6 いもあめ
平太と田代が代参として北郷村(現美郷町)宇納間神社に向けて出発した後、男衆は畑仕事に戻った。
婦人会のメンバーは、これから明日、明後日と催される宴の準備に取り掛かることとなる。
社日講は春分の日と秋分の日に行われ、本来ならば宇納間大祭が行われる春、春分の日に合わせて代参するのが決まりだが、前項で述べたとおりこの年は春分の日の社日講は中止となっていた。
そのため、秋分の日に合わせて代参に出かけたのだ。
つまり、明日は前夜祭、明後日の秋分の日を本祭としていた。
ちなみに、前夜祭の会場は代参を務めるものの家で行うというのがこの集落の暗黙のルールだった。
婦人会のメンバーは各々田代の家に向かって移動を開始した。
田代夫人がミカの横で
「これから婦人会のみんなでご馳走作りやけど、あんたは私から離れなさんな」
と小声で伝えた。
はいと返事をして、ミカは田代夫人に連れ立って歩き始めた。
田代宅では、台所(土間)の中を大勢の人が行き交い、着々と宴の準備が勧められていた。
婦人は的確に人に指示を出し、自らもテキパキとよく働いた。
ミカは言われたとおり、夫人の横に張り付いて、その手際を盗もうと必死になった。
昼の休憩時間、ミカが休憩のため土間から外に出ようとしたところ、婦人会のメンバー数人が先に外で休憩をとっているところだった。
「しかし田代さん、あんな若い男の知り合いがおったなんてね」
「背も高えして、カッコよかったわ」
「ミカちゃんって言うたっけ?あん子とはどういう関係やっちゃろうかね」
「さあ、あん子も半年ばっかい前にここにきたがね。そん時は一人やったごたるけど」
「聞いてみたいっちゃけど、ずっと田代さんが横についちょって聞けんとよ」
という会話が聞こえてきた。
──ああ、おばさんが近くを離れんように言ったのは、みんなからあれこれ詮索されんように考えてくれたっちゃ。
かっこよ
とミカは田代夫人の背中を憧れの眼差しで見つめるのだった。
婦人会のメンバーには、夫人が折を見て平太は夫人の遠い親戚筋にあたるのだと誤魔化したことで、ことなきを得た。
「おばさん、宇納間さんまではどんな道を通っていくと?」
ミカが皿を洗いながら田代夫人に聞いた。夫人は竈門の前に腰掛けを持ってきて休憩をとっているところだ。
「宇納間さんねぇ。とにかく遠いとよ。と言っても代参に行くのは男衆ばっかいやかい、詳しい道は知らんとやけどね。
薩摩往還って知っちょる?」
薩摩往還とは、福岡県太宰府から豊後(大分県)を経由して日向国府(現宮崎県西都市)に至る豊後街道を国富町、高岡町、都城市と通って鹿児島県にまで伸ばした街道のことだ。
戦国時代にはすでに使われていた街道で、当時の街道筋には立派な松並木があり、行き交う旅人に影を掛けていた。今となっては文字通り、その影は見当たらない。
「この集落の裏山を登ったら、そん薩摩往還に出るかい、それを北に向かって歩く。
西都を越えて木城に着いたら、小丸川沿いに西に進む。ずっとよ。
そしたら水清谷川って川と別れるかい、水清谷川を伝って北上。
山を越えたら西郷田代に出る」
「田代!」
「そう、田代。田代川って川を遡上すると耳川につながって、耳川を渡って和田って峠を越えると、そこは宇納間さんよ」
「ながっ!」
片道120キロメートルに及ぶ果てしない道だ。
「平太・・・そんなに歩いて大丈夫やろうか」
ミカが心配そうな表情になった。
「おばさん、お願いがあるっちゃけど・・・・」
9月22日土曜日
時刻は16時を回った。西日となった田代宅前の畑の畔にミカは立っている。
代参の二人はまだ帰ってこない。集落に通っている道は東に伸びていて、その先は佐土原町。
当時、生活物資の調達は宮崎市よりも佐土原町で購入することが多かった。平太と酒好きな田代は佐土原町経由で買い物をして帰ってくることになっていた。
東の山を見つめて、ミカが必死に平太の無事を祈った。
17時まで畑の畔で二人の帰りを待っていたが、見かねた田代夫人に家の中で待つように言われ、ミカは渋々家の中に移動した。
19時
「帰ったどー!」
玄関の扉が開く音と共に、威勢の良い田代の声が響いた。
ミカは急いで玄関に向かう。
玄関では宴会を待ちきれず、男衆が二人の帰りを通りで待ち伏せていたようで、田代が男衆と
「ああ、あそこは変わっちょらんかった」
「そこは橋ができちょったかい、橋を渡ったわ」
などと話している。
「おじさん!」
会話を遮ってミカが田代に言った。
「へ・・・平太は?」
「おお、ミカちゃん。帰ったど。そんげ心配そうな顔しなんな。
ほれ、平太くん。入らんね」
田代に促されて平太が玄関の敷居を跨ごうと姿を見せた。
「平太!」
ミカは裸足のまま敷居まで駆けた。
平太の胸にしがみつき
「遅いが、バカ!」
と涙声で叱責した。
平太は困ったように
「ごめんごめん、ちょっと帰りに色々と・・・」
困った表情で頭を掻きながら平太が言った。
平太の肩に田代が手を置いて
「平太くん。あのことは、ちゃんと自分の口で言うとぞ」
と諭すように言った。
ミカが顔を上げて
「あのこと?」
と聞いた。
「うん、実は宇納間さんで平太くんはミカちゃんにお土産のいもあめを買うたとよ。
帰りに佐土原の街に寄ったら、2〜3人の浮浪時を見かけて。
一旦は通り過ぎたっちゃけど、平太くんがさっきの子たちはひもじそうな顔しちょったって言って、また引き返してよ。
そん子らにいもあめを全部やってしもたとよ」
「田代さん、それ僕が言うやつ・・・」
「あ、ごめん。全部喋ってしもた」
「もう、田代さんったら!
そう言うわけで、ごめんミカ。お土産は無くなってしまったよ」
平太がそういうと、ミカは俯いて肩を振るわせた。
ミカの逆鱗に触れたと思い平太は慌てて
「あの、こ・・・今度また買ってくるから・・・」
としどろもどろにミカに話しかけた。
「ぶっ!あはははははは」
ミカは笑いが吹き出してしまった。
「ミ・・・ミカ?」
「あはは。そうやっちゃ。そんなことがあったっちゃね。平太らしいわ」
鼻から大きく息を吸って、呼吸を整えて
「良いことしたっちゃね、平太」
と満面の笑顔で平太を見た。
「おかえり、平太」
ミカの笑顔を見て平太は安心したように表情になり
「ただいま、ミカ」
と笑顔で答えた。
二人のやりとりを見ていた男衆から、甲高い冷やかしの声を浴びる二人なのであった。
その夜は代参二人を囲んでの盛大な前夜祭が行われた。
社日講のごちそう
ばらずし
ふかの湯がき
煮しめ
煮豆
みそ汁(ふだん草、油揚げ)
男衆から次々に酌を受けていた平太だったが、男衆が引いたタイミングを見て田代夫人が酌をしに現れた。
夫人は正座で平太の前に座り
「この度は、お勤めご苦労様でした」
と言って酒(この辺りではもっぱら焼酎)を平太のおちょこに注いだ。
平太もその酌を正座で受けた。
「平太さん、今夜の料理はどんげね」
夫人が平太の膳を見て言った。
「どれも美味しいです。特にこのみそ汁が美味しかったです」
「それ、ミカちゃんが平太さんに飲まさんといかんって言ってね。作らせてくださいって頼んできたとよ。普通今日みたいな晴食にみそ汁はつけんちゃけど、今日は特別よ」
と夫人は笑みを浮かべた。
「そうですか、ミカがこれを」
平太は土間で皿を洗っているミカの背中を見た。
どの料理も本当にお美味しかったが、みそ汁の味はやはり平太の心に沁みたのだった。
「平太さん」
夫人から声をかけられて、平太はハッとして夫人の方を見直した。
「ミカちゃんのこと、泣かしたら許さんど」
真面目な顔で夫人が言った。
平太は背筋を伸ばして
「承知致しました」
と言って深々と頭を下げた。
「真っ暗やね」
ミカと平太は田代宅を出て、家まで歩いて帰っている。
「ほんと。ランプ借りて帰ればよかったね」
田代宅を出る時に夫人が灯油ランプを二人に持たそうとしたのだが、酔った田代が
「今夜は月が明りいかい、ランプはいらんが」
と言って持さなかったのだ。もちろんこれは、酔った年寄りのいらぬ計らいであり、ミカと平太以外の周囲はそれを瞬時に理解した。
「田代さんが言うほど月明るくないし。こうやって平太の裾持ってなきゃすぐ逸れるわ」
「そうだね、足元も気をつけなきゃね」
「ていうか平太、お酒飲めたんやね」
「ああ、そうみたいだね。いやー。楽しかった。やっぱりみんなが笑顔で過ごす時間って良いよね」
「みんなが集まること自体久しぶりやったと思う。
平太、ありがとう。代参引き受けてくれて」
「いや、こちらこそだよ。おっと」
と言う声と共に平太が急に足を止め、しゃがみ込んだ。
その拍子に平太の裾と逸れたミカは手探りで平太を探した。
「平太⁉︎どうしたと?大丈夫?」
「ああ、草履に小石が挟まって」
平太の声がした方に向かってミカが歩を進めると、すぐに平太の胸の辺りに額がぶつかった。
「わっ。ごめん、案外近くにいたんやね」
と言って平太と距離を取ろうとミカが後退しようとした時
「ミカ」
平太がミカの右腕を掴んだ。
「な・・・・なんね、平太」
「お土産、本当にごめんね」
平太の声が低く色っぽい。
「も・・・もうそれは良いかい」
──なんで急に腕掴むと?なんやとその声・・・
「それから、さっきのみそ汁、僕のために作ってくれたんだよね。美味しかったよ。ありがとう」
囁くような低い声がミカの耳にはくすぐったい。でもずっと聴いていたいような妙な感じになる。
「じ・・・じ・・・自意識過剰やが!平太のためだけやなくて、田代さんにも飲んでもらいたかったし」
「ミカ」
「や・・・やめんかその低音ボイス」
──おかしい、胸がドキドキする。このままこの甘い声で囁かれ続けたら私・・・私・・・
とミカが思った矢先
「もうあるけなあい」
平太の声が一気に裏返った。
草履に挟まった小石を取ろうとしゃがみ、立ち上がった瞬間に平太は強烈に酔いが回ったのだ。
ミカの腕を掴んでいた手から力が抜けていき、身をミカにもたれかけようとしている。
「ちょちょっ!ムリムリムリ!歩かんか平太」
「むうりい。きぶんわるうい」
「わ、もたれかかるな!こら!平太!!」
二人の大騒ぎが夜の森に響いた。
翌日
社日講本祭
畑仕事は休みとなり、神社への参拝を済ませ、公民館に集まって宴会が行われた。
昨日と同様のご馳走が並び、酒も大いに振舞われた。
が、ミカからきつく言いつけられたので、平太は酒を一滴も飲まなかった。
9月24日月曜日
早朝
ミカは朝食の支度のために布団から起き上がった。まだ薄暗い居間でミカは平太の布団がすでに畳まれていることに気がついた。
──平太、早起きやな。山菜でも取りに行ったんやろか
と特段気にも止めずに朝食の準備に取り掛かった。
だが
平太は帰ってこなかった。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像
みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか