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1945年、あの日のそよかぜ  作者: 乃土雨


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42 なかったこと

「なんだ。また中沢とか」


 1942年7月

 19時

 関東軍防疫部南門前で、中沢一夫に対して中村茂が不満げな口調で言った。


 その中村の口調を聞いて、中沢は安心したように少し笑って


 「一昨日も一緒に警備について、昨日はお互い非番で一緒に日本人街で飲んでたしな」

 と返した。


 「今日も一緒だと知ってたら昨日は飲まなかったのにな」


 「いや、中村は他に友達いないだろ」


 関東軍防疫給水部、秘匿名称731部隊は中国黒竜江省ハルビンの南、平房区にあった。現在は住宅地の一角に主官舎のみ再建され中は資料館となっている。


 731部隊は主に研究機関としての役割が大きく、在籍していたのは軍医や研究職が多かった。もちろん兵士も在籍していたが、兵士の中には官舎の中で具体的に何が行われていたのかは知らない者もいた。上等兵の中沢、憲兵の中村は所属こそ731部隊であったが、主な仕事は施設周辺の警備であった。


 「バカにするな。友達くらいいるさ。東京にな」

 普段と同じ覇気のない声でそう中沢に返し


 「ところでよ」

 と続けた。


 「やっぱり、例の噂。どうやら本当みたいだぜ」

 官舎内は研究職、軍の上層部と一部の兵士のみが入ることを許されており、その徹底した秘密主義もあって施設周辺の警備を行う部署では、部隊の様々な噂話が持ち上がった。

 とりわけ、最近中村が妙に気になっている噂が、施設内に入った捕虜や患者が出ていったのを見たことがないという物だった。


 やけに熱心な中村を尻目に中沢は

 「いや、ほら。オレ達もさ、全員が24時間警備してるわけじゃないからさ。休憩やら業務の申し送りやらで見てない時に出ていってるんだって」

 と軽く受け流した。

 そうかなぁと納得いかない表情の中村に対して


 「じゃあ、噂が本当だとしたら?本当に官舎内で人体実験が行われてるってこと?」

 と訝しげな表情で中沢が聞いた。


 「実はな。官舎内に入ったっていう少年兵と話す機会があってな。何かの治療をしてたんだろうが、それが何かはわからんかったそうだ。そして頻繁にマルタって言葉を聞いたってよ」


 「マルタ?」


 「丸太だよ。その辺にごろごろ転がってるって意味だろ。

 少年兵曰く、捕虜のことをそう呼んでるんじゃないかってことだった。ってことは、病気の治療や捕虜の収監が目的ってよりは、何かの研究対象として捉えている可能性が高い」 


 「えー?ほんとかなぁ。石井中将が?そんな鬼みたいなことするの?この前だって、軍の関係者に例の濾過器のデモンストレーションをして見せて笑ってたって話だったよ?」

 例の濾過器とは、部隊長の石井四郎考案の石井式濾過器のことで、真水の確保が課題となる戦地において使われ、その性能を証明するため石井は自らの尿を濾過器にかけ、濾過された液体を飲むパフォーマンスを好んで行っていた。


 「オレも正直、石井の大将と人体実験は結びつかん。そこが疑問だったんだが、やっと見つけたぜ。オレの勘は正しかったんだ。あいつが配属されて以降、捕虜の受け入れ人数が急増している」


 ”あいつ”とは、1年程前に同部隊に配属となった一等軍医正のことで、名を篠山黒龍しのやまくろたつといった。

 副部隊長というポストでありながらその経歴は謎が多く、加えて通年官舎内で過ごしているため顔を見たことがないという隊員もいるほど異色の人物であった。


 中村は腕を組んで

 「黒竜江省にある部隊に配属されて、名前が黒龍なんてどうも偽名臭えと思ってたんだ。これも噂だが、篠山はアメリカ軍のスパイじゃないかと思う」

 と真剣な表情で言った。


 「いやいや中村。今、日本はどこと戦争してるか知ってる?」


 「アメリカだよ。だからあり得るんだ。細菌研究や人体実験の資料なんかは高くで売れるそうだ。アメリカは本気で細菌兵器を開発してるんじゃないか?戦争が長引いてるおかげで日本はかなりの財政難だ。なのになんでいち研究施設である731部隊が運営できてると思う?」


 「アメリカに・・・資料提供する見返りに・・・資金援助を受けてるから・・・?」

 そこまで聞いて、さすがの中沢も中村の話を信じ始めた。


 「その通り。な?全てが繋がんだよ」

 


 ◇◇◇


 「ちょいちょいちょい」

 ミカはたまらず口を挟んだ。


 「・・・・今度はなんだお嬢さん」


 「いや、ちょっと。話が大き過ぎてついていけん。それ国家レベルの話やん」

 話のスケールがミカの想像を超えていたため、ミカは少々パニック気味になっている。中村に対して敬語を使うのを忘れるほどに。


 「ああ。だからこの国の未来がかかってるって言ったろ?」


 「いやいや、そんな一大事に平太が関わってる訳ないわ。ただの上等兵やろ?南京事件とハルビンの人体実験の参考人?ちょっと盛りすぎやわ中村さん」


 「どちらも日本軍最大の汚点だ」

 中村がそう言って視線を落とした。


 「お嬢さんの言う通り、この2つの出来事のどちらも関与しているなんてのは、軍人や政治家の中でもかなりの上層部だ。だが、いつだって。上層部は現場にはいないんだよ。どちらの現場にもいたのが中沢なんだ。あいつの記憶はこの国にとって非常に重要なんだよ」

 中村の真剣な口調がかえって話の不気味さを際立たせていた。


 「じゃあ、結局中村さんの推理は正しくて、二人は人体実験の証拠を押さえたってことなんですか?」


 「結論から言うとノーだ」


 「じゃあやっぱり中村さんの思い過ごし・・・」

 そこまで言ってミカは思い出した。


 「ピストルと小瓶・・・・」


 思い出したか、と言って中村があぐらの足を組み替えた。


 「オレはあれから、何度も篠山への接触を試みたが果たせなかった。ところがだ。1945年7月。部隊で大きな出来事があった。部隊の解散命令だ」


 戦況の悪化により、これ以上の勝機は見出せないと判断した大本営は早々に731部隊への撤退を命令する。

 その目的は、部隊が存在していたこと自体の隠滅だった。


 「そんな・・・」


 「な?やばい実験やってましたって認めたようなもんだろ?

 もちろん、表立ってそんな命令は下していない。しかし、その命を受け、隊員達は総出で建物や備品の破壊、資料の焼却を行った。それが何よりの証拠だと思ってる。

 これはオレの想像だが、そのどさくさの中で、中沢は見ちまったんだ。官舎内で行われていたことを。

 そして、隊員の早期復員が始まり帰国後部隊のことを聞かれた際には服毒もしくはピストルを使って自決するよう命じられた。ピストルと小瓶は今も回収が進んでる。全国に散った731部隊員を見つけてるところだ」


 「それで・・・平太は記憶を・・・」

 ミカが若干涙声になってそう言った。


 「ただでさえ凄惨過ぎる戦場での経験と、信じてた軍のとんでもない失態を目の当たりにして、あいつの精神状態は限界を超えた。”なかったこと”にでもしなきゃ、生きていけなかったんだろうぜ」


 「平太・・・」


 「敗戦の混乱に紛れて、731の幹部連中は重要書類や標本は日本に持ち帰ったって話だ。おそらく、それを交渉材料にして戦犯を免れようって魂胆だろ。オレは、それをなんとしてでも阻止したい。


 松井石根の戦犯からの救済、731幹部、とりわけ篠山黒龍を戦犯として裁く。これが、今のオレに出されている命令だ」


 ◇◇◇


 4日後 東京 市ヶ谷


 「それで」

 平太は民宿で借りた浴衣を着て橋のたもとに立っている。対する中村はいつもの寄れたスーツを着て、くわえタバコの出立だ。


 「ミカはなんて言ってました?」


 「真剣にお前の過去を聞いてたぜ。で、話し終えると”わかりました”って」


 「そうですか」


 「・・・なんか思い出せそうか?ここはお前の生まれ故郷だ」


 「実は少しだけ。松井大将との会話と、中村。お前のことを思い出したんだよ」

 平太が外濠のゆったりとした水の流れを見ながら言った。


 「へえ」

 できるだけ淡々とそう言った中村だったが、嬉しさのあまり笑みを浮かべた。


 「少しだけだよ。べろべろになった中村を介抱したこととか」


 「それは忘れていいやつだよ。お嬢さんがお前にこれをって」

 中村が上着のポケットから半分に折られたポチ袋を出して、平太に手渡した。


 「なんだろ」

 と言って平太は中身を確認した。


 「渡したらわかるって言ってたぜ」


 「ああ、麦だよ」

 ポチ袋には30粒ほどの麦が入っていた。平太はそのうち数粒を手の平に出して中村に見せた。


 「麦だな。なんのことかはさっぱりだが。お前には分かったんだな」


 「うん。自分がどこにいるのか分からなくなっても、この麦がここだって教えてくれるんだよ。中村。僕頑張ってみるよ」


 「ああ、長い戦いになるがな。あの戦争の落とし前つけてやろうぜ」


 平太はこの後、実に2年6ヶ月もの間、参考人として東京国際軍事裁判に関わっていくのであった。



参考文献

鉱脈社 阿万鯱人作品集第2分冊第四巻「戦争と人間」

国富町、国富町老人クラブ連合会、国富町農業改良普及所 土とともに生きた人々の生活誌「いろりばた」

鉱脈社 滝一郎著 宮崎の山菜 滝一郎の山野草教室 

社団法人 農山漁村文化協会 日本の食生活全集45 聞き書宮崎の食事

廣瀬嘉昭写真集 昭和の残像

みやざき文庫146 木城町教育委員会編 高城合戦 二度にわたる合戦はどのように戦われたか

NHK宮崎放送局 NHK宮崎WEB特集 平和を祈る夏 宮崎市は空襲で焼け野原に 証言と神社の日誌

Yahoo!JAPAN 宮崎県の空襲被害 -未来に残す戦争の記憶

永岡書店 今井國勝、今井万岐子著 よくわかる山菜大図鑑

渡邉一弘著 宮崎神宮「日誌」に見る昭和二十年

鉱脈者 うどん

宮崎市史編纂委員会 宮崎市制施行満三十年記念 宮崎市の回顧と展望

鉱脈社 みやざき文庫74 福田鉄文著 宮崎の戦争遺跡 旧陸・海軍の飛行場跡を歩く

河出書房新社 太平洋戦争研究会編 平塚柾緒著 図解写真で見る満州全史

朝日新聞社 本多勝一著 南京への道

日本文芸社 太平洋戦争研究会編著 人物・事件でわかる太平洋戦争 重要人物から解き明かす日米決戦の真相

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