7 夢
波の音
潮の香り。
かもめの鳴き声
──ここはどこだ?
ミカは少しずつ目を開いてみる。
青い空が目に飛び込んでくる。
──そうだ。私海に来てたっちゃ。
・・・なんで海に来たんやっけ?
胸がモヤモヤする。
海に来る前、何か嫌な事があって。それから
・・・それからどうしたんやっけ?
何も思い出せない。
上体を起こしてみると、そこは港で船着場の端の方のコンクリートに寝転んでいた事が分かった。海もやっぱり青い。
ミカは女学校の夏用の制服を着ていて、サンダル履き。
──家から抜け出して来たみたいやな。
思い悩んだり、何か嫌な事がある度にミカはこの港に来ていた。
家から抜け出してこの港に来た時は大概家の玄関にあったサンダルを履いた。
「小夜」
ミカが振り返ると、いつの間にか姉がそこに立っていた。逆光なのか顔はよく見えない。
「お姉ちゃん・・・」
「駄々こねちょらんで、さっさと帰るよ」
──駄々?ああ、駄々こねちょったんや私。それで海に来たのか。
「うん、分かった」
ミカは立ち上がって姉の背中について歩き出した。
姉は怖い。
ミカはそう思っている。
年が離れているせいか、小さい頃はよく遊んでもらったが、ミカが尋常小学校高学年になった頃から、姉はミカの躾に少し異常なほど厳しくなった。
ミカが何か気に入らないことがあって、拗ねて駄々をこねても、姉が出てくればおしまい。
どんな言い訳も通用しないからだ。
「それでお姉ちゃん、私どんな」
どんな理由で駄々をこねていたのか聞こうとしたその時、敵機来襲を伝えるサイレンが港に鳴り響いた。
ミカは驚き、咄嗟に耳を塞いで身を屈めた。
──この音嫌いや
身を屈めようとした拍子に、足を滑らせてミカは海の方に体が倒れた。
「小夜!」
姉がミカに向かって手を伸ばす。
「お姉ちゃん!」
ミカも手を伸ばす。
グラマン機が姉の頭上高く街の方へ飛んでいく。
姉の姿はどんどん遠のきミカは海に落ちた。
ミカはゆっくり目を開けた。
「なんちゅう夢や」
そう言うと上体を起こした。
胸がドキドキしていて、少し汗もかいている。
家の掃除がひと段落して、ほんの少し居間で横になったまま眠ってしまったのだ。
「海に落ちたことなんかないのに」
平太が帰らないまま、今日で3日になった。
ミカは、平太の記憶が戻ったら、平太はこの家には帰って来ないだろうと思っていた。
平太の帰りを待つ家族がいるかもしれないし、お付き合いしていた人もいるかもしれない。結婚していて、奥さんやお子さんが待っているかもしれない。
だから、平太の記憶が戻ったらこの家に引き留めることはしないと決めていた。
そしてこれだけの間帰ってこないのだから、おそらく平太の記憶は戻ったのだとミカは思っていた。
今日は9月26日。
ミカが平太を助けたあの雨の日から丁度3週間が経った。
「2週間とちょっとの間、体の調子が戻るまで一緒に暮らしただけ。もし、彼女さんか奥さんがおったんやったら私の事は話しなんなよ。女の嫉妬は怖いっちゃかいね平太」
玄関の方を見てミカは言った。言ってみて
──あ、もう平太やないんやったね
と思った。そして
「元気でね」
と小さく言った。
「ふう。どら、晩ご飯でも作ろうかね」
今日の夕食
ふかし芋
漬物
──質素やな
ミカは昨日まで(平太が出ていってから2日間)は2人分の食事を準備していた。
だが、それももう今朝からやめた。
── 一人やとご飯作るのも張り合いないな
そう思ってふかし芋を口に運んだ。
──芋を蒸しただけやけど、平太はうまいうまいって言って食べるんやろうな
なんだか、芋の甘みを感じないミカなのだった。
「そうそう、今日ね。久しぶりにお姉ちゃんの夢見たとよ。それが変な夢やってさ。私海になんか落ちたことないとにね・・・海に・・・落ちたとよ・・・」
ミカが黙ると、家の中は一層静けさを増した。
──・・・・
「いや!いかんいかん!暗くなったらいかん。大丈夫。元々一人やったちゃかい。うん」
ミカは意識して大きな声で、自分を励ました。
「よし、明日はご馳走食べよう。それがいい。田代さんから卵もらって、ご馳走作ろう」
翌日
ミカは前日の宣言どおり、田代さんの畑仕事を手伝い卵を分けてもらった。
この時代、卵は店でも買えたが、大半の家庭でニワトリを放し飼いにしており、卵は直接ニワトリから調達していた。ニワトリが飼えない家庭は飼っている家から穴あきやひび割れなどのB品を格安で譲ってもらっていた。
田代夫妻の家には比較的大きな鶏舎があり、A品の卵は業者に売り、B品の卵は近隣の住民に無償で分けていた。
「ふふふ。いつもは朝その日の分のお米を炊くっちゃけど、今日は朝と昼ふかし芋で我慢して夜炊いた!」
炊飯ジャーが一般的に普及し始めたのは1960年以降のこと。この頃の炊飯はその日に食べる分の米を朝まとめて炊いていた。したがって夜は基本的に冷飯となる。そのため、熱い汁は夕飯には欠かせなかった。冷飯に熱い汁をかけて食べていたのだ。
「熱々の白ごはんに、新鮮な卵を乗せて・・・」
今日の夕食
卵かけご飯
卵焼き
みそ汁
漬物
「はぁぁ、芸術的や!最高の色味や!」
ご飯に乗った生卵を見て、ミカは少々興奮している。
「ここに醤油を少し垂らして、いただきます」
ご飯をかき混ぜてささっと口に流し込んだ。
「うまい!手は込んでないけど、これに勝るご馳走はない!今日は卵焼きも作ったかいね。正月が来たみたいに贅沢や」
おいしい卵料理に、少し元気をもらったように思うミカだった。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか