った。

 

 ──平太。もしかして・・・


 夕食の後、食器を洗いミカは風呂に向かう。その間に平太は二人分の寝床の準備をする。ミカが風呂から上がり、居間に二人が揃うと、いつもなら囲炉裏の火を眺めながらその日にあったことをあれやこれやと話す。

 だが、今日は少し空気が重い。平太が何も話さないのだ。

 

 「平太」

 たまらず、ミカが口火を切った。

 ミカが布団の上に正座する。

 

 「今日、なんかあったと?」

 平太は何も言わず、囲炉裏の火を眺めている。

 少し赤く照らされた平太の横顔。真剣な眼差しの先に見据える小さな炎。

 

 ──ああ、平太。やっぱり


 「今日ね」

 平太が重い口を開いた。

 

 「橘通りから東側、駅とか港の方の片付けに行ったんだよ。そこで広い敷地の瓦礫を片付けたんだけど。親方が言うには空襲の前そこには」

 平太がミカの方を見る。

 

 「井戸川家の屋敷があったって」


 井戸川家の始まりは、井戸川 とら太郎という男からだ。

 1859年に高鍋町に生まれ、幼い頃より商いの才があり25歳で宮崎町(現在の宮崎市)に土地を購入、呉服店を開業。35歳の時に石油製品の取り扱いを開始。井戸川呉服店を井戸川商店へ屋号変更をし、75歳の時に県内初のガソリンスタンドを開業させる。

 

 1938年、息子に井戸川商店社長の座を譲る。2代目からは、自動車の普及に伴い石油取り扱い業を中心に大成功を収める。

 現在にも続く井戸川商事の沿革である。

 

 「大きなお屋敷があったんだって親方が言っていた。今日は地元の方も一緒に瓦礫を片付けたんだけど、そこで井戸川家の二人の娘の話を聞いたんだ」


 2代目井戸川虎太郎には1男2女がおり、長男が将吾、長女が朝子、次女が小夜と言った。

 長男と長女は2歳差、長女と次女は9歳の差があった。

 歳の離れた妹を、将吾も朝子もそれはそれは可愛がった。

 将吾は19歳の時に事業拡大のため満州へ渡り、朝子は取引先との縁談があり、17歳で嫁いだ。小夜8歳の時だ。

 

 持て余す程大きな屋敷の中で、小夜は自由奔放に育った。

 両親はほとんど仕事で家におらず、家で好き勝手振る舞う小夜を戒めるような立場の人間はいなかったのだ。

 

 時折家に帰ってくる両親も兄将吾も小夜を蝶よ花よと持て囃し、好きなだけ調子付かせてまた次の日には家から姿を消す。小夜は何をしても怒られたことなどなかった。

 

 しかし、姉の朝子だけは違った。

 

 小夜が10歳になる頃から、週に1度実家に帰ってきては小夜のわがままを叱り、傲慢な態度を責めた。

 時には座敷に小夜を呼びつけ、正座で向き合い2時間を超える説教をしたこともあった。

 実の姉からの度重なる厳しい躾に、流石の小夜も逃げ出してしまうこともあった。

 だが、どこに隠れようが姉は必ず小夜を見つけ出して家に引っ張って帰るのだった。

 

 そんな折

 1945年3月18日日曜日

 宮崎県内で初の空襲があった日。

 家から抜け出した小夜を追って朝子が家を出て以降、二人が家に帰ることはなかった。

 

 

 「作業をしている時に、その話を聞いて。二人について色んな目撃談もあったようなんだけど、誰も二人の行方を知らないんだって」

 平太の話をミカは静かに聞いていた。正座をしていたが足を崩し、膝を抱えて囲炉裏の火を見ていた。


 ──やっぱり、平太は気づいたんやね。


 「・・・それで平太は、その小夜って女の子が私なんやないかって思っちょっとやね」 

 囲炉裏の火を見たままミカが言った。

 

 「目撃談の中には、小夜さんは顔に大怪我を負っていたって言うものもあって。

 ・・・その。でも」

 

 ミカの過去には立ち入らない。平太はそう決めていた。

 だが、日中に聞いた小夜の話は不憫で、もしミカがいなくなった小夜なのだとしたら、17歳になったばかりの少女が1人で抱えるにはあまりにも残酷な運命である感じた。

 何か手助けになれればと思ったが、ミカに過去を振り返らせることになることも、それがいかに酷なことであるかも平太にはよく分かった。

 

 「ふう。ちょっと冷えてきたね」

 ミカが立ち上がって土間に向かった。

 

 「平太。お湯沸かすかい、お茶飲も」

 

 「う・・・うん」

 ミカは鉄瓶に水を入れると五徳をもってきて囲炉裏に置き、鉄瓶を乗せた。


 「確かに、その話やと小夜は私と同じ歳やし顔に傷もあるってことになるね」

 ミカが赤く燃える炭を見ながら穏やかな表情で言った。

 

 「ミカ、いいんだよ。気になっただけで、別に小夜さんを探したい訳じゃなくて」

 

 「わがままなお嬢さんが出先で空襲にあって、帰ってこんかったって悲劇」

 

 「もういいよ、変なこと話して悪かった」

 

 「帰ってこんで、誰か心配したんやろうかね。性格悪かったんやろ小夜は」

 

 「ミカ本当にごめん、もういいから」

 

 「違うとよ。

 

 家に帰らんかったんやなくてね

 

 家にはもう帰れんかったと」


 ミカはゆっくりと平太の方を見た。


 「それって・・・その・・・つまり・・・」


 「そうよ。私のこと。


 私が・・・

 

 私が、井戸川小夜」


 鉄瓶から勢いよく湯気が吹き出し始めた。



参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 

社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事

廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像

みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか

NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌

Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶

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― 新着の感想 ―
情景描写がとても丁寧で戦後の空気感がすごく伝わってきました。 平太とミカの掛け合いがとても自然で、少しづつ距離が縮まっていく様子、お互いを想う気持ちが読んでいてじんわりと胸に沁みました。 この時代背景…
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