5 出発前夜
田代夫妻宅から帰り、ミカは炊事場で鍋を火にかけている。
平太は風呂、便所、囲炉裏の周り等様々なところの掃除に取り組んでいた。
「結局、田代さんは飲み会がしたいだけやったっちゃね」
ミカが鍋を見たまま平太に言った。
「飲み会じゃなくて社日講ね」
平太が雑巾で囲炉裏淵の木枠を拭きながら答えた。
「一緒じゃ。結局お酒飲んで騒ぐんやから」
「まあまあ、そう言わなくても。僕は田代さんの気持ちわかるな。
ご近所との繋がりとか大事な気がするし、何より僕に大役を任せてくれることが嬉しい」
──それはこの辺りに若い男性が平太しかおらんからやから。
とミカは思ったが、声には出さなかった。
平太の表情からは嬉しさが溢れていたし、田代さんが同居を認めてくれて、この集落の一員として平太を迎えてくれたことに変わりはなかったからだ。
そう考えると、ミカもなんだか嬉しくなってきた。
「ま・・・まあ頑張んないよ。宇納間さんまでは遠いかいね。ごちそう作って待っちょくわ」
にやけてしまいそうになるのを堪えながらミカが平太に言った。
「ミカのごちそうが待っているんなら頑張れるよ」
笑顔で平太が答えた。
「じゃかい、簡単にそんなこと言うな!恥ずかしいじゃろ。
それにごちそうはこの辺の婦人会のみんなと作るっちゃかい、私の味付けじゃないとよ?」
「えぇ・・・それは残念・・・」
あからさまに残念がる平太を見て呆れる反面、やはり少し嬉しいミカなのだった。
9月20日木曜日
夜
囲炉裏の火を囲んで、ミカと平太は正座している。
「それでは」
とミカが言うと二人は同時に
「いただきます!」
と大きな声で言った。
今日の夕食は
白ご飯
みそ汁(わかめ、豆腐、油揚げ)
イワシの煮付け
人参の油炒め(根と葉を一緒に炒めたもの)
ふだん草の白あえ
「イワシだ。豪勢だねミカ」
白ごはんの茶碗を左手に持ち、右手の箸をイワシの煮付けに伸ばしながら平太が言った。
「まだ昼間は暑いから、魚を手に入れるのは大変やったとよ?ありがたく食べないね」
冷蔵庫のないこの時代、魚はカゴに入れられて行商が売りにきていたが、夏場はすぐ腐るため、冬場しか手に入らなかった。
ミカの苦労話を聞こうともせずに平太はイワシにかぶりついた。
「うわあ。美味しい。醤油と砂糖の甘辛い味付けとイワシの脂が合わさって最高だ。生姜の千切りのおかげでさっぱりした後味になって、いくらでも食べれる!」
「うまかろ。魚屋は遠いけど頑張って歩いて買ってきたっちゃかい。このか弱い私がよ?」
「人参の油炒めもうまい!葉の独特の風味がクセになる!」
「聞けて平太!」
白ごはんをかき込んで
「うまあ」
と悦に浸る平太の表情を見てミカは
──まあ、今夜はいいか。
といつにも増して話を聞かない平太を許すことにした。
豪勢な食事の訳は、明日平太が集落の代表として、宇納間神社に向けて出発することになっているからだ。
ミカは田代夫人から豪華な食事を食べさせなさいとの命をうけた。
「そういえば平太、お酒は飲むと?」
人参の油炒めを摘みながらミカが聞いた。平太もイワシを頬張りながら
「お酒?」
と返し
「実はわからないんだよね。飲んでたと言われればそんな気もするし、下戸だったと言われたらやっぱりそんな気もする。どうして?」
「いや、今日魚屋に行った時に酒屋の前も通ったんやけど、ふと思ってね。平太ってお酒飲むんかなって。飲むなら今度買っとくから」
「ありがとう。でもお酒は嗜好品だし、飲みたくなったら自分で買うよ。まだお金持ってないけど、働き出したら、そのうち」
「そうね、わかった」
家計のことを考えてくれている平太にミカは少し嬉しくなった。
「ミカは?何か好きなものある?」
「え?私?
・・・好きなもの・・・なんで?」
「ほら、明日から宇納間様に向けて出発するからさ。せっかくだしミカの好きなものをお土産に買ってきたくて」
代参には集落世帯分のお札を買ってくるという務めがあり、その旅費は集落全員で出資した。お札購入費以外で浮いた金は少額であれば代参が使っても構わなかった。
「そうやね・・・んー・・・」
ミカは考えるふりをした。答えは決まっていた。
お土産はいいから、平太に無事に帰ってきてほしかった。
だが、そんな小っ恥ずかしいことを言えるわけがなく
「いもあめ」
と本当に好きなものを答えた。
「あ、いもあめ。美味しいよね。縁日なんかでよく売られてるやつだね」
平太はミカの本心に気付いていない。
「うん、私いもあめ大好きやとよ。それこそ縁日で食べて好きになって」
気付かなくていいのだと自分に言い聞かせながら、ミカはいもあめのことをいかに好きかを語って聞かせた。
こんな話は、平太はうんうんと相槌を打って真剣に聞くのだった。
翌朝
「よし、じゃあ出発しようか」
田代が朝日に照らされて妙に格好よく見えた。
代参は平太と共に田代が行くことになった。
集合は集落の公民館。朝7時だが集落のほぼ全員が公民館に集まっていた。農村の朝は早いのだ。
「あんた、平太さんに迷惑かけんようにね」
田代夫人がきつく言う。
「わかっちょるが。平太君、よろしく頼むわ」
声を掛けられ、平太が田代の隣に来て
「よろしくお願いします」
と頭を下げた。
二人とも、戦時中に支給された国民服を着ている。
この村に若い男がいたなんてね
背も高いし顔もいい
今度挨拶にいかんとね
などと集落の女性衆からどよめきが起こる。
ミカは終始顎を引いて目線を下に向けていた。
平太はただの同居人なのだが、どうも周囲からの目線がミカにも向けられているようで恥ずかしかった。
「じゃあ、行ってくる!」
大きな声で田代が宣言し、田代と平太は歩き始めた。
小さな背嚢を背負った平太の後ろ姿に、ミカは一抹の不安を感じた。
──平太、国民服着ちょったら本当に兵隊さんみたいじゃ。
昔の記憶が戻ったら、平太はまた兵隊さんに戻るんやろうか・・・
兵隊さんに戻っても、うちに帰ってきてくれるんやろうか・・・
もしかして・・・そのまま・・・
「平太!」
ミカは大声で平太を呼び止めた。
驚いたように周囲がミカを見る。平太も驚いたようにミカの方に振り返った。
「待っちょるから!ちゃんと帰ってくるとよ!」
感情がこもったミカの言葉を聞いて、周囲は平太のリアクションを確認するために一斉に平太に注目した。
「ああ。必ず!無事に帰るよ、ミカ!」
右手を挙げて爽やかな笑顔でミカに返した。
朝日を浴びた平太は3割増しで爽やか度が上昇しており、その平太の表情に女性衆から
はあ
という歓喜の吐息が漏れた。
参考文献
鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」
国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」
鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室
社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事
廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像